
今回は、「済子女王」で検索をかけて偶然見つけたこの本を紹介します。
☆光源氏になった皇子たち ー源高明と章明親王の場合
著者=西穂 梓 発行=郁朋社 価格=1575円
☆本の内容
大和絵三大秘戯図のひとつ、偃息図「小柴垣草子」のヒロインに貶められた廃斎王済子女王。煌びやかに繰り広げられる王朝絵巻の背後で蠢く権力欲のどす黒い罠に絡め取られた章明親王一族の貴種流離の様を鎮魂の思いを込めて描き出す藤原為時の娘香子がそこにいた。
[目次]
神泉苑/異母兄/崩御/安和の変/中川の辺り/花山王朝誕生/麗ノ女御/斎王卜定/野宮の笛/落飾出離/再会/そして物語は始まった
済子女王とか、源高明とか章明親王を中心に描かれた歴史小説などめったにないので、内容と目次を見てぜひ読んでみたいと思いました。
それに、章明親王の母方の祖父は藤原兼輔、つまり紫式部の曾祖父に当たる人物です。しかも、角田文衞先生の『紫式部伝 ーその生涯と源氏物語』によると、式部の家と親王の家は隣同士だったそうです。なのでこの小説はそのあたりにも注目し、為時・式部親子と章明親王・済子女王親子との親しい交際にも触れているかもしれない…と、わくわくしました。そのようなわけで、この本の存在を知ってから10分後には、amazonのページで購入ボタンを押していました。
さて、そんなわけで、本が手元に届いたその日から早速読み始めました。そして、期待以上に面白く、ストーリーにぐんぐん引き込まれてしまいました。
物語は、延長元年(923)のある日の神泉苑から始まります。そしてそこで、ともに醍醐天皇の皇子である源高明と章明親王が出会い、何となく気が合い、同時に相手を意識するのですが、その後、全く対照的な人生を歩むこととなるのです。
つまり高明は、藤原摂関家の娘を次々と妻に迎え、ついには左大臣にまで出世します。それに対して章明親王は出世に背を向け、一親王として趣味と風流の道に生きることとなります。「そのようにしていれば、政争に巻き込まれることもなく、平穏な人生を送ることができる」と考えたからです。そのため章明親王の目からは、高明は、次第に摂関家に挑戦していくようで危うく見えたのでした。
『光源氏になった皇子たち』の前半部分は、この2人の心の動きを中心に、安和の変に至るまでの政治状況が語られていきます。
小説の前半部分で圧巻なのは、「崩御」の章です。
この章の前半は、天徳内裏歌合わせについて描かれています。そして、優雅な歌合わせの裏には、源高明を中心とした源氏グループと、藤原実頼を中心とした藤原氏グループとの対立があったと描かれているのです。そのため、歌合わせの描写は緊迫感があり、読んでいてわくわくしました。
後半は、村上天皇崩御の直前、藤原師尹と、彼の甥に当たる伊尹・兼通・兼家兄弟の密談が描かれています。密談の内容は、源高明の娘を妻にしている為平親王ではなく、まだ幼い守平親王を時期東宮にしようというものでした。会話からは4人の性格の違いがよく表現されていて、こちらも読みながらわくわくしました。特に、兼家の策謀家ぶりが光っています。
そうこうしているうちに村上天皇は崩御され、東宮憲平親王が即位します(冷泉天皇)。高明は当然、次の東宮はすぐ下の弟で自分の娘婿にも当たる為平親王が立てられるものと確信していました。しかし、師尹・伊尹・兼通・兼家によって公卿たちに根回しがされ、時期東宮は守平親王に決まってしまいます。そして、その二年後の安和二年(969)に起こった安和の変によって、「守平親王を廃し、為平親王を東宮に立てようとした」というぬれぎぬを着せられた高明は失脚、太宰府に左遷されてしまいました。章明親王は、ここでも政争に巻き込まれることを恐れ、高明の左遷を傍観していました。
ここまでが、安和の変に至るまでのストーリーです。では、その先のストーリーも紹介しますね。いよいよ済子女王も登場してきます。
安和の変の年、冷泉天皇は退位、守平親王が即位します(円融天皇)。円融天皇の治世は15年、次に即位したのが冷泉天皇が伊尹の娘、懐子との間にもうけた師貞親王、つまり花山天皇です。東宮には、藤原兼家の娘、詮子が産んだ懐仁親王が立てられました。
ところで、天皇の御代が代わると、天皇に代わって伊勢神宮に奉仕する未婚の内親王または女王が選ばれます。これを斎王というのですが、花山天皇御代の斎王に選ばれたのが、章明親王の娘、済子女王でした。
私はこの記事の最初の方で、「済子女王」で検索をかけてこの本を見つけたと書きました。済子女王については、拙ブログの醍醐天皇の系譜の記事でも簡単に触れているのですが、ここでも『平安時代史事典』をもとにもう一度紹介させていただきます。
☆済子女王(生没年不詳)。章明親王の女。花山天皇御代の伊勢斎王。永観二年(984)、斎王卜定。翌寛和元年(985)九月、野宮に入る。翌年、滝口武士平致光との密通が露見し、斎王を退下する。密通は、女房の宰相君の手引きであったという。女王のその後の消息は不明。
多分、斎王に卜定されたのは二十歳くらいだったのだろうし、それまで大切に育てられ恋することも知らなかった女王の目から見て、護衛の滝口武士は男らしく、勇ましく見え、恋に落ちてしまったのだろうなあ。滝口の武士という、身分の低い男性が相手だったから噂が立ってしまったのだろうけれど、在原業平と恬子内親王のように、周りがひた隠しにするということもできただろうに、ちょっとお気の毒…。済子女王のことを知ったとき、私はそう思いました。同時にこの女性になぜか心を引かれ、もっと詳しく知りたいとも思いました。なので時折、「済子女王」でネット検索をかけて色々調べていたのです。
さて、『光源氏になった皇子たち』の中でももちろん、済子女王の密通事件が取り上げられています。しかしその内容は、密通とは名ばかりのものでした。小説で描かれている内容を簡単にご紹介すると…。
平致光は桓武平氏高望流の人物で、藤原道隆(兼家の子)によって野宮の警備を命じられます。そんな致光は笛の名手でした。そのことを知った女王は、「致光の笛を聞いてみたい」と女房の宰相君にねだります。女王は音楽が好きで琴の演奏が得意でした。「致光の笛を聞いてみたい」という願いは、ごく自然なことだったと思います。
こうして致光は、済子女王のために笛を演奏するようになり、時には女王の琴と合奏することもありました。そうこうしているうちに、女王は致光のことを好ましく思うようになります。このように彼女は、とても純粋な心を持った女性に描かれているのです。致光も、知らず知らずのうちに女王に気持ちが向いていたのかもしれません。
ある時、済子女王の御簾の仲に獣が進入し、女王は気を失ってしまいます。そばには致光の他、誰もいませんでした。致光は御簾の中に入り、女王を介抱します。そして、そこを女房に見とがめられ、「斎王さま密通」と大騒ぎになり、済子女王は斎王を退下させられてしまった…、ただそれだけのことなのです。
実は、2人が相手を意識するような関係になるように仕向け、「斎王さま密通」の噂を立てること、それはあらかじめ仕組まれたわなだった…と、この小説では描かれていました。それが誰によってどのように仕組まれたかはネタばれになってしまうので書くのは控えますが、この事件は花山天皇退位の大きな原因を作ったことは確かなのではないでしょうか。
すなわち、斎王密通が発覚したのが寛和二年六月十九日、花山天皇が出家したのがその四日後の六月二十三日です。花山天皇は寵愛していたのにもかかわらず、妊娠中に亡くなってしまった女御、藤原(女氏)子のことが忘れられず、それにつけ込んだ藤原道兼(兼家の子)が天皇をだまし、内裏から連れ出して出家させたと言われています。道兼は言うまでもなく、父兼家の密命を帯びていたと考えられます。
そして、その四日前に、自分の名代として伊勢神宮に奉仕することになっていた斎王がこともあろうに野宮で密通し、斎王を退下させられたという、前代未聞の事件が起こり、その事件が神経質で感じやすい花山天皇の心にショックを与えた。そして、「これは私が天皇であることを神が怒っているのではないか?」と考え込んで悩み苦しんだとしてもおかしくないと思うのですよね。そんな悩みが出家の一つの引き金になったことも、充分考えられると思います。
つまり逆に言うと、自分の孫である東宮懐仁親王の1日も早い即位と、自分の摂政就任を熱望する藤原兼家やその息子たちが、斎王密通事件をでっち上げたとも考えられるわけです。
以上のことから、この小説で描かれた済子女王と平致光の密通事件の描写やその背景は、非常に納得できるものでした。
それにしてもお気の毒なのは、政争の犠牲者になってしまった済子女王と致光です。特に済子女王は200年後、偃息図「小柴垣草子」で、身分の低い男と密通するみだらな姿の女性として描かれてしまいました。廃斎王、ふしだらな女と更に烙印を押されてしまったことになります。考えれば考えるほどお気の毒になります。
しかし、『光源氏になった皇子たち』では、史料には記載されていない済子女王の思いがけぬ後半生が描かれていました。その内容も核心部分なので書くのを控えますが、著者の心意気というか、済子女王に対する優しいまなざしが感じられ、読んでいて心が暖かくなりました。斎王退下後の彼女の消息は不明のようですが、この小説で描かれたような後半生であって欲しい、私は心からそう思いました。
ところで、私がこの小説に期待していたこと、紫式部一家と章明親王一家との親しい交際についても、しっかりと取り上げられていました。
幼い紫式部(この小説では香子となっていたので、以下はこの名前で通します)が、父為時に連れられて章明親王の家を訪ねる場面もあります。また、済子女王の斎王退下後、その裏にあるどす黒い陰謀に気づいた章明親王は、宮廷社会との交際を絶ってしまうのですが、為時一家とは相変わらず親しく交際していました。
更に小説のラストは、香子が、源高明や章明親王を映し出した理想の人物の物語を書いてみよう」と決心し、墨をする場面です。二つの家庭の心の交流が伝わってきて、すがすがしい終わり方だと感じました。また、その時に香子が書こうとしている物語こそ、言うまでもなく「源氏物語」です。
それともう一つ…、この小説で、私は花山天皇のイメージが変わりました。花山天皇はこの国を良くしようと、革新的な政治を行ったようなのです。彼は多趣味で、芸術に優れた人物ですが、政治力はなかったのでは…と今まで思っていたのですが、どうしてどうして、政治的にもなかなか優れた天皇だったのかもしれませんね。花山天皇についてはもっと色々調べてみたいと思いました。
以上、時々脱線もしながら、長々とこの『光源氏になった皇子たち』について述べて参りましたが、読み終わった感想は、「久しぶりにわくわくする歴史小説を読むことが出来た」です。二十数年前、私が歴史に興味を持ち始めた頃、歴史小説を夢中になって読んでいた新鮮な気持ちを思い出すこともできました。
そして、登場人物の性格の書き分けが面白かったです。高明、章明親王、済子女王、致光、香子はもちろんですが、敵役の兼家が魅力的でした。何となく憎めないキャラクターなのですよね、彼…。
それと、登場人物の会話の部分がとても多いので、劇画を見ているような感覚でさくさくと読めます。何よりも、今まであまり小説に登場しなかった平安人物がたくさん出てきますし、安和の変や花山天皇御代をこれだけ真正面から描いた歴史小説は初めてではないでしょうか。お薦めです。
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☆光源氏になった皇子たち ー源高明と章明親王の場合
著者=西穂 梓 発行=郁朋社 価格=1575円
☆本の内容
大和絵三大秘戯図のひとつ、偃息図「小柴垣草子」のヒロインに貶められた廃斎王済子女王。煌びやかに繰り広げられる王朝絵巻の背後で蠢く権力欲のどす黒い罠に絡め取られた章明親王一族の貴種流離の様を鎮魂の思いを込めて描き出す藤原為時の娘香子がそこにいた。
[目次]
神泉苑/異母兄/崩御/安和の変/中川の辺り/花山王朝誕生/麗ノ女御/斎王卜定/野宮の笛/落飾出離/再会/そして物語は始まった
済子女王とか、源高明とか章明親王を中心に描かれた歴史小説などめったにないので、内容と目次を見てぜひ読んでみたいと思いました。
それに、章明親王の母方の祖父は藤原兼輔、つまり紫式部の曾祖父に当たる人物です。しかも、角田文衞先生の『紫式部伝 ーその生涯と源氏物語』によると、式部の家と親王の家は隣同士だったそうです。なのでこの小説はそのあたりにも注目し、為時・式部親子と章明親王・済子女王親子との親しい交際にも触れているかもしれない…と、わくわくしました。そのようなわけで、この本の存在を知ってから10分後には、amazonのページで購入ボタンを押していました。
さて、そんなわけで、本が手元に届いたその日から早速読み始めました。そして、期待以上に面白く、ストーリーにぐんぐん引き込まれてしまいました。
物語は、延長元年(923)のある日の神泉苑から始まります。そしてそこで、ともに醍醐天皇の皇子である源高明と章明親王が出会い、何となく気が合い、同時に相手を意識するのですが、その後、全く対照的な人生を歩むこととなるのです。
つまり高明は、藤原摂関家の娘を次々と妻に迎え、ついには左大臣にまで出世します。それに対して章明親王は出世に背を向け、一親王として趣味と風流の道に生きることとなります。「そのようにしていれば、政争に巻き込まれることもなく、平穏な人生を送ることができる」と考えたからです。そのため章明親王の目からは、高明は、次第に摂関家に挑戦していくようで危うく見えたのでした。
『光源氏になった皇子たち』の前半部分は、この2人の心の動きを中心に、安和の変に至るまでの政治状況が語られていきます。
小説の前半部分で圧巻なのは、「崩御」の章です。
この章の前半は、天徳内裏歌合わせについて描かれています。そして、優雅な歌合わせの裏には、源高明を中心とした源氏グループと、藤原実頼を中心とした藤原氏グループとの対立があったと描かれているのです。そのため、歌合わせの描写は緊迫感があり、読んでいてわくわくしました。
後半は、村上天皇崩御の直前、藤原師尹と、彼の甥に当たる伊尹・兼通・兼家兄弟の密談が描かれています。密談の内容は、源高明の娘を妻にしている為平親王ではなく、まだ幼い守平親王を時期東宮にしようというものでした。会話からは4人の性格の違いがよく表現されていて、こちらも読みながらわくわくしました。特に、兼家の策謀家ぶりが光っています。
そうこうしているうちに村上天皇は崩御され、東宮憲平親王が即位します(冷泉天皇)。高明は当然、次の東宮はすぐ下の弟で自分の娘婿にも当たる為平親王が立てられるものと確信していました。しかし、師尹・伊尹・兼通・兼家によって公卿たちに根回しがされ、時期東宮は守平親王に決まってしまいます。そして、その二年後の安和二年(969)に起こった安和の変によって、「守平親王を廃し、為平親王を東宮に立てようとした」というぬれぎぬを着せられた高明は失脚、太宰府に左遷されてしまいました。章明親王は、ここでも政争に巻き込まれることを恐れ、高明の左遷を傍観していました。
ここまでが、安和の変に至るまでのストーリーです。では、その先のストーリーも紹介しますね。いよいよ済子女王も登場してきます。
安和の変の年、冷泉天皇は退位、守平親王が即位します(円融天皇)。円融天皇の治世は15年、次に即位したのが冷泉天皇が伊尹の娘、懐子との間にもうけた師貞親王、つまり花山天皇です。東宮には、藤原兼家の娘、詮子が産んだ懐仁親王が立てられました。
ところで、天皇の御代が代わると、天皇に代わって伊勢神宮に奉仕する未婚の内親王または女王が選ばれます。これを斎王というのですが、花山天皇御代の斎王に選ばれたのが、章明親王の娘、済子女王でした。
私はこの記事の最初の方で、「済子女王」で検索をかけてこの本を見つけたと書きました。済子女王については、拙ブログの醍醐天皇の系譜の記事でも簡単に触れているのですが、ここでも『平安時代史事典』をもとにもう一度紹介させていただきます。
☆済子女王(生没年不詳)。章明親王の女。花山天皇御代の伊勢斎王。永観二年(984)、斎王卜定。翌寛和元年(985)九月、野宮に入る。翌年、滝口武士平致光との密通が露見し、斎王を退下する。密通は、女房の宰相君の手引きであったという。女王のその後の消息は不明。
多分、斎王に卜定されたのは二十歳くらいだったのだろうし、それまで大切に育てられ恋することも知らなかった女王の目から見て、護衛の滝口武士は男らしく、勇ましく見え、恋に落ちてしまったのだろうなあ。滝口の武士という、身分の低い男性が相手だったから噂が立ってしまったのだろうけれど、在原業平と恬子内親王のように、周りがひた隠しにするということもできただろうに、ちょっとお気の毒…。済子女王のことを知ったとき、私はそう思いました。同時にこの女性になぜか心を引かれ、もっと詳しく知りたいとも思いました。なので時折、「済子女王」でネット検索をかけて色々調べていたのです。
さて、『光源氏になった皇子たち』の中でももちろん、済子女王の密通事件が取り上げられています。しかしその内容は、密通とは名ばかりのものでした。小説で描かれている内容を簡単にご紹介すると…。
平致光は桓武平氏高望流の人物で、藤原道隆(兼家の子)によって野宮の警備を命じられます。そんな致光は笛の名手でした。そのことを知った女王は、「致光の笛を聞いてみたい」と女房の宰相君にねだります。女王は音楽が好きで琴の演奏が得意でした。「致光の笛を聞いてみたい」という願いは、ごく自然なことだったと思います。
こうして致光は、済子女王のために笛を演奏するようになり、時には女王の琴と合奏することもありました。そうこうしているうちに、女王は致光のことを好ましく思うようになります。このように彼女は、とても純粋な心を持った女性に描かれているのです。致光も、知らず知らずのうちに女王に気持ちが向いていたのかもしれません。
ある時、済子女王の御簾の仲に獣が進入し、女王は気を失ってしまいます。そばには致光の他、誰もいませんでした。致光は御簾の中に入り、女王を介抱します。そして、そこを女房に見とがめられ、「斎王さま密通」と大騒ぎになり、済子女王は斎王を退下させられてしまった…、ただそれだけのことなのです。
実は、2人が相手を意識するような関係になるように仕向け、「斎王さま密通」の噂を立てること、それはあらかじめ仕組まれたわなだった…と、この小説では描かれていました。それが誰によってどのように仕組まれたかはネタばれになってしまうので書くのは控えますが、この事件は花山天皇退位の大きな原因を作ったことは確かなのではないでしょうか。
すなわち、斎王密通が発覚したのが寛和二年六月十九日、花山天皇が出家したのがその四日後の六月二十三日です。花山天皇は寵愛していたのにもかかわらず、妊娠中に亡くなってしまった女御、藤原(女氏)子のことが忘れられず、それにつけ込んだ藤原道兼(兼家の子)が天皇をだまし、内裏から連れ出して出家させたと言われています。道兼は言うまでもなく、父兼家の密命を帯びていたと考えられます。
そして、その四日前に、自分の名代として伊勢神宮に奉仕することになっていた斎王がこともあろうに野宮で密通し、斎王を退下させられたという、前代未聞の事件が起こり、その事件が神経質で感じやすい花山天皇の心にショックを与えた。そして、「これは私が天皇であることを神が怒っているのではないか?」と考え込んで悩み苦しんだとしてもおかしくないと思うのですよね。そんな悩みが出家の一つの引き金になったことも、充分考えられると思います。
つまり逆に言うと、自分の孫である東宮懐仁親王の1日も早い即位と、自分の摂政就任を熱望する藤原兼家やその息子たちが、斎王密通事件をでっち上げたとも考えられるわけです。
以上のことから、この小説で描かれた済子女王と平致光の密通事件の描写やその背景は、非常に納得できるものでした。
それにしてもお気の毒なのは、政争の犠牲者になってしまった済子女王と致光です。特に済子女王は200年後、偃息図「小柴垣草子」で、身分の低い男と密通するみだらな姿の女性として描かれてしまいました。廃斎王、ふしだらな女と更に烙印を押されてしまったことになります。考えれば考えるほどお気の毒になります。
しかし、『光源氏になった皇子たち』では、史料には記載されていない済子女王の思いがけぬ後半生が描かれていました。その内容も核心部分なので書くのを控えますが、著者の心意気というか、済子女王に対する優しいまなざしが感じられ、読んでいて心が暖かくなりました。斎王退下後の彼女の消息は不明のようですが、この小説で描かれたような後半生であって欲しい、私は心からそう思いました。
ところで、私がこの小説に期待していたこと、紫式部一家と章明親王一家との親しい交際についても、しっかりと取り上げられていました。
幼い紫式部(この小説では香子となっていたので、以下はこの名前で通します)が、父為時に連れられて章明親王の家を訪ねる場面もあります。また、済子女王の斎王退下後、その裏にあるどす黒い陰謀に気づいた章明親王は、宮廷社会との交際を絶ってしまうのですが、為時一家とは相変わらず親しく交際していました。
更に小説のラストは、香子が、源高明や章明親王を映し出した理想の人物の物語を書いてみよう」と決心し、墨をする場面です。二つの家庭の心の交流が伝わってきて、すがすがしい終わり方だと感じました。また、その時に香子が書こうとしている物語こそ、言うまでもなく「源氏物語」です。
それともう一つ…、この小説で、私は花山天皇のイメージが変わりました。花山天皇はこの国を良くしようと、革新的な政治を行ったようなのです。彼は多趣味で、芸術に優れた人物ですが、政治力はなかったのでは…と今まで思っていたのですが、どうしてどうして、政治的にもなかなか優れた天皇だったのかもしれませんね。花山天皇についてはもっと色々調べてみたいと思いました。
以上、時々脱線もしながら、長々とこの『光源氏になった皇子たち』について述べて参りましたが、読み終わった感想は、「久しぶりにわくわくする歴史小説を読むことが出来た」です。二十数年前、私が歴史に興味を持ち始めた頃、歴史小説を夢中になって読んでいた新鮮な気持ちを思い出すこともできました。
そして、登場人物の性格の書き分けが面白かったです。高明、章明親王、済子女王、致光、香子はもちろんですが、敵役の兼家が魅力的でした。何となく憎めないキャラクターなのですよね、彼…。
それと、登場人物の会話の部分がとても多いので、劇画を見ているような感覚でさくさくと読めます。何よりも、今まであまり小説に登場しなかった平安人物がたくさん出てきますし、安和の変や花山天皇御代をこれだけ真正面から描いた歴史小説は初めてではないでしょうか。お薦めです。
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