平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
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あれから1年

2011-03-18 10:38:47 | 猫のお部屋
 我が家の愛猫、エリカが旅立ってから、今日でちょうど1年になりました。
 今でも、エリカのかわいらしい姿は、はっきりと思い出すことができます。たくさんの思い出と愛情をいっぱいくれたエリカのことは、ずっと忘れないと思います。

 あれから1年、寂しくないと言ったら嘘になります。「エリカがいてくれたらいいなあ」と思うこと、「もう少し早く、病院に連れて行ってあげていたら…」と思うことも多々あります。それでも、エリカという、頭が良くてかわいらしい猫ちゃんと、15年近く、一緒に暮らせたのは幸せだったと思いますし、エリカのことを考えていやされることもよくあります。

 それと今、私をいやしてくれるのは、エリカの遺灰がおいてある仏壇の横にあるキティちゃんのぬいぐるみです。エリカとキティちゃん、白くて目がくりくりしているところ、本当によく似ているのです。なので、キティちゃんのぬいぐるみがエリカに見えることがよくあり、そのたびになでなでしています。
きっとエリカは時々降りてきて、私たちを見守っていると同時に、こんなに自分と似たぬいぐるみの中に入るなど、お茶目なことをやってくれているのかな?なんて、思ったりします。

 さて、昨年のエリカの誕生日の日、私は、「エリカ、15歳の誕生日に寄せて」という記事をUPしました。
 そして、その記事の最後に、エリカが旅立った前後、私の周りでは不思議なことが起きた」と書きました。そのことについてはまた改めて記事を書きますと書いておきながら、ずっと書けないでいました。エリカが旅立ってちょうど1年になる今日、そのことを記したいと思います。

 昨年の3月18日、エリカは病院に行った頃からほとんど危篤状態でした。それでも、家に帰ったあと、必死に私たちにすり寄ろうとしていたのです。3回ほど痙攣も起こしました。見ていて辛かったです。

 エリカには、私とだんなさん、それにだんなさんのお母さんが付き添っていました。それで、亡くなる1時間半くらい前だったでしょうか。お母さんが突然、「あれ、エリカちゃん、涙を流しているよ」と言ったのです。だんなさんも、「本当だ」と驚いていました。私は視力が弱いので、そこまでは見えませんでしたが。

 だんなさんもお母さんも、「猫が涙を流すなんて見たことがない」と言っていました。私は、mixiの猫のコミュで、「うちの猫は、亡くなる前に涙を流しました。」という書き込みを見たことがあったのですが、まさかエリカが、涙を流すとは考えもしなかったので、やはり驚きました。
 だんなさんの話では、エリカの目は、涙でうるんでいたそうです。
 エリカのあの涙はいったい、何を訴えたかったのか、今でもよくわかりません。お母さんは、「きっとお別れとお礼が言いたかったんだね」と言っていましたが…。
 もしかしたら、「もっと生き体よ」と泣いていたのかもしれません。もしそうだったとしたら、もっと早く病院に連れて行かなくて、エリカに申し訳なかったと思いますが…。

 でも、よく考えると、あの涙は、エリカの色々な思いが込められていたかもしれません。「ありがとう、」「さようなら」「もっと一緒にいたい」という…。あの涙を思い出すたび、少し辛くなりますが、エリカは頭が良かったから、人間みたいに涙を流したのかな…と、今では思ったりしています。

 エリカが亡くなる前、不思議なことはまだありました。
 ただ、これは単なる偶然だったかもしれませんが…。エリカが旅立とうとしているそのとき、テレビでは巨人ー中日のオープン戦が放映されていたのです。地元、静岡球場でのオープン戦だったので、地元の放送局が中継をしていたのです。

 実は、エリカは巨人ファンでした。
 私はこちらにも何回も書いていますように中日ファン、だんなさんはヤクルトファンで、私たちは二人とも、巨人が負けると嬉しいというアンチ巨人。なので私たちはよくエリカに、「巨人ファンなんてやめな」と言っていたのですが、どうもエリカは、巨人の選手のバッターボックスを真剣に見ているような所がありました。しかも、エリカに見つめられた選手はよく、ヒットやホームランを打ったのです。信じられない話かもしれませんが…。

 エリカが6歳の2001年、だんなさんが応援しているヤクルトにマジックが出ました。マジック1まではすんなり行ったのですが、そのあと、ヤクルトはなかなか勝てませんでした。その勝てない時期の試合相手が巨人でした。

 そんな時、私たちは、2階のテレビでヤクルトー巨人を観戦していましたが、そこにエリカが「ニャー」と言って入ってきました。バッターボックスには巨人の選手が立っています。エリカはその選手をじっと見つめています。何かいやな予感…と思ったら、その選手はホームランを打ち、たちまちヤクルトを逆転してしまいました。

 そして次の日、私たちはやはり2階のテレビでヤクルトー巨人を観戦していました。そんなとき、昨日と同じようにエリカの鳴き声がしたので、「だめ、あんたが入ってくると巨人が逆転するから」と言って閉め出してしまいました。
 するとエリカは、入り口の戸をかじって鳴き始めました。あまり鳴くので、「まあ、二日連続はないよね」と思って入れてあげることにしました。
 そして、戸を開けてエリカを部屋に入れてあげたとたん、何と、バッターボックスに立っていた巨人の選手がホームランを打ったのです。記憶が定かではないのですが、このときは同点ホームランだったと思います。エリカは、まるで勝ち誇ったように大きな声で「ギャー!」と泣きました。だんなさんは「だめだこりゃ」とあきれていました。もちろん、この日もヤクルトの優勝はお預けでした。

*2試合とも、私の記憶だけで書いていますので、実際はホームランではなく、ヒットだったかもしれません。でも、エリカが2試合とも巨人を応援し、ヤクルトの優勝を引き延ばしたことは確かなことです。

 結局ヤクルトは、エリカが階下の押入に入ったまま、出てこなかった日に優勝しました。

 このようなことは1度や二度ではありません。

 その上、私にとってはちょっと都合が悪いことに…、エリカは優勝を引き延ばしたくせに、ヤクルトをそんなに嫌っている様子がなかったのですが、中日は本当に嫌いなようでした。なので、中日ーヤクルトの時は明らかにヤクルトを応援していました。

 エリカが中日を嫌っていたということがわかる例をいくつか挙げてみますと…。

 1999年に中日がリーグ優勝したとき、私は嬉しくてたまらず、そばにいたエリカを膝の上に載せて、一緒に喜ぼうと思ったのですが、エリカはものすごく嫌がったので、びっくりしました。

 2000年だったと思いますが、巨人が中日戦でサヨナラ勝ちをし、リーグ優勝を決めたことがありましたが、確かエリカはその時、部屋で私たちと一緒にテレビを見ていました。私は悔しくてたまらなかったのに、エリカは嬉しそうにしっぽを振りながらニャーニャー鳴いていました。
 また、私が、「えりか、中日ファンになって」と言うと、怒ったような声を出すことが多かったです。

 なのでこの日に、エリカが最も巨人を応援したくなる巨人ー中日のオープン戦が放映されていたことが、私には偶然とは思えないのです。エリカにとっては大好きな巨人の試合を見ながら、旅立っていけるなんて…。これは功徳としか思えませんでした。

 不思議なことは次の日にも起こりました。
 朝、エリカを寝かせてある布団の前を通ったとき、私にはエリカの声が聞こえたのです。「ニャー」という、かわいらしい声でした。

 エリカは、亡くなる1時間くらい前に痙攣を起こしたのですが、それ以後は痙攣を起こしませんでした。私も座っているのが辛くなったので、「エリカちゃん、ちょっと休ませてね」と言い、エリカを撫で撫でし、そばで横になったのです。エリカはまだ、かすかに息をしていました。その時、だんなさんもお母さんも用事で部屋にいませんでした。
 間もなく、だんなさんが部屋に戻ってきました。そして、10分くらい経ったでしょうか。エリカがあまりにも静かなので、だんなさんがエリカのそばに寄ってみたところ、息をしていないことに気がついたのです。本当に、静かな最期でした。

 なので私の耳に聞こえたエリカの声も、静かで優しい声だったのかもしれません。「心配しないで」と言ってくれているようでした。苦しんでいるような声でなくて本当に良かった…。

 不思議なことは、その次の日、つまり20日にもありました。その話をするには、時間をエリカが旅立った日の午前中の動物病院に戻さなくてはなりません。

 この記事の最初の方でも触れた「エリカ、15歳の誕生日に寄せて」でも書きましたが、その日、病院での治療の時、「この子は、週を越せるかわかりません」と先生から言われました。覚悟はしていましたが、辛かったです。

 私たちはキャリーバックに入ったエリカを連れて待合室に戻ったのですが、いつ、何があってもいいように、食料を買っておこうということになりました。それでだんなさんに、病院から歩いて2~3分くらいの所にあるスーパーでの買い物をお願いしたのです。その間、私はエリカと一緒に、待合室で待つことにしました。

 だんなさんがスーパーに行ったあと、それと入れ違いに、年配の女性の方が猫用キャリーバックを持って入ってきました。そして、私の横に座ったのです。
 こんな時、いつもなら猫好き同士、会話がはずみます。その方も普通に、私に話しかけてきました。そしてキャリーバックの中のエリカを見て、「かわいい猫ちゃんだね」と言って下さったのです。

 実はエリカは、みんなから「かわいい」と言われるのが大好きでした。

 エリカがまだほんの子猫の頃から、動物病院に連れて行くと、誰かが必ず、「かわいい猫」と言って下さいました。そうするとエリカは、「ニャー」と言って愛嬌を振りまきました。するとみんな、「本当にかわいいね」と言って下さいます。飼い主にとっては、こんなに嬉しいことはありませんでした。

 そういえばつい1ヶ月前も、そんなことがあったのを思いだしました。暖かい日だったので、病院から家まで、エリカをキャリーバッグに入れて歩いて帰ったのです。そうしたら、道ですれ違った人に、「かわいい猫ちゃんがいる~」と言われました。
 するとエリカは、キャリーバッグの中で嬉しそうに「ニャー」と泣いて動き回っていました。キャリーバッグの中からでも愛嬌を振りまくなんて、本当に不思議な猫です。

 しかし、この日のエリカはもちろん、愛嬌を振りまく元気はありませんでした。そうしたら、急に悲しくなって、涙があふれてきました。
 隣に座られた女性は、これには驚いたらしく、「どうしたの」と尋ねてきました。
「病気で…、もう…、週を越せるかどうかも…わからないそうなのです。」
 私はしゃくり上げながら、それだけやっと言いました。そして、あとから、あとから涙があふれてきました。
「わかるよ。私も猫と別れたからね。でも、誰もが通る道だから、そんなに哀しまないで」
 その方はそう言って、私の背中を撫でて下さいました。そのうちにやっと私も落ち着いて、色々話せるようになりました。

 その方の連れていた猫ちゃんは、前の猫ちゃんが21歳で旅立ってから1年後に、家に迷い込んできたのだそうです。でも、猫エイズにかかっていて、この先、どうなるかわからないとか。ペットを飼っている以上、病気や死は、避けられないのだと思いました。

 エリカは、その日の午後に旅立ちました。そして、2日後に、私たちはエリカを市の斎場に連れて行きました。その時のことは、こちらの日記に書いてあります。

 それで、斎場に行ったあと、その足で動物病院に向かいました。お世話になった獣医の先生に一言、お礼を言いたかったのです。その後、近くのスーパーに買い物に行きました。
 スーパーの入り口で、誰かから声をかけられました。なんと、エリカが旅だった日の動物病院で、私を慰めて下さった女性だったのです。これも、エリカが引き合わせてくれたとしか思えませんでした。それで私は、あの日にエリカが旅立ってしまったこと、エリカはいなくなってしまったけれど、元気に頑張るからと話して、お別れしました。

 エリカがいなくなってしまって1年、私は元気で頑張れたのかな?と考えると、やはりちょっと首を傾げてしまいます。ペットロスにもなりましたし、エリカのことを考えて寂しくなり、涙を流したこともたびたびです。
 でも最近、エリカのことをだんなさんと笑って話せるようになってきました。そして会話の最後に言う言葉は、「本当にかわいくて、頭が良くて、面白くて、不思議な猫だったね」です。

 向こうに行って1年、エリカもきっと友達ができて、楽しくやっているだろうなあと思います。エリカはかわいいから、きっとみんなにかわいがられているだろうなとも…。

 いつか私も、エリカの所に行ったとき、「ママは精一杯生きたんだよ」と、エリカに話せるように、頑張っていこうと思います。
 そして最後に一言。ありがとう、エリカちゃん!

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