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樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

史上最高の木造建築

2010年04月19日 | 木造建築
先月、京都市の動物園内で平安時代後期に建立された「八角九重塔」の基礎が発掘されました。この一帯は白河上皇が権力を握っていた頃に多くのお寺が建てられましたが、度重なる戦火のために現在はほとんど残っていません。
発掘されたのは八角形の基礎部分の一辺で、長さは12.5m。室町時代の記録によると、高さは81mあったそうです。現存する最も高い木造建築は東寺の五重塔(約55m)ですが、それをはるかに凌ぐわけです。
数年前、京都大学の助教授がこの八角九重塔の推定復元図を作成し、それに基づいて京都市が模型を作成しました。それが展示してある文化施設へ行ったのですが、残念ながら撮影禁止。しょうがないのでロビーで放映されていたビデオ画面を撮影しました。


(ミニチュアの八角九重塔。1階に飾り屋根があるので10階に見える)

この八角九重塔が日本史上最も高い木造建築と思いきや、上には上があります。室町時代、京都の中心部にある相国寺(しょうこくじ)には、109m(360尺)の七重大塔があったそうです。
建てたのは足利義満、竣工は1399年。当時の相国寺の住職が塔に登ったときの感動を「塔上の夕暮れの眺め」という漢詩に残しています。
「七重の塔は京の北東にあり、登ってみると広々として、晴れ渡った空を歩くようだ。屋根の上にそびえる相輪が、夕陽を受けて影となり、人の声や鈴の音が風に乗って湧き上ってくる」。


(相国寺は応仁の乱で多くの建物が焼失し、現在は塔頭も少ない)

この相国寺の七重大塔が日本史上最高の木造建築だそうです。八角九重塔のように基礎は発掘されていませんが、建っていた場所には「塔の壇」という地名が残っています。
この七重大塔も八角九重塔も高いがゆえに雷に弱く、どちらも落雷で焼失したそうです。
現在建築中の東京スカイツリー(634m)は、ブルジュ・ドバイ(828m)に次ぐ世界第2位の高さになるそうですが、雷は避けられても地震とか大丈夫なんでしょうか。
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木の風化・劣化

2010年04月05日 | 木造建築
木に関するシンポジウムやセミナーには積極的に参加していますが、最近だんだんマニアックになってきました。近くの京都大学宇治キャンパスで、今村祐嗣という教授の定年退官記念講演があると知り、面白そうなので行ってきました。
会場にはダークスーツの男性や着物姿の女性が集まり、何やらフォーマルな雰囲気。カジュアルな服装の私は場違いでしたが、一般参加OKなので気おくれしながら聴講しました。


(「木を観て、木に探る」このタイトルに釣られました)

この教授の主な研究分野は木材の腐朽や劣化。日本木材学会の会長も務めた権威のようです。難しい学術的な話かなと思いきや、分かりやすく、興味深い話題がいくつもありました。
その一つが木材の風化。お寺などの木造建築が時とともに古色蒼然としてきますが、その仕組みは知りませんでした。


(近くのお寺にある古い経堂)

今村教授によると、木材のある成分が紫外線を吸収して光分解される → その成分は水にも溶けやすいので雨水に流される → その繰り返しで木が少しずつ削られる、という経過をたどるそうです。「風化」という言葉から、何となく風の作用かな?と思っていましたが、光と雨なんですね。
風化の速度は、針葉樹で100年に5~6mm程度。広葉樹についてはコメントがありませんでしたが、広葉樹の方が硬いので、風化の速度はもう少し遅いでしょう。


(上の経堂の板戸。3mmくらいだからまだ100年未満かな?)

同じ日本でも、地域によって劣化のスピードが違うという話もありました。例えば、九州や高知県では木材の劣化が速く、東北地方や北海道では遅いそうです。
気候が温暖で雨が多いほど腐朽菌や加害昆虫の種類が多いためで、南には北には生息しないシロアリも多いとか。単純に言えば、同じ年に建てた木造住宅は北海道よりも九州の方が早く傷むということですね。


(気候別の木材劣化指標)

思えば、宇治キャンパスや本校のセミナーに何度も参加しましたし、私のフィールド・栃の森は京大の研究林でもあります。京都大学にはいろいろお世話になっています。
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木造駅舎

2010年01月25日 | 木造建築
NHK-BSに「木造駅舎の旅」という5分番組があります。私は鉄チャンではありませんが、木チャン(?)なので、その番組のサイトで発見した気になる駅を見るために南海電車に乗って大阪南部まで行ってきました。



これ、浜寺公園駅。美しいでしょう? おしゃれでしょう? しかも、私鉄では最も古い駅なんですよ。
東京駅や日本銀行本店を設計した辰野金吾と当時大阪で活躍していた片岡安によって明治40年に建てられました。103才の現役、いや現駅です。
案内看板によると、木造平屋建ての鉄板葺きで、柱の骨組みを壁に埋め込まず装飾として活かすハーフティンバー様式や、鹿鳴館の2階ベランダに用いられたのと同じような玄関の柱が特徴とか。


(こんな現役の柱、他ではもう見られないでしょう)

(白とグレーと薄い青で塗り分けてあります)

昔は鉄道に一等席・二等席・三等席があって待合室も区分けされていたようで、旧一・二等待合室は現在ギャラリーとして使われています。


(旧一・二等待合室を利用したギャラリー)

木チャンに嬉しいのは、駅舎本体だけでなく、下りホームの待合室や手すりなども昔と同じように木製のままであること。地下の通路は駅の東西を行き来する地下道として併用されていますが、その仕切りも木製です。全体に白いペンキを塗って、駅舎の配色に合わせてあります。


(今は使われていませんが木製の改札口)

(地下通路の仕切りも木製)

以前、京阪電車の新線が木の駅であることをご紹介しましたが、昨年その4駅がグッドデザイン賞を受賞しました。ちなみに、13年前に私鉄初のグッドデザイン賞を受賞した宇治駅はコンクリート打ちっぱなし。無機素材から有機素材へ、時代の変化を象徴しているようです。
明治時代にグッドデザイン賞があれば、浜寺公園駅は間違いなく受賞していたでしょうね。
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木造都市-②

2010年01月11日 | 木造建築
前回、京都の建築家が設計した木造超高層ビルをご紹介しましたが、京都にはもう一人「木造都市」を夢見る建築家がいます。横浜のズーラシアや中国の天津博物館などを手がけた世界的にも著名な高松伸。
この人は京都市コンサートホールの設計コンペで、木造のホールをガラスですっぽり包むという斬新な案を提出。「京都はもともと木造都市である」という考えが根底にあったようですが、残念ながら火災のリスクが理由で落選。
それにもめげず、今度は京都市庁舎を高さ180メートル、地上13階建ての木造高層ビルにしようというプランを提案しています。下の写真はその模型。



高松さんは次のように語っています。「まるごと木造の都市を幾つか造るくらいのイメージで国内の木材を大量に使う必要があります。クライアントから依頼を受けた際に、建築家一人ひとりが「木造都市」をイメージしながら建築を設計することが重要です。それも可能な限り木造で設計する。その一つひとつの積み重ねがいつのまにか「木造都市」への道を拓きます」。
有限な金属やコンクリートではなく、循環資源である木材を積極的に使おうという意図があるようです。


(京都市庁舎を木造高層ビルにしたCG。手前の建物は京都ホテル)

前回の横内さんは山梨県出身、今回の高松さんは島根県出身ですが、どちらも京都を拠点に活動する建築家。神社仏閣が多く、平安時代からずーっと木造都市であり続けた京都の景観や環境が、木造高層建築物への夢を育てたのかも知れません。
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木造都市

2010年01月07日 | 木造建築
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお付き合いください。
さて、年初なので夢のあるでっかい話をご紹介します。
オーストリアで高さ70メートル、20階建ての木造高層ビルが建築されようとしています。以前、日本で最も高い木造建築は東寺の五重塔で55メートル、世界で最も高い木造建築は中国の仏宮寺で67メートルとご紹介しましたが、この高層ビルはそれを凌ぐわけです。
しかし、この程度で驚いていてはいけません。日本では何と、高さ339メートル、72階建ての木造超高層ビルが設計されています。東京タワーよりも高い木造ビルです。設計したのは、京都で活躍する建築家・横内敏人氏、ビルの名前は「日満里楼(ひまりろう)」。


(339メートル、72階建ての木造超高層ビル「日満里楼」)

上の写真は図書館で借りた建築雑誌のパースを撮影したものですが、模型も作成されていて、横内氏の事務所に展示されているようです。
中は円筒状になっていて、15階ごとに節が設けられ、竹の子のよう。最上階から下へ、哲学、芸術、文化、政治、商業とゾーニングされ、地下4階は劇場にするという計画です。
荒唐無稽な絵空事ではなく、集成材を使って実際に建築することが可能で、荷重や風圧にも耐えるように構造計算されているそうです。ただし、法律的には許可されません。横内さんは次のように書いています。
「今日のような近代文明の後に訪れる新たな文明における都市の象徴として計画したものである。その文明においては、人は環境と共生する哲学を持ち、循環する生態系の中に組み込まれた産業システムと、自然を保全・育成する科学技術とを持ち合わせている。森は信仰の対象であり、その森の恵みである木材により建物が造られ、都市が築かれる。この超高層建築は、そのような森林国家の木造都市における商業的・政治的・文化的・中心である」。


(日本で最も高い木造建築、東寺の五重塔)

建築家=けったいな(関西弁で「妙な」)建物を建てたがる人という偏見が私にはあって、特に著名な建築家の言動は信用していません。しかし、この横内さんは一般住宅の設計でも自然への敬意を感じさせる仕事をされているようで、上のコメントにはシンパシーを感じます。
木造建築とか木造高層ビルのさらに上をいく「木造都市」というコンセプトも、私には新鮮でとても魅力的です。
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目白張り

2009年12月03日 | 木造建築
以前、近くのお寺にある鶯張りの廊下をご紹介しました。人が歩くと音が鳴って侵入者を防ぐという武家屋敷特有の造りです。「あの仕組みはどうなっているのかな~」と思っていたところ、二条城で見られると知って行って来ました。


(二条城は世界遺産)

国宝の二の丸御殿は重厚な造りや豪華な欄間、狩野派の障壁画など見応えのあるものばかり。大勢の人が歩くので、廊下は常にキュルキュルと鳴っています。
「ウグイスというよりヒヨコに似ている」とある観光客。「なるほど、ピヨピヨとも聞こえるな~」と感心しながらもバードウォッチャーとしてのプライドが湧いてきて、もっと正確に識別しようと耳を澄ませた結果メジロと同定しました。人や敵が近づくと、メジロはこんな警戒音を出して仲間に知らせます。


(二の丸御殿は国宝)

花札の「梅にウグイス」は「梅にメジロ」の間違い、ウグイスの体色はウグイス色ではなく茶色でメジロの体色がウグイス色、というのはバードウォッチャーの常識。昔の人はウグイスとメジロを混同していたようなのです。
それと同じく、キュルキュルと鳴くメジロをウグイスと思い込んで「鶯張り」と名づけたのであって、本来は「目白張り」というのが私の新説。しかも、侵入者が近づいたときの警報をメジロの警戒音に例えたのではないでしょうか。(ちょっと穿ち過ぎかな?)


(二の丸御殿の外廊下))

撮影禁止の内部を見学した後、外の廊下に潜り込んでチェック。その仕組みを見て驚きました。廊下の板と根太は釘で固定せず、下の写真のように金具で引っ掛けてあるだけ。板に体重が掛かるとわずかに上下し、木が擦れて音が鳴るようにしてあるのです。
廊下の板には金具の爪を引っ掛ける小さな溝が彫ってあります。板1枚に2ヶ所の溝を彫り、専用の金具で爪を掛け、根太とゆるやかに固定する。撮影したのは外廊下で、見学で歩いたのは内廊下。二重の廊下すべてにこんな手間のかかる細工がしてあるのです。恐るべし、日本の技!


(鶯張りの仕組み)

内部を歩いているとメジロ(?)の声が聞こえると同時に、築後400年の今でもヒノキの香りが漂っています。石やレンガの建築物では音や臭いを生かすことはできないはず。この御殿は強度や耐久性という構造上の特性だけでなく、人間の聴覚や嗅覚も計算して造られていることに気づきました。恐るべし、木造建築!
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銃弾の痕

2009年11月16日 | 木造建築
ミシュランの京都・大阪版が発行されました。宇治市は対象外ですが、近くの伏見区にある魚三楼(うおさぶろう)という老舗が2つ星。料理を食べたことはありませんが、店の前はよく通ります。


(伏見の中心街にある魚三楼)

京都市南部の高級料亭として有名で、店頭の格子に古い弾痕が残っていることでも知られています。明治維新直後の「鳥羽伏見の戦い」では、この辺りで新政府軍と幕府軍が市街戦を展開。街の半分が焼失したものの、この店は弾が当たっただけで焼失を免れたそうです。


(140年前の弾痕)

(格子の内側にも弾の痕が)

近くには寺田屋という旅館があり、坂本龍馬が襲われた時に残ったという柱の弾痕や刀傷が売り物で、歴史ファンや龍馬ファンが全国からやってきます。
ところが昨年の秋、京都市の調査で寺田屋は鳥羽伏見の戦いで焼失した後に再建されたことが判明し、弾痕や刀傷はあり得ないということで、市のホームページの観光ガイドから削除。寺田屋にも「間違った案内をしないように」と指導したそうです。
一方、寺田屋は「焼け残った柱を再利用したので弾痕や刀傷は本物」と反論しています。


(坂本龍馬が常宿にしていた寺田屋)

コンクリートやレンガ造りの建物でも銃弾の痕は残るでしょうが、一方は弾痕を留めて残り、一方は戦火で焼失するというのは木造建築ならではの運命の分かれ道でしょう。
話は変わりますが、ミシュラン京都・大阪版には裏話があります。まず、京都には「一見さんお断り」の店があり、ダイアナ妃が来日した際、ある店に案内しようと外務省が予約の電話を入れたら断られたというくらい…。結局、ミシュランはそういう店の取材はあきらめたそうです。
また、「京料理は皿の上だけではない。庭や調度も含めて一つの文化」という理由で、写真撮影や協力を断った店もあります。実際に本で調べたら、記事や地図はあるものの料理や店内の写真がない、つまりミシュランへの協力を拒否した店が12軒ありました。全82軒中12軒ですから、けっこうな数です。


(病院の待合室にあったミシュランで確認)

記事に利用しておきながら何ですが、私は貧乏育ちのせいか食べ物に贅沢を言うことに罪悪感があって、こういう美食ブームには疑問を持っています。ましてや料理にランクをつけて本にして売るという、上から目線というか傲慢な姿勢が鼻持ちならないので、この12軒に拍手を送りました。
ついでに言うと、食べ物を粗末に扱うことにも抵抗があります。テレビで大食いや早食いの番組、優勝した野球チームのビールかけ、「ギネスに挑戦!世界一長い海苔巻きを作ろう」といったイベントを見ると気分が悪くなります。後進国の飢餓を持ち出すまでもなく、食べ物で遊んだらアカンでしょう。
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火天の城

2009年09月24日 | 木造建築
木をテーマにした日本映画が封切られたので観てきました。題名は『火天の城』。一般的に言えば、木ではなく安土城の築城をテーマにした映画です。主役は西田敏行演じる宮大工の棟梁。
日本映画には何度も裏切られているので、作品としては期待しません。私の興味は、映画の中で城郭建築の木材がどう扱われるか。
その期待にいきなりタイトルバックが応えてくれました。カンナや槍ガンナで木を削るアップのシーンが映るのです。さらに本編の冒頭でも、主人公の娘が巨木を両腕で抱えながら幹に耳を当てるシーンがあり、私の目は釘付け。
築城の現場では棟梁が弟子に、「山の南斜面に生えていた木は南の柱に、北斜面に生えていた木は北の柱に使え」と教えます。この知恵は法隆寺の宮大工・西岡常一さんが著書に書いています。原作者もおそらくそれをヒントにしたのでしょう。西岡棟梁はさらに、1本1本の柱も生えていた方角と同じ向きに立てるように教えています。

(『火天の城』の予告編はこちら↓)



映画の棟梁は心柱に使うヒノキの巨木を探しに出かけます。そのヒノキは織田信長の敵である武田の領地・木曾にあり、しかも伊勢神宮に使うために2000年も守られてきたご神木。それを安土城の最も重要な部分に使うためにどうやって伐り出すか、というのが物語の一つの山場。
このシーンは木曾の赤沢自然休養林で撮影されたそうです。行ったことはないですが、日本で最も美しいヒノキの森と言われている場所。さすがに、その巨木の伐採シーンはありませんでした。
木組みのシーンでは、絹のような肌の心柱が使われています。多分、本物の太いヒノキから木取りしたものでしょう。木の香りが漂ってきそうでした。

       
    (宇治名木百選の一つ、神女神社のヒノキ。こちらの樹齢は推定200年)

樹木マニアの期待には十分応えてくれました。作品としてもソコソコですが、泣きが入り過ぎ。涙腺がゆるい私は何度もハンカチを使いましたが、泣かせて魅せる題材ではないはず。最近の日本映画は「たくさん泣いた映画が名作」みたいな風潮がありますが、泣かせたり、笑わせたり、恐がらせたり、本能に訴える映画は下品だと私は思います。
原作では棟梁の子どもは息子なのに、映画では娘に変えて純愛と別離のストーリーを挿入したのもそういう狙いでしょう。独立系の優れた日本映画もあるので全てとは言いませんが、観客動員を意識するメジャー系の日本映画はどうしてもこの路線になるんですね。
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血天井

2009年09月14日 | 木造建築
散歩コースに興聖寺(こうしょうじ)という禅寺があります。無名のお寺で観光客も少ないですが、宇治では紅葉の名所の一つ。その本堂に血天井があります。

       
                  (興聖寺の山門)

もともと伏見城にあった建物を移築したもので、廊下は二条城でも有名な「鶯張り」。歩くとキュッキュッと鳴ることで侵入者を防ぐという仕組みです。

       
               (伏見城から移築された本堂)

その廊下の天井に血の手形と足形が残っています。今は風化して見にくくなったため、チョークで囲んで明示してあります。なぜ、床ではなく天井なのか?

       
               (血の手形。左下向きに指の跡)

秀吉の死後、家康(当時の城主)は伏見城を鳥居元忠の手勢1800人に任せて上杉征伐に出発。その留守を石田三成率いる4万の西軍が攻め、全ての兵が討ち死しました。
西軍は伏見城をそのまま放置し、引き返してくる家康を迎え撃つために出発。2ヵ月後、関ヶ原の戦いが終わってようやく死体の処理が行われたため、血は床板に染み込んで手形や足形、顔形などがはっきり残ったそうです。
その死者を供養するため、いくつかのお寺が血染めの床板を預かり、足で踏まないように天井に再利用したというのが血天井の由来。興聖寺のほか京都市内の4寺院にも同様の天井があるそうです。

       
         (血の足形。風化して見にくいですが右向きに指の跡)

当時の城郭建築に使われた主要材はケヤキですが、この本堂の建築材はヒノキのようです。秀吉が自分の居城として造らせた城ですから、最高級の木材が使われているはず。もったいないとは言え、普通なら血のついた板は使いませんが、それを天井に使って供養するというのは仏教ならでは。

       
                 (別のお寺に立つ赤門)

ちなみに、近所の別のお寺には赤門が建っています。境内の裏の畑に建っているので門としての意味はないですが、伏見城から移築されたようです。この辺りは伏見城に近いので、こうした遺構がところどころ残っています。
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木を生かす手とこころ

2009年07月30日 | 木造建築
仕事で能登半島の七尾に行く機会がありました。せっかくなので、他のスタッフよりも早めに出かけて寄り道してきました。建具を見るためです。
七尾で能登鉄道に乗り換えて2つめの田鶴浜は、建具の町として知られています。何軒も並ぶ建具屋さんや塗り屋さんを覗きながら向ったのは、田鶴浜建具センター。

       
                  (田鶴浜建具センター)

2階のショールームには障子や襖、引き戸、屏風などのほか、細かい組木細工の模型や建具用の特殊な道具も展示してあります。中には漆仕上げの150万円という衝立も…。

       
            (漆塗りの枠で仕上げた衝立は150万円)

江戸時代、領主が菩提寺を再建する際、尾張から指物の名工を呼び寄せて戸や障子を作らせたところ、その素晴らしさに感動した村人たちが技術を学んだのが始まり。その後、木材の伐採禁止令を緩和して使用を許したことから、建具づくりが盛んになったそうです。

       
             (組木細工を取り入れた4枚仕立の襖)

樹種を見ると、スギ、ヒノキ、ベイマツなどさまざま。この地方ならではのアテもありました。東北地方ではヒバ、全国的にはアスナロと呼ぶ木です。
昔、能登の林業家が津軽からヒバの苗木を密かに持ち帰り、バレないようにアテと名前を変えて育てたというエピソードがあります。ちなみに、アテは石川県の県木。

       
           (ミニ屏風やミニ衝立は手が出せそうな金額)

田鶴浜建具のキャッチフレーズは「木を生かす手とこころ」。金沢の仏壇といい、富山県砺波の欄間といい、北陸地方にはそのフレーズどおり豊かな木工の文化が残っています。
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