風鈴丸さん

関ジャニ∞ ファンのつぶやき

チーズ食べて。

2020-09-12 01:33:37 | 関ジャニ∞
9/11 公開初日
『窮鼠はチーズの夢を見る』

原作は、公開発表時に
『窮鼠~』は既読
『俎上~』は未読
パンフレット未購入
インタビュー等もほとんど読んでない

もう、全然わからない
恋愛スペックがほぼゼロ人間には
だーれにも感情移入なんてできないし
心動かされなかった
だからこそ分解してみたいと思う


○鑑賞直後の感想書き連ね

・生活音、衣擦れ、吐息、そして足音
人から発せられる音が
異様に大きく響く
・BGMを排除しているからだけど
特に足音が大きい、今時の家、そんなに音しないだろってくらい
感情によって音から現れる゛重み゛が
あるようなないような。
音の発生元(相手)と自分との距離感
=音の届く範囲、近さの強調かなー?
(最後、タマキとの喫茶店シーン後半から
ピアノ→エンドロールの流れが綺麗。
感情を無理矢理盛り上げようとしない?
感じが好きだな)
・カメラワークが
単独の台詞の場合でも
画面に二人で撮すことが多い印象
(一人の横顔越しのもう一人)
ちょっとドキュメンタリーっぽい
・劇中映画『オルフェ』
(検索)ジャン・コクトー
ギリシャ神話のオルフェウスを
当時の情勢に置き換えたフランス映画
→(検索)台詞に『氷の~』から始まる台詞、忘れたけど綺麗な言葉だったな
・食べて、寝て、いたして、ケンカして…
いかにもなフランス映画を
やりたかったのだろうなあ
・自宅では食事のシーンはない
(寂しくハンバーグ弁当食べてたくらい?、
他は会話とかごちそうさまの後のシーンくらいで食べてる最中はないかと)
あくまでも肌を合わせる欲求のみに
恭一の部屋は使われる印象
反対に、外での食事は、試すような…
そこで登場人物の関係性を表す
(饒舌な会話、表情)
食=欲望
というように撒き散らすタイプは
良くあるんだけど、
ここではそうでもなく。
・この監督のいたすシーンて
あんまり…なんだよなあ。
形式的と言うか。
綺麗すぎるというか。
ほぼ挿入だけで萌えない。
だからなのか、食事シーンが
前戯っぽく感じた。
最初のキスシーンが一番たぎるかな
(でもR15じゃないよなこれ)
・窓の使い方が特徴的
恭一の部屋、
打ちっぱなしコンクリの壁のグレーが、少し暗い印象だったけど、
見慣れると、ソファのダークグレー、
ナチュラル色の木材家具
シーツの白、
特にベージュのカーテンが印象的で
素敵だったー

ドアを使った場面の切り替え方って
良くあるけど(ここでは拒絶が多いかな)
窓からの眺めに
何を象徴させてたのかな?
→カーテン・レース・ガラス・植物・景色の多層的で…
ここに一番エロスを感じたかもなあ。


○さぐりさぐり
映画のラストシーンが
どうしてもわからなくて。
インタビュー記事やネットの感想、
原作2巻を読む。


映画を回想して各場面の感想

・自転車→おしり、後ろ姿おしり
旧式の車、詰め込まれた煙草→
コダワリ強そうだなこの方
スニーカーは白、会社で履き替えるのかな?ノータイだったし。
同僚細君へのプレゼントアドバイス
→好み詳し過ぎないか?元同僚?
仁王立ち、怪しい登場イマガセ
→人懐こい表情の恭一、かわいい
寿司で口止のつもりが
→まんまと口車に乗せられキス
→音が生々しすぎる…

・懲りもせずまた浮気か、
→オークラ担さん大丈夫か?と、
ちょっと心配になった
→自担で観たかったなー(真顔)

・妻
『可愛らしくて強か』
をとても分かりやすく具現化されていたなあ。あんな素敵な妻がいながら、なぜ浮気?流される男…ってだけなのかな?
一年も浮気されていても気付かない、それって愛情がないというよりも、内面の変化に興味がないんだろうなあ
「キモチワルイ」って最高の別れ言葉、言われたらもうなにも返せないもの。

・浮気相手
唐突ないたすシーンにびっくり。
取引先の人だったのか。
長い黒髪…綺麗…というよりも
この方絶対粘着質なタイプでしょ。
よく別れられたなあと心配になる。

・ナツキ
アジアン料理店でのシーンは面白かった。
ああいう探り合い、会話の応酬がある映画わりと好き
恭一の変化は、自身の根幹にも関わるという意識なのかな。恋愛感情以上の執着を感じた

・タマキ
この方は可愛らしくて強か
というよりも
『可愛らしく強い』のだろうね
だからこそ一番傷つけてはいけなかった
そこだけは恭一許すまじ。

・恭一
『クズ』という前評判があったものの
どうしてもそうは思えず…
身の回り物ののセンスの良さとか、
穏やかな口調や表情とか
醸し出される品の良さとか。
確かに人に対する行動はひどいのだけどね。

自分なりにシーンを回想していて
釣り堀の場面があったことで
なんとなく思ったこと。

会社でのタマキとのシーンでは
わざわざ場所を替えて二人きり
コーヒーを飲みながら優しく誉める
好意をぶつけるのでなく
相手を受け止め喜ばせるのが上手
あれで゛自分は何もしていない゛
はずるい

きっと日常的に周りのすべてに
優しく薫りたつ撒き餌を放ちつつ、
餌の付いてない釣り針を落としてる
物静かな川釣りのイメージ

もし恭一があの顔とあの地位を持っていなかったら
人畜無害のただのいい人で
終わっていたのかもしれないなー
だからかなあ、クズではなく普遍的だと思ってしまうのです

・イマガセ
今ヶ瀬は…三角座りのコンパクトがかわいすぎるでしょ、黒猫みたい
対面するときは、洞察力発揮して
相手を決めてかかって強気で押すのに、
一人になった途端、膝抱えて不安そうに

それが彼の生来の気質なのか、
さらされてきた現実からなのか。
そこを描かないからこそ
『恋愛映画』として引き立つんだろうなあ

渡されたワインと交わされた約束
言葉に出来ない噛み締める感じが
素敵だった

・原作との差異
ゲイバーのシーンって結構唐突な印象で。
イマガセを探しに行ってたのかなって
思ってたけど、なんか様子が違う
『自身が同性愛者なのか、
イマガセが好きなのかな?』を
自分自身に問うてたのかなあ。
一見ただの快楽主義者のような恭一が
自分にベクトルを向かせてくれる人に
対してはカテゴライズ化しない
独自の視点がある人なのだなあと
ちょっと興味深かった
(だからこそ、
タマキが常務と会っていたシーンで
不倫を疑い、冷めた視線を放つの
一番怖かったかもしれない)

鑑賞後、原作を読み直して
饒舌さにびっくりした
これこのまま映画化していたら
登場人物に好感持てなかったかもしれない
漫画だから、モノローグに感情移入しやすかったのだろうなって。

・ラストシーン
原作はハッピーエンド
映画は恭一はイマガセを待つ覚悟を決め
イマガセは受け入れられることでから逃げた
一目惚れしたときから変われずに
自分に向かない、
背中を見せつけられる相手だからこそ
好き勝手にわがままをぶつけられる
愛情表現しか知らなかったのだろうなあ

なんとなく、相手に同性愛の覚悟を持たせたくなかった…というのは違う気がする
イマガセは、そこまで相手のことなんて考えてあげてない

・勝手だけれども
個人的に、人様の意見は尊重したいのだけど
どうしても気になったこと

「イマガセが女子より女子、
一途で可愛かった」
女子=一途
というのは、寂しい考え方だなって
自ら枠を決めないでほしい
相手を枠に当てはめることは
理解しやすい反面、
自分の狭量を押し付けるだけに
繋がるようにも思える
(これは自分への戒めも含め)

「これはイケメンだから成立する」
わかる気もする
地元の単館で上映しているのが
「his」と
「リスタートはただいまのあとで」
どちらも主演二人は
若手の綺麗な男性俳優
だから自分とは関係ない世界として
シャットアウト
リアリティーも大切だけれども
新しい価値観に触れる時の
手触りのよさ入りやすさは
変化著しいこれからは
より必要なのだろうから

・どっちを選ぶ?
主人公二人の考え方が本当に理解できなくて。もう迷いまくっていたんですよ。
その中で、何かを読んだのかどうだか
忘れてしまったけど
自分だったら
愛される恭一になりたいのか
愛するイマガセになりたいのか
どちらになりたいか選ぶとすれば
を考えた

本来なら恭一を選ぶ
でもなんだか…
手練手管を凝らして落として
恋愛のことだけを突き詰めて考えて
自身に溺れるイマガセになりたいかも

ぜーったい、なれないだろうけど

二度目見るの迷ってたけど
色々な方の考察読んでたら
これから行定監督のインタビューみて
原作もう一回読んで
また映画館に行きたくなった


頭を整理させるためだけに
書きなぐっているので
この感情をまたうち壊すのが楽しみ







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