妖しい亜熱泰

タイと東京、アジアと和の話題など。
出かけたついでに一枚をつづります。

ナマステインディアとエジプト展

2008-09-29 | Weblog
週末の代々木公園はインドだった。地下鉄、明治神宮前駅の改札を出るとあたりにはサリーちゃんがいっぱい。東京近辺にこんなにもインド系の人たちが住んでいたのかとびっくり。

ナマステインディアは毎年行われるインドの催事です。中央のステージではヒンディ音楽とかインド舞踊とかやっていまして、ムードが盛り上がります。インド舞踊は毎年見ているスリランカ舞踊と比べて、テンポが早い。ヒンディ文化の影響が大きいタイと似ているかなと思っていたら、あまり似てなかった。
スピードでいうと、インド舞踊はタイ舞踊とベリーダンスの中間ぐらいだろう。

食堂ブースに移動すると、すごい行列ができていた。最近はサモサやケバブも日本に定着して食べている人が増えてきたようだ。でもインドといえばやっぱりカレーでしょ。ということで、キーマーカレーとインドビール(マハラジャビール)を注文。焼きたてのナンで食べるカレーは美味しい。

会場を後にして、副都心線に乗って雑司が谷へ。駅からすぐにひのき参道が伸びていて鬼子母神に着く。この日は月に一度の市の日にあたり、なかなかの賑わいぶり。鬼子母神は元々インドの訶梨帝母(カリテイモ)で、暴虐だったがお釈迦さまに諭され、安産・子育の神様になったという。インドつながりです。

御参りをすませ北上すること10分ほどでサンシャインに到着します。ここの古代オリエント博物館で「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」をやってました。会期末ということでかなりの人出。大発見の歴史を文字、発掘品の展示、映像などでうまくまとめていて、わかりやすい。日本で最後の公開という青いミイラマスクは何千年も前のものなのに色鮮やかで、皆さん見入ってました。新聞などで散発的に報じられる考古学の発見もこうして、時代を追ってまとめて展示すると意義がよくわかります。

なかなか充実の中近東半日ツアーでありました。

はとバス60周年

2008-09-27 | Weblog
東京に住んでいると、都内の名所とか聞かれても困ってしまうことがしばしばだ。
そんなときは、はとバスに乗ればいいじゃないと答えるのが一番。東京タワーや国会議事堂、下町散策など知っていながら日頃訪れることがない場所にガイドさん付きで連れて行ってもらえるのだから便利だ。私は子供の頃、祖母が上京したときに乗って以来、ご無沙汰だが。

そのはとバスが、今年で60周年だそうだ。晴海埠頭で記念の催事が行われた。
屋外の会場では、歴代の車両やクレーン車などの展示や関連グッズなどの販売など。
昔のバスを見て、自分が乗った頃を思い出した。
はとバスの催事なのに、意外な人気だったのが警視庁の女性白バイ隊クイーンスターズの模範演技走行。交通安全のお姉さんかと思いきや、斜め交差とかすごい技に「うぉっ」と声が上がっていた。

屋内では、昔の写真展とか物産展それにスペシャルステージ。こちらはバスガイドが主役。
歴代バスガイドの制服姿がならぶと壮観です。
「♪東京のバスガイド~」 歌もなつかしい。

日ごろ付き合いのない、近所のお屋敷をのぞくような不思議な気分のひと時でありました。


チェンマイ モン族の村

2008-09-25 | Weblog
ラオスからチェンマイに入った。タイに入るとほっとする。お金のこととか目的地への交通手段とかを、いちいち迷わずにすむからだ。

有名なドイステープ寺院の先に少数民族、モン族の村ドイプイがある。
ここは市内から一時間ほどで行くことができるので観光客も結構訪れる。少数民族好きな人々たちなどからは俗化しているとか、観光化されてしまって面白くないとも言われているところだ。

駐車場にもなっている広場の周りに土産物や食べ物を扱う商店があって、そこからメインストリートが山の上に向って延びている。この通りの両側にもおもに服や布製品を扱う店が続いている。ここでも不思議なことに目立つのは女性と子供だ。2,3人集まって井戸端会議をしたり、子供の世話をしたり、あるいは民族衣装作りのミシンをかけていたりしている。ぶらぶらと歩いていると生活用具や衣裳を展示した博物館や植物園なんかがある。植物園はかつてアヘンを栽培していたところで色とりどりの花が咲いていた。観賞用のケシの花もあった。
歩き出した当初は涼しい山の気候を感じていたが、上に登るにつれて汗が出てきた。段々畑を上がっていくとその上にパラボラアンテナや自動車が見えてきて、不思議な感覚だ。
丘の麓には小学校があって子供たちが走り回っていた。民族衣装が可愛い。

昨年、タイ北部チェンライを訪れたのだが、市内の少数民族はほとんどがTシャツにジーンズという姿でタイ人と区別がつかないほどだった。民族衣装は着ないのかと女性たちに聞いてみると、祭りなど行事の際は着るがふだんは着ない。
第一、民族衣装は作るのが大変で作り手も減っているということだった。

それに比べるとこの村の人たちはほとんどの人が民族衣装を着ている。観光地のせいかもしれないが、観光客がくるからミシンで作る民族衣装も売れる、売れるから作るという流れで、伝統が守られているということもいえそうだ。そのうえ、村の人たちの表情が明るい。

山を下り、市内に戻った。ナイトバザールを歩いているとモン族の女性たちが髪飾りや腕輪を売り歩いている。たぶんドイプイとは違う村の人たちだろう。
なんとなく、どことなく哀しげなふうにみえたからだ。

ルアンパバンのゲストハウス前で

2008-09-24 | Weblog
いよいよラオス最終日。幸いにも雨続きだった空は晴れ上がってくれていた。
午前中しか滞在時間しかないので宿の近くを散策してみることにした。

まず向ったのは、初日に改装中のため断念した少数民族をテーマにした博物館。
早くも先客がいて、英語ガイドの声が小さな館内に響き渡り閉口した。結局彼らの先回りをしたり、去った後に戻ったりしてようやく一回りすることができた。
メインストリートとは反対の方向にぶらぶら歩く。午前10時、早くも強い日差しのため汗が流れてきた。バンコクのナイトバザールを模したような固定式のマーケットやATMなど新しい建物や、洒落たゲストハウスに混じって、昔ながらの木造家屋も点在していて、そっくりそのままこの街の変化のありようを表しているようだ。

「コンニチハ ニホンジンデスカ?」
通り沿いのゲストハウスの前を歩いていると声をかけられた。オーナーのコンさんだ。道端の椅子を指して座っていけという。中に入ると程なく冷たい水を持ってきてくれた。ありがたい。
何でも、JICAの日本人から半年ほど日本語を習ったという。半年足らずの学習でこれだけ話せるというのはすごい。日本の話などをしていると、男女二人連れの日本人がやってきて
「やあ、覚えている?」
そしてまた、数分後、別の二人連れがリュックをしょってやってきた。
「戻ってきちゃったよ」
この間、20分にも満たない短い時間だ。それもさして人通りが多いとはいえないなかで、2組の日本人リピーターが彼を訪ねてやってきたのにびっくりした。
彼の応対に気に入ってまた訪ねてきたのだろう。
ラオスまでやってきて、日本びいきにあえるとは思わなかった。

良い思い出を残して、帰ることが出来そうだ。

ルアンパバンの食事

2008-09-22 | Weblog
宗主国として社会基盤の整備をほとんどしなかったフランスが、ラオスに唯一残してきたのが、フランスパンだ。街を歩いているとフランスパンのサンドイッチを売る屋台がいくつ出ていて早速ひとつ買ってみた。日本で売っているような固いものではなくて柔らかくて、食べやすい。
ラオス好きの人が、タイに入るなり
「タイのパンは美味しくない」
と言っていた意味がようやくわかった。

宿の朝食は大通りを見渡す屋上のテラスでとる。ラオスコーヒーと目玉焼き、それに温かいフランスパンにフルーツだ。アメリカンブレックファーストのような豪華なものではないが、外を眺めながら濃い目のコーヒーとかなりボリュームのあるパンという組合せは、なかなかに贅沢だ。唯一コーヒークリームが粉末だったのが惜しい。いつでもミルクが飲めるという生活は生活水準が高い国なのだというのが、アジアの幾つかの国をまわってみた実感だ。

モン族のマーケット前の屋台では、細かく切った果物が入っているコップが並んでいた。フルーツシェイク屋だ。地元の小学生も注文していたから、まずはずれはないだろうと、小学生の後ろに並んで順番を待った。コップの中身と氷それにココナッツミルクをちょっと入れてミキサーを回す。出来上がったら果物が入っていたコップに注ぐ。余った分はビニル袋に入れてくれ、ストローを2本くれた。
味ももちろんだが、ちょっと得した気分で嬉しい。

少年から買ったカオラームは部屋で食べた。蒸して柔らかくなった竹の皮をはいでいくと中から、赤飯のような赤いもち米が出てきた。これもココナッツミルクの味がほんのり漂い、美味しかった。日本でいえばおにぎりのような感覚。

折角なので、メコン川沿いの食堂で名物のオラームを食べたが、これは辛い肉野菜煮込みだった。私にはちょっと辛すぎて肉も少々固かった。

カオソーイという麺は、タイのチェンマイにあるカレー麺とはまったくの別物であまり辛くない。米から作った白い麺で食べやすい。
もうひとつ、庶民の味でカオピャックがあるのだが、食べ損ねたのが心残りだ。