中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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善光寺西街道;第2回;第2日目(6);大切通と小切通

2015年06月17日 04時00分03秒 | 善光寺街道・善光寺西街道

                             <切通;現地案内板より引用>

         善光寺西街道;回;第2日目(6);大切通と小切通        
           (五十三次洛遊会)
        2015年5月29日(金)~31日(日)
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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c4340d504abd663259f8531ab55ed03d

第2日目;2015年5月30日(土)(つづき) 

<ルート地図>


←クリック拡大
※再掲

<竹林と展望の古道>

■古い道標
 進行方向右手に青柳城趾公園のある山を眺めながら上り坂をユックリペースで登り続ける.
 12時45分,大きな石で作った古い道標の脇を通過する.この道標には「青柳宿路」という刻字がある.其の傍らに新しい「青柳城趾公園」の案内板が立っている.
 古い道標から竹林の中を少し歩いて,12時45分に石仏や石塔が立ち並んでいるところを通過する.
 
<青柳宿路道標>                                <石仏石塔群>

■素晴らしい眺望
 歩いている途中で,後ろを振り返る.
 何時の間にか随分と高い所まで登っている.眼下には通り抜けた坂北村青柳辺りの集落が見えている.幾重にも連なる山脈の奥に北アルプスの高峰が屏風のように連なっている.まるでスイスを連想させるような素晴らしい風景である.
 昔の旅人も,この辺りで,今私達が見ているのと,ほぼ同じ風景を眺めていたに違いない.そして,眼下に見える青柳宿の集落を見下ろしながら,
 「あともう少しで青柳宿だ.頑張ろう…」
と励まし合っていたかもしれない.

<素晴らしい眺望>

■竹林の上り坂
 12時45分,迷い込むような感じで竹林の中に入り込む.ここで展望とは一旦お別れである.
 竹林の入口に,青柳城趾公園の案内標識が立っている.さらにその先へ進むと進行方向左手に沢山の石塔が並んでいる場所がある.どうやら墓地のようである.
 
<青柳城趾公園の案内標識>                    <竹林の中の墓地>

■旧青柳学校跡
 12時48分,旧青柳学校跡の案内杭が立っている石垣の前を通過する.現地で入手した地図(前の記事に記載)によれば,ここは青柳城主の主居跡と侍屋敷跡であり長野県の史跡指定を受けている場所のようである.
 12時50分,道幅が少し広い道路に突き当たる.突き当たりを左折する.

 
<旧青柳学校跡>                             <三差路を左折>

かじまやの井戸
 12時50分,かじまやの井戸に到着する.あたりは緑豊かな広場になっている.
 井戸の傍らに立つ案内杭には,「共同井戸」と書いてある.往時,ここで井戸端会議が盛んだったのかななどと連想するのも楽しい.
 井戸から先にも,道路沿いに何軒かの民家が立ち並ぶ.しかし,ここにも過疎化の波が打ち寄せているらしく,廃墟と化した立派な家に,ものの哀れを感じる. 
 
<かじまやの井戸>                             <廃墟と化した民家>

<大切通>

■切通の案内板
 12時53分,大切通入口に到着する.傍らに立派な案内板が立っている.
 この案内板の記事には,「切通は善光寺街道随一の名所,天正8年(1580年)に青柳伊勢守頼長により切り開かれた.元禄11年(1698年)には「長さ13間5尺,横8尺5寸」,高1丈」と記され,その後享保元年(1716年),明和6年(1769年),文化6年(1809年)と3回にわたって切り下げが行われた.右側の岩上方には普請記録と馬頭観音が刻まれている.周辺には百体観音が安置されていた.この先の小切通し(麻績村界)がある.」
 「二つの切通しの開通により通行が容易になり,「善光寺名所図会」には,「是れ依りて旅人并に牛馬の往来聊も煩はしき事なく野を越え山を越して麻績宿に至る」と記されている.現在の大きさは長さ23メートル,巾3.3メートル,高さ6メートル.」
という説明が記されている.
 大切通の先にある小切通については,この案内板には一言も記載されていない.私の邪推だが,小切通は隣の麻績村にあるので,坂北村の案内板には書かないんだろう.

<切通の案内板>

■切通の様子
 案内板には素敵な絵が画いてある.折角なので,これらの絵を拡大して.このブログにも記録しておこう.
 まず,大切通は本文冒頭に掲載した絵.そして,下の絵は切通を通過する様子を描いたものである.篭やキツネの彫り物の様子が如何にも面白いし,岩壁に残る鏨跡の表現が面白い.
 "この岩の描き方,参考になるなあ…"
と思う.


■雄大な眺望
 ここで,たった今,登ってきた道を振り返る.
 北アルプスの山々の勇姿が,相変わらず良く見えている.ここで暫くの間展望休憩を取る.

←クリックするとパノラマ写真

■大切通を通過
 12時57分,大切通入口を通過する.
 道路の両側は切り立った岩壁である.道路両側の山の斜面には沢山の石塔が置かれている.
 ほんの1~2分も掛からずに大切通を通過する.長さ23メートルなので通過するのは呆気ない.平素,鎌倉の切通をよく歩いているので,どうしても鎌倉の切通と比較してしまう.そんな比較は無意味なことだと分かっているのに…


<大切通>

■切通にある石塔群
 大切通の周辺の斜面には沢山の石塔群が立ち並んでいる.時間があれば,できるだけ沢山の石塔を見て回りたいが,当初,ここに沢山の石塔があるとは予想していなかったので,残念ながらユックリしている時間は予定していない.ここで時間を取ってしまうと,予約してある送迎車の時間に間に合わない.
 というわけで先を急ぐことにしよう.
 
<切通周辺の石塔群>

大切通を通り抜ける
 大切通を通過すると,目の前にカーブミラーが立っている.このカーブミラーを見た途端に,現代に引き戻されたような感じがする.
 切通を出たところで道路は急角度で右折し,今度は下り坂になる.ここから先はいよいよ麻績村である.

<大切通を通り抜ける>

<麻績村へ>

■また素晴らしい眺望だ
 大切通を抜けると,再び素晴らしい眺望が開ける.
 大きな杉(?)林の向こうに雪を被った北アルプスの山々が連なっている.絶景である.こもでも写真撮影のために立ち止まる.

<またまた素晴らしい風景だ>

■小切通
 大切通から下り坂を少し歩いて,13時04分,小切通に到着する.小切通というだけあって,拍子抜けするほど短い切通である.
 小切通のすぐ先に,長野自動車道のガードが見えている.

<小切通と長野自動車道のガード>

■小切通の案内板
 小切通の傍らに案内板が立っている.
 ここからは麻績村の案内板である.姿,形ともこれまで見てきた坂北村のものとは違う.この際,どちらの村の案内板が良いかなどという姑息な比較はしないことにする.
 小切通の案内板は下ノ写真の通りである.簡素にして要領を得た文章が記述されているので,改めて転記する必要もないだろう.

<小切通の案内板>

■小切通で一休み
 今日は5月にしては蒸し暑すぎる.
 私達は,小切通案内板の前で,給水休憩を取ることにする.
 ”いや,全く…ご苦労様”

<小切通で休憩>

[参考資料]

資料1;完全踏査海道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
                                         (つづく)

続きの記事
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善光寺西街道」の目次
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「善光寺西街道」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f71644979892cd488cd56360b380d188

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