だんなさんとお別れしてからこの7日で3年になりました。
お恥ずかしながら未だに社会復帰できず、不安症状も時々出る私。
特に今の時期になると辛かった介護の日々やお通夜やお葬式のこと、そのあとの眠剤と安定剤に頼っていた日々のことを思い出して辛い気持ちになります。
そして、だんなさんと過ごしていた日々のことも色々思い出します。
先日、何年かぶりに「アンネの日記」」を再読していたら、「普通の生活をしていた頃の私と隠れ家で生活するようになった今の私とでは別人のような気がする」というような文章が出てきました。私も、だんなさんと生活していた頃の自分と今の自分は別人のようだと思い、読みながら思わずうなずいてしまいました。
3年も経ってしまうと、あの頃は夢のような気がします。
特に、だんなさんがいなくなって出来なくなったことがたくさんあるので。
頻繁な外出や外食が出来ないので、あの頃の私は本当に贅沢をしていたのだなと、心から思います。
そして、だんなさんには頼り切っていたなと。何度も引っ越しましたが、引っ越しの手続きも、旅行に行くときの手配もみんな、だんなさんにやってもらっていた。その他、挙げればきりがないです。
更に、こちらのブログ作成も、写真のUPなどを手伝ってもらっていました。最近の私は、また視力が下がってしまったので携帯で写真を1枚撮るのもこれまで以上に大変。だんなさんがいた頃は、お願いすればすぐに携帯で写真を撮ってくれたのになあ。そして、旅行に行ったときはデジカメで写真を撮ってもらい、ブログの編集画面にUPしてもらっていました。
なので、史跡巡りをして、その写真をブログに載せることが出来なくなってしまいました。
先日、地元の放送局で、「伊勢物語」の東下りの段に出てくるつたの細道を紹介していました。こちらは以前住んでいた島田市からわりと近いので、いつか訪れて紹介しようと思っていたのです。
その他、登呂遺跡とか、家の近所にあった芭蕉の句碑とか、紹介したかったなあ。でも視力の関係で一人で行くのは無理だし。史跡巡りはやはりハードルが高いです。そう考えると、こちらのブログの方向性が少しずつ変わってしまうのは仕方がないのかも。
と、愚痴のようなことを書いてしまいましたが。
でも、楽しいこともたくさんあります。
だんなさんがいなくなったら生きていけない…とおもったこともありましたが、こうして生きているし。
家でだんなさんがセットしてくれたサピエ図書館やパソコンを通して読書が出来ること。携帯やパソコンでネットが出来ること。
体の不自由な父の役に少しでも立てること。
月に3~4回くらい、外出できること。そして、一緒に買い物につき合ってくれたり、ランチしてくれる友達がいること。これはもう、本当にありがたいことです。
そして、2~3ヶ月に1回の金吾さんの泊まりがけライブ旅行。
お泊まりでのお出かけは、だんなさんと一緒にいるときよりもかえって多くなったかもしれません。
金吾さんに引き寄せられたことがきっかけで、お友達が増えました。だんなさんとお別れしたときは、新しい友達は出来ないと思ったし、もういらないとも思っていました。でも、新しい友達がどんどん出来ています。
もしかするとだんなさんは、私が寂しくないように、色々取り計らってくれたのかもしれません。
そうかんがえると、やっぱり見守ってくれているのかなと…。
失った物もたくさんありますが、新しく得た物もたくさんあります。そんなわけで、私は元気に楽しくやっています。
諸事情で供養もお墓参りも出来ず、本当に申し訳ないと思っていますが、私なりの供養(twitterで、島田市の透析事情の改善について3日に1回、、つぶやくこと)はやっていこうと思っています。
なので猫のエリカちゃんといっしょに、私を見守っていてね。
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お恥ずかしながら未だに社会復帰できず、不安症状も時々出る私。
特に今の時期になると辛かった介護の日々やお通夜やお葬式のこと、そのあとの眠剤と安定剤に頼っていた日々のことを思い出して辛い気持ちになります。
そして、だんなさんと過ごしていた日々のことも色々思い出します。
先日、何年かぶりに「アンネの日記」」を再読していたら、「普通の生活をしていた頃の私と隠れ家で生活するようになった今の私とでは別人のような気がする」というような文章が出てきました。私も、だんなさんと生活していた頃の自分と今の自分は別人のようだと思い、読みながら思わずうなずいてしまいました。
3年も経ってしまうと、あの頃は夢のような気がします。
特に、だんなさんがいなくなって出来なくなったことがたくさんあるので。
頻繁な外出や外食が出来ないので、あの頃の私は本当に贅沢をしていたのだなと、心から思います。
そして、だんなさんには頼り切っていたなと。何度も引っ越しましたが、引っ越しの手続きも、旅行に行くときの手配もみんな、だんなさんにやってもらっていた。その他、挙げればきりがないです。
更に、こちらのブログ作成も、写真のUPなどを手伝ってもらっていました。最近の私は、また視力が下がってしまったので携帯で写真を1枚撮るのもこれまで以上に大変。だんなさんがいた頃は、お願いすればすぐに携帯で写真を撮ってくれたのになあ。そして、旅行に行ったときはデジカメで写真を撮ってもらい、ブログの編集画面にUPしてもらっていました。
なので、史跡巡りをして、その写真をブログに載せることが出来なくなってしまいました。
先日、地元の放送局で、「伊勢物語」の東下りの段に出てくるつたの細道を紹介していました。こちらは以前住んでいた島田市からわりと近いので、いつか訪れて紹介しようと思っていたのです。
その他、登呂遺跡とか、家の近所にあった芭蕉の句碑とか、紹介したかったなあ。でも視力の関係で一人で行くのは無理だし。史跡巡りはやはりハードルが高いです。そう考えると、こちらのブログの方向性が少しずつ変わってしまうのは仕方がないのかも。
と、愚痴のようなことを書いてしまいましたが。
でも、楽しいこともたくさんあります。
だんなさんがいなくなったら生きていけない…とおもったこともありましたが、こうして生きているし。
家でだんなさんがセットしてくれたサピエ図書館やパソコンを通して読書が出来ること。携帯やパソコンでネットが出来ること。
体の不自由な父の役に少しでも立てること。
月に3~4回くらい、外出できること。そして、一緒に買い物につき合ってくれたり、ランチしてくれる友達がいること。これはもう、本当にありがたいことです。
そして、2~3ヶ月に1回の金吾さんの泊まりがけライブ旅行。
お泊まりでのお出かけは、だんなさんと一緒にいるときよりもかえって多くなったかもしれません。
金吾さんに引き寄せられたことがきっかけで、お友達が増えました。だんなさんとお別れしたときは、新しい友達は出来ないと思ったし、もういらないとも思っていました。でも、新しい友達がどんどん出来ています。
もしかするとだんなさんは、私が寂しくないように、色々取り計らってくれたのかもしれません。
そうかんがえると、やっぱり見守ってくれているのかなと…。
失った物もたくさんありますが、新しく得た物もたくさんあります。そんなわけで、私は元気に楽しくやっています。
諸事情で供養もお墓参りも出来ず、本当に申し訳ないと思っていますが、私なりの供養(twitterで、島田市の透析事情の改善について3日に1回、、つぶやくこと)はやっていこうと思っています。
なので猫のエリカちゃんといっしょに、私を見守っていてね。
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