<尼子駅から歩き出す>
歩いて巡る中山道六十九宿(第14回);第3日目(1);石畑間ノ宿
(五十三次洛遊会)
2012年9月15日(土)~17日(月・敬老の日)
第3日目;2012年9月17日(月)
<第3日目の行程> (再掲)
<あまご出村から石畑間ノ宿へ>
<3日目の朝>
■台風16号接近中;嫌な天気予報
3日目の朝.
例によって,4時頃起床する.冷房を掛けずに寝たので蒸し暑い夜だった.早速,朝風呂に入って,ベタベタした肌を洗い流す.
テレビは,台風16号が時速30キロメートルの速さで北へ向かっていると報じている.そのため今日一日は各地で激しい雨が降るとのこと.中心気圧は940ヘクトパスカル.
雨雲の様子を見ると.現在私たちが居る琵琶湖周辺にも雨雲がベッタリとへばり付いている.
今日は雨に降られても仕方がない一日になりそうである.
■ロビーへ集合
6時20分頃から朝食を摂る.
結局,昨日の朝食と似たり寄ったりのネーベンを選んでしまう.こんなもの写真に撮っても仕方がないので,朝食の写真は省略する.
7時44分頃,ロビーへ降りて,チェックアウトを済ませる.もう大半の人が集まっている.
<ロビーへ集合>
■彦根口駅
7時53分,ホテルを出発.
昨日の道とを違って,川沿いの道を駅に向かう.
駅の近くまで来たときに,高等学校があるのに気がつく.今日は敬老の日.祝日なのに沢山の高校生が登校している.
8時04分,彦根口駅に到着する.
電車の発車時刻は8時34分.駅到着が少々早すぎたが,電車の到着を待つしかない.
<彦根口駅>
■尼子駅に到着
車内は結構沢山の乗客で混雑している.
8時44分,尼子駅に到着する.私達以外にも数名の乗客が下車する.
<尼子駅到着>
<中山道に入る>
■今日の出発点の中山道
8時49分,尼子駅から歩き出す.
まずは西の方向に500メートルほど歩いて,8時57分に中山道との交差点に到着する.ここからが昨日の続きになる.辺りは民家が点在する静かな雰囲気のところである.
ここから数百メートルは特に見るべき社寺や遺構もない田園地帯が続く.私達は一路南南西に向けて歩き続ける.
<中山道3日目の出発点>
■鳥居が立派な神社
9時00分,立派な鳥居のある神社の前を通過する.鳥居の奥に小振りなお社が建っている.鳥居の直ぐ側に水準点があるので,地図の上で,この神社の位置は容易に確かめられるが,神社の名称が良く分からない.鳥居の額に神社の名前が書かれているが,ぼんやりしていて読めない.
近くの水準点を地図で確かめると標高104メートルであることが分かる.
<水準点近くの神社>
■阿自岐神社鳥居
9時17分,阿自岐神社鳥居に到着する.鳥居の近くに立派な鳥居が立っている.
雲行きがだんだんと怪しくなり,雨粒がポツポツと落ち始める.
<大鳥居>
<石畑間ノ宿>
■石畑間ノ宿の由来
石畑一里塚近くに立っている案内板の記事によると,石畑の歴史は古く平安時代後期にまで遡るという.文治元年(1185年),源平の争乱の中,屋島の合戦で,弓矢の名手として名を馳せた那須与一宗高の次男石畠民武大輔宗信が,この辺りの豪族であった佐々木氏の旗頭として,那須城(城跡)を造り,この地を治めていた.延応元年(1239年)男山八幡宮(京都の石清水八幡宮)から勧請した八幡神社と正賀2年(1258年)に創建した称名寺がある.
また,江戸時代後記には,街道の往来で賑わう中山道高宮宿と愛知川宿の間ノ宿として発展し,立場茶屋が設けられ,旅人や馬の休息のバトして栄えた.
さらに,中山道の役場前交差点南には一里塚が設けられ,「高さ丈余の塚で,松が植えられてあって,塚の上から湖水が見えた」と,豊郷村史に記されているという.
■豊郷小学校
9時19分,豊郷小学校に到着する.
資料4(p.61)によれば,この小学校は昭和12年(1937年)に滋賀県下初の鉄筋造りの小学校である.丸紅専務古川鉄次郎氏の寄付で作られたという.鉄筋造りの小学校ということで,全国から参観者が耐えなかったという.
<豊郷小学校>
■石畑一里塚跡
9時22分,石畑一里塚に到着する.江戸から121番目(?)の一里塚である.京へは後15里の道のりである.
傍らには「一里塚の郷石畑」と刻字された大きな石柱が立っている.雨が本降りになり始める.
<石畑一里塚>
■大上神社
9時23分,大上神社に到着する.
立派な構えの神社だが,手許の資料では,この神社の由来などは良く分からない.
<大上神社>
■伊藤長兵衛家屋敷跡
9時34分,伊藤長兵衛家屋敷跡に到着する.
大きな石に「伊藤長兵衛家屋敷跡」と刻字してある.
傍らに「七代目伊藤長兵衛翁の偉業」が書かれた案内板が立っている.内容は縷々詳細にわたるが,要するに七代目長兵衛は六代目の養子.先代が創業した伊藤長兵衛商店を発展させて(株)丸紅商店を設立して初代社長になった人物である.
現在は(財)豊郷病院の駐車場として使われている.
<伊藤長兵衛屋敷跡>
■伊藤忠兵衛記念館
9時36分,伊藤忠兵衛記念館に到着する.
記念館には入らずに通過するが,傍らの案内板によると,伊藤忠商事,丸紅の創始者である初代伊藤忠兵衛の100回忌を記念して作られた記念館である.
ここは二代目忠兵衛の生家を整備したところだという.
<伊藤忠兵衛記念館>
■天雅彦神社
9時41分,天優彦神社参道に到着する.参道の遙か先に立派な鳥居と神社の森が見えている.神社には立ち寄らずに通過する.
この神社の由来などは手許の資料では不明.
<天雅彦神社参道>
■金田池
9時42分,金田池に到着する.
コンクリートの枠で囲まれた井戸のようなところから水が流れだしている.
傍らに置かれた石造りの案内によると,ここから北に約50メートルほど離れたところに金田池と呼ばれる湧水がある.この湧水は田畑の灌漑用水として使われていたが,近年の地殻変動で出水しなくなったので埋め立てられた.しかし,この湧水は名水として長年この地で親しまれてきたものだったので,ここで再現させたものだという.
<金田池>
■中山道一里塚址
9時47分,「中山道一里塚址」に到着する.
傍らに「一里塚跡碑について」という説明文が立っている.
この説明文によると,一里塚はここから北約800メートルのところにあったといわれている.石畑は中山道の高宮宿と愛知川宿のちょうど中間に位置していて,八幡神社付近には立場茶屋があった.石畑は「一里塚のさと」と呼ばれていた.
<中山道一里塚址>
■千樹禅寺
9時47分,千樹禅寺に到着する.参道の奥に本堂が見えている.
傍らにある説明文によると,天正14年(1586年),藤(萩?)野太郎衛門常光という人物が,消失した観音堂を再建した.その後,毎年,7月に盆踊りをも大しているという.
江州音頭発祥の起源だというが,浅学の私には良く分からない.
<千樹寺>
■宇曽川を渡る
9時54分,宇曽川に架かる歌詰橋を渡る.
私達は,石畑間ノ宿を通過して,いよいよ65次愛知川宿に入る.
<宇曽川を渡る>
(つづく)
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
「中山道六十九宿」の前の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/222702f94b96549be5dcd306a5c69c59
「中山道六十九宿」の次の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b63ed19b1a967a294efcbd68bde70bf3
「中山道六十九宿」第15回目(次回)の最初の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/7d05729bf21e688aee67d1edb0fdab4e
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アメリカから、釜山の隣の田舎町に引越しをして老夫婦二人でくらして2年半がすぎました。裏山をふうふう言って頂上制覇してから、登山にはまってしまいました。日本でも、アメリカでも<登山>や<トレッキング>などとは無縁な存在でした。そんな二人が、何故か韓国で登山をはじめてしまったのです。韓国は低山が多く、簡単と思いきや・・山の高さはさほど<むづかしい、やさしい>にあまり関係ないことわかってきました。今年韓国で還暦をむかえてしまった私が11/24からブログをたちあげました。ブログ友達を探している中であなたのブログみつけました。お時間あるときで結構ですので、一度私の幼稚なブログですが、遊びにきてください。韓国100名山も幾つか制覇をいたしてきました。
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