先日のお伊勢参りで寄った刃物店のウインドウの日本刀を見て思い出した
ことがあります。
それは亡父が敗戦直後に進駐軍の厳しい探索から免れるために、
近くの畑へ埋めたと云う我が家伝来の日本刀の行方です。
我が家の先祖様は享保年間から始まり、多分農民だったと思います。
天保の大飢饉にも餓死することなく、運よく生き残って現在に繋がっている
ものと思われます。
いざと云う場合は武装して戦争した「足軽」だったのでは思ったりします。
親父の言葉では火縄銃もあったようですが、玩具にして壊してしまったとかでした。
しかし日本刀は私も目撃した確かな記憶があるのです。
親父は敗戦直後に油紙に包んで芋畑に埋めたと云うのですが、その後茶畑に
改植した時に掘り返して探索したけれど、見付からなかったと云うのです。
鋼鉄が数年程度で腐蝕して仕舞うことは、考えられないし親父の思い違いじゃ?‥
と云うことで数十年の歳月が流れました。
その後も茶畑を切って道路や駐車場にしたり、野菜畑にしたりしたので、
その都度掘り返し作戦は続行していましたが、全く痕跡すら見付かりません
でした。
そして最後に残されたのがこの畑‥私の執拗な探索の手はここにも迫ります‥
ここになければ我が領土には、存在しない筈‥と云うことで、掘り返し再開したのは
平成19年の12月のことでした。
しかし残念ながら出て来るのは石ころばかりで、日本刀の片鱗すら見付かりません。
なんら成果を得ることもなく年を越して、翌年の平成20年3月近辺で
下水道工事が始まりました。
あちらの公共工事は重機が出動ですが、こちらは昔ながらの手堀りで‥
出て来るのは石や礫ばかり‥目指す日本刀はいずこにありや‥?
早くも3月に入り日が長くなり、野山には春の気配が‥
成果が得られないままにそろそろと、桃の花が咲き出しました。
5月に入って畑の掘り起こしは一時休止‥ナスなどの夏野菜を植えました。
手前と少し向こうに掘り起こした石の山が見ます。
翌年の平成21年も続行‥去年に掘り起こした、石の山には蔓が這って
青くなって来ました。
相変わらず続いていた石掘り大作戦‥日本刀は見付からないままに
作戦は完了です。
掘り出した石の処分ですが‥丁度茶畑造成中の従弟が、軽トラ用の道路の
下敷きに欲しいと云うので、道路予定地へ捨てることにしました。
発掘完了後の畑の状況ですが今はシーズンオフのために、待機中ですが
3月末頃にはジャガイモを植える予定です。
出土品は石ばかりでお目当ての日本刀は、全く見付かせんでした。
しかし今まで畑を掘り起こす時に、邪魔になってた石類を殆ど採掘して
しまったので、今後は管理し易くなると思います。
ここで若い頃に読んだ昔話を思い出しました。
甲州ブドウを作っていた農家で、一通の古文書が見付かりました。
そこにはこの畑のどこかに金銀財宝が、埋められていると云うことが
書かれていました。
やがてこの噂を聞きつけた親族が、あちこちから駆けつけて来て、畑を
掘り返しました。
結局は財宝は出て来なかったのですが、畑は掘り返されて石ころも、
選り出されて翌年のブドウの収穫は豊作だったそうです。
ブドウと云えば甲州‥甲州と云えば、武田家の埋蔵金‥とか聞きますが、
なにかしら真実味が感じられます。
ひょっとしたら‥この日本刀騒動も、亡き親父の形を変えた遺言?だった
のかも?‥
それじゃ私が子供の頃に目撃した、日本刀は一体なんだったのか‥?
などと思っているのですが、ほんとに謎は深まるばかりです。
1月29-30日の2日間、北陸方面へ行ってきます。
コメントのお返事は少し遅れますが、よろしくお願い致します。