久々の映画は『科捜研の女』となった。
(もしかして『TENET』以来?)
ドラマシリーズは横目で眺める程度、
同じく横目でチラ見している
『捜査一課長』と混同しており、
…あれ、内藤さんは警視庁捜査一か…
いや、こっちは京都って言ってる、
あれ?平社員?、
所々『踊る大捜査線』と被るぞ…
という状態であった。
救いは佐々木蔵之介さん。
映画では『破門』以来だな、
続編結構期待してたのにな、
なんて心に秘めつつ。
別の話にはなるが、
日本のドラマを観る基準は
大体がコメディタッチのものか
ミステリー主体のもの。
そして、近年では
関ジャニ∞出演のもの。
かなり片寄っている自覚はある。
苦手なのが、
シンプルなコメディものが
最終回に近づいていった途端に
無理矢理のシリアス寄せ、
身近な内部の真犯人とか、
突然出てきたゲスト俳優の
死んだはずの父とか…
いや、いーけど…よくない。
盛り上がり場所で肩透かし食らって
置いてきぼり展開は辛い。
話を戻すと、
『科捜研~』でもそこが不安で。
テロ組織とか大爆破とか
同僚が瀕死状態に陥るとか、
願わくば望んでいない。
いつも通りの王道展開であれ、
と思いながら鑑賞。
潔い!
あれ、これ映画だよね?
ドラマの先行上映とかじゃないよね?
…いやはや、思った以上に
2時間スペシャルドラマ・クオリティ。
きっとドラマシリーズを
見てきた人には懐かしい
過去キャストの同窓会、
ふんだんに盛り込まれた
ミスリードによる
ミスリードの為の
ミステリー常連キャストの方々。
over50の方々による
80年代少女漫画のような
初々しい恋愛模様。
所々現れるCGやら、
ひらひら舞う紅葉一葉押しやら、
時折思い出した京都設定やら、
作中でも台詞で言われてたけど
「あなたたち京都の人間が
何でこんなに東京に来るんだ。」
捜査のためなら
時間も空間も手順も越える
時を掛ける科捜研の女。
ただひとつ腑に落ちない
犯人の動機。
…弱くない?
もっと心酔に至るエピソードとか、
納得しうる教授のカリスマ性とか、
短期間で犯行計画・実行に向かう
犯人の行動力とかが…
突然降って湧いた『事件解決』、
飲み込みきれないーーー。
「真実は一つじゃない。
真実は人の数だけあるんですよ。
でも事実は一つです。」
マンガ『ミステリと言う勿れ』
での台詞。
ああ、そうか。
この映画では真実なんて要らないのか。
人によって作られ
練り込められた
安っぽい感情論は一切捨てて
ただ
とある事実の一転突破で進むからこそ
手応えのない身軽さが
愛される所以であったのか。
自分で勝手に築き上げてた
『映画たるもの』
というつまらない価値観を
ぶっ壊してくれた。
いいのだ、これでいいのだ。
バカボンの父降臨。
そういうものなのだ。