折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

一刻も早い修復を~居合の創始者「林崎甚助重信」公記念碑

2009-03-07 | 武道
           
          この場所だったのだ~目立たぬ佇まい 
古刹の境内の片隅にひっそりと建つ林崎甚助重信公の記念碑。残念ながら、まさに朽ちなんとしているのを見ると、心が痛む。一刻も早い修復が待たれる。


埼玉県川越市にある古刹「蓮馨寺」の境内。

そこに、居合道・抜刀道の始祖・林崎夢想流祖「林崎甚助重信」公の記念碑がひっそりと建っている。

高さ2メートル余の四角の木柱とその横に公の略歴を示した立札があるのみという極めて殺風景なものである。

注意深く探さないと、見落としてしまうくらい目立たないたたずまいなのである。
(実は、3月1日の小・中学校のクラス会の時にこの場所を一度訪れているのだが、その節は、とうとうわからず後日寺に聞いて場所を確認した次第。)

蓮馨寺にうかがったところ、その碑が建てられたのは、今から15年ほど前とのことで、今でも、当時、林崎甚助重信公が修行をされたと言い伝えられている大宮の居合道の関係者が訪れて、お参りをしているようですよ、と教えてくれた。



                
                法号 
                柱には「良仙院一誉昌道寂心大信士」の法名と元和3年7月20日没
                (行年73歳)と書かれている。



           
           判読不能
           判読不能になってしまった文字。一刻も早い修復が待たれる


掲出されている立札には、公の略歴が記されており、その中に川越と言う文字がかすかに読み取れ、大宮や当地で残された足跡が書かれているようなのだが、幾多の星霜を経る中でその文字は判読不能となってしまっていたのは、何とも残念であった。(記念碑の木柱には、「林崎甚助重信公記念碑建立実行委員会」の名が記されている。この委員会が今も健在であるなら、一刻も早い修復を期待したい、と思った次第である。)


定年退職後に「居合・抜刀」を始めて6年になる。

林崎甚助重信公を知ったのは、今から数十年も前、当時な絶大な人気を博していた白土三平の劇画「忍者武芸帳」の中に登場していたからである。

その格好良さに「あこがれ」、自分も機会があれば是非「居合」をやってみたいとその頃から思いを暖めていた。

そして、定年を迎えた時に、「何としても居合をやりたい」と情報を集めていた所、何と近所の知り合いの人が「居合」をやっていると言うではないか、それを聞いた時は、躍り上がって喜び、その引き合わせに心から感謝したものである。

かくして意気揚々と始めた「居合道」であるが、自分が思ったほどには上達しない現状に「こんなはずではなかった」と臍を噛んでいる次第だが、公の記念碑を前にして、「これからも一生懸命に精進します」と、気持ちを新たにした次第である。


            
           林崎甚助重信公の記念碑がある川越市の古刹「蓮馨寺」   

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