みたり*よんだり*きいたり*ぼぉっとしたり

映画のこと、本のこと、おもったこと。

武満徹メモリアルデー・コンサート*アシュケナージ*N響

2006-02-21 00:23:37 | きく
2006.2.20(月) 19:00開演
サントリーホール

武満徹:Riverrun
 
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

ナッセン:ヴァイオリン協浪曲op30

猿谷紀郎:Where is HE? 夢 まじらひ
~谷川俊太郎の詩 ”Where is HE?”とともに~

武満徹:From me flows what you call Time
序/「独奏者たちの登場」・微風/予感/高原/環状の地平線/風が吹く/予感/蜃気楼/ひるがえる風の馬/約束の土地/生の歓びと悲しみ/祈り

指揮・ピアノ ウラディーミル・アシュケナージ

NHK交響楽団


○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○


後半、谷川俊太郎氏が登場し”Where is HE?”を朗読。


世界初演という『夢 まじらひ』・・もっときいてみたい。

From me flows what you call Time
は、演奏後周囲からもため息がもれていましたが、素晴らしかった。
サントリーホールRB・LBあたり両側の天井からステージまで風鈴のような楽器つきの5色のリボンが渡され、会場全体の空気も変化する。このチベット遊牧民の習俗「風の馬(ルン・タ)」に由来するという、青(水)、赤(火)、黄(大地)、緑(風)、白(空・くう)の各色を担った5つのパートの打楽器とオーケストラの響きあい。スティール・ドラムの音色は摩訶不思議美。

演奏直後、ステージ中央左の打楽器奏者の方からきれいな笑顔がこぼれ、
指揮のアシュケナージ氏と頷き合う光景。この時空を共有できて良かった、
と思う瞬間でした。(谷川俊太郎氏も朗読後観客席にいらっしゃったしね♪)




WHERE IS HE?



姿が見えていた夏

声が聞こえていた秋

肩をたたくことの出来た冬

そして二度と来なかった彼との春



だが彼はいまもなお繰り返し訪れる

沈黙の彼方から音を連れて

私たちの耳に



眼に見えぬ世界からの波動にふれて

微かに震える鼓膜

音の原子によって創られた

意味を超えたもうひとつのリアル



そこに彼はいる

新しく生まれる音 甦り続ける音に

すこやかな耳をすまして

         
          谷川 俊太郎



マーラー交響曲弟9番

2006-02-18 02:20:46 | きく
2006.2.17(金)19:00開演

サントリーホール

マーラー交響曲第9番

チョン・ミュンフン 指揮

東京フィルハーモニー

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マーラーの交響曲をきいたことがなかったので、
この日のためにマーラー交響曲全集を買い込み、No9
ちょこちょことネットワークウォークマンで聴いていました。
聞き始めは音の重なり方の不思議さに戸惑いましたが、
徐々に、なんか良いかも、となり、
コンサート日朝には、
かなり楽しみ、となるまでに仕上がって(とゆうのか?)いました。
マーラーとこの曲についても予備知識くらいは欲しかったのですが、
なにしろ購入したCDが輸入版、解説は横文字3ヶ国語。
一応、目を通してみようと鞄に入れて歩いていましたが、
結局、鞄の重さが少し増えただけで、知識は増えず仕舞い。
なので、
開演前に目を通したプログラムの曲目解説には、
巷で言われているらしいことは、やはりそうだったのか、
と再確認させられ、また、狼狽させられました。
死の物語(解釈?)が強調されなくても、(されない方がより)
曲を楽しめるのに。
それはともかく、
この日の演奏は、大好きです。
わたしが細々ききこんでいたCDとはまるで違う音楽。
1楽章も2楽章も3楽章も4楽章も
素敵だったなぁ。
少し風邪っぽくて会場行きの電車の中では眠ってしまい、
開演前の座席でもうとうとしかけたくらい体調は良くなかったのに、
演奏が始まった途端、
眠気もだるさも一切吹き飛ばされました。
きっと目は爛々、2楽章あたりでは踊りだしかねない・・(てゆうか、身体が揺れちゃうんですよね、あれ、いけないんでしょうね、きっと。みんな、じっとお行儀良くしてはるもんね。マナーってやつなんでしょうね。きっと)

というわけで、
あたしゃ、マーラーが好きだ!と思った夜でした。
でも、CDじゃ味わえない、これは。


○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○


・・・・・というのか、
翌朝なお余韻覚めやらず
今CD聴きなおしてみると、
このCDだって、なかなか良い・・・。




CDのせいじゃなくてわたしの音響機器(パソ&ウォークマン)・・あるいは耳のせいだと、認識いたしました。
でも、ライブを聴いて改めて、
音楽が聞こえてくるってかなり快適な体験です。
早速、
9番だけ3枚ほど図書館に予約しました。楽しみ♪


引退後の人生は

2006-02-09 15:20:00 | ぼぉっとしたり
団塊世代の引退が社会に大きな影響を及ぼす、と言われています。
頭脳回転の速さ、巧みな話術、お話の端々に垣間見える超えてきた山(壁?)の大きさ、こんなギッシュな方たちが引退していくというのは、まぁ、おかしなこともあるもんだ、くらいにはわたしも思います。

引退つぅのは、仕事人生にいきなり急ブレーキかけて、バックギア入れる感じだろうな・・・そりゃ、寂しいだろ、とおっしゃる方がいました。

すんなり、頷けます。

そしたら、同じ団塊世代、それも一角の方なのに、

おれ、ぜーんぜん!わかんない。その、仕事やめての寂しさ、ってやつ。こちとら、食うために仕方なく働いてんのに、あー、頼むから、そうゆう余裕のある寂しいって状態にしてくれってんだよ。

その時になってみなきゃわかんないよ、的な応酬がありましたが、

でも、

おれは平気!だって今でもちゃんと家でトイレ掃除してるもん!

*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*

寂しさ対策には「トイレ掃除」

思わず惚れモードに入るキーワードでした。




映画・・『イベリア・魂のフラメンコ』

2006-02-06 01:50:58 | みる
Bunkamura*ル・シネマ

日曜最終(19:30~)割引上映回
16:20頃チケット購入で30番、
本日は上映までにはほぼ席が埋まっている状況でした。

カルロス・サウラ監督作品はビデオで『フラメンコ』を観たことがあるだけで、今回はそれ以来。『フラメンコ』ではタイトル通り、カメラで迫ったフラメンコそのものを、今回『イベリア』では、フラメンコの舞踊としての広がり、表現の可能性、そして『フラメンコ』を思い起こさせるなじみ深く独特の低いトーンの照明、パネルと鏡が効果を生む映像空間を楽しむことができました。

わたしにとっての圧巻は、
16番のシーン、音はチェロとサパテアードだけ、サラ・バラス踊る”ASTURIAS”、もう、肋骨あたりにびびびと響く場面。
こういうフラメンコに出会いたい、とずっと思い続けていた。そういうフラメンコでした。



映画・・『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』

2006-02-02 00:42:52 | みる
予告編を見た時は、衝撃でした。
ピンポイントで関心事を突かれた気がしたからです。
関心事のキーワードは
「自殺」「社会からの隔絶」「絶望」「音楽」
そして、青山真治監督作品を観るのは初めてですが、
この映画なら鬱陶しい物語はないだろう、
と思える予告映像でした。

本編の方は映画を観るというよりも、
『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』の上映”空間そのものを感じる”という方が、
近い気がします。わたしが感じたものは、予告編を見た時の手応えではなく、かすかな違和感と表現方法の独自さへの興味と自分へのもどかしさでした。観客はわたしの子どもと同年代ほどの若者が多く、確かに、わたしの息子も青山作品のほとんどを観て、昨年中からこの映画が封切られるのを期待していました。わたしはといえば監督とほぼ同年代、この映画の表現の独自さにもっとすんなりと入り込めると思っていましたが、ずれがある自分にちょっとショック。言葉でもなく、物語でもなく「音」を求めるテーマこそフィットするはずが、せりふの少ない作品を観ながら、わたしは従来の映画を観るように言葉を、物語を、求め、意味を探していました。所詮、言葉を寄る辺とするしかない自分をちと不甲斐なく感じながら、
映画のパンフレットより、
自分にヒットしたキーワード

「生と死の位相を変えるノイズ」
「”訪れ”は”音ずれ”」
「生と死が静かに響きあう」

映画より
「綺麗なものから先に死ぬから」

あっ、それから
「失業率が30%を超える社会」

・・・職と生の問題は大きい

あっ、それから
岡田茉莉子が食を供する役であること。
「あなたが生まれる前からスープを作ってるけど、
初めて上手く作れたわ」(←うろ覚え)

・・・”母”をイメージさせる女性に食をあたえさせる、
ありきたりといえばありきたりだけど・・・

・・・食と生しかない(わけじゃないけど)

さてさて、
わたしにとっての(生と死の位相を変える)ノイズである
息子(いや、実際ノイズ!よう喋くる♪)は、どう観るか、
それがこの映画をめぐる一番の楽しみ。