どんな子供だって鼻たれ小僧だった……そんな記憶を持っているのは昭和30年代生まれまでくらいの世代ではなかろうか。そんな懐かしい、否もっと古い親達の世代の日本の姿をアメリカ人のカメラがカラーフィルムで収めていた。銀行のロビーで開かれてる写真展という、軽い気持ちで出かけたのだが、予想以上の充実した内容に驚き、見入ってしまった。
この写真展は意外な偶然が発端になっている。当時通産官僚だった、細田前官房長官がワシントンに留学していた際、ステイ先で見せてもらったカラースライドに日本の戦後の姿が映し出されていたからだった。たまたまその家の主人が進駐軍として来日していて、日本で結婚し、いわばハネムーン写真代わりのような形で日本の写真を大量に撮っていたのだという。この写真をきっかけに、同様の写真がアメリカに残っているのではないかと、毎日新聞支局の協力を得て集まった1万枚のスライド中から120枚を選び出したのが、今回の展示会だ。
会場には、焼け野原になった東京や、無残なゼロ戦の残骸といった戦争直後を象徴する作品もあるが、笑顔の子供たちや、リヤカーの金魚売り、木炭車、横浜駅舎、秋葉原界隈など当時の世相や風俗を伝える歴史的に見ても充分に価値のある内容が盛りだくさんだ。なによりも、戦後間もない日本の姿が色付き(カラー)で写っているというのが衝撃的だ。
日本とアメリカが戦争をしたことを知らない世代にも、戦中戦後を生き抜いてきた人たちにも是非見てほしい展覧会だと思う。
また、会場では誕生日の毎日新聞の一面をコピーしてくれるサービスもある。これは、自分の誕生日が何曜日であることが確かめられるという点で、私のようなタイ好き人間にとってもまた、別の意味で貴重な場所でもあります。
この写真展は、霞ヶ関、新生銀行1階のロビーで、2月14日まで見ることができますし、毎日新聞社から「にっぽん60年前」として出版もされています。
一度足を運んでみてははいかがでしょうか。
この写真展は意外な偶然が発端になっている。当時通産官僚だった、細田前官房長官がワシントンに留学していた際、ステイ先で見せてもらったカラースライドに日本の戦後の姿が映し出されていたからだった。たまたまその家の主人が進駐軍として来日していて、日本で結婚し、いわばハネムーン写真代わりのような形で日本の写真を大量に撮っていたのだという。この写真をきっかけに、同様の写真がアメリカに残っているのではないかと、毎日新聞支局の協力を得て集まった1万枚のスライド中から120枚を選び出したのが、今回の展示会だ。
会場には、焼け野原になった東京や、無残なゼロ戦の残骸といった戦争直後を象徴する作品もあるが、笑顔の子供たちや、リヤカーの金魚売り、木炭車、横浜駅舎、秋葉原界隈など当時の世相や風俗を伝える歴史的に見ても充分に価値のある内容が盛りだくさんだ。なによりも、戦後間もない日本の姿が色付き(カラー)で写っているというのが衝撃的だ。
日本とアメリカが戦争をしたことを知らない世代にも、戦中戦後を生き抜いてきた人たちにも是非見てほしい展覧会だと思う。
また、会場では誕生日の毎日新聞の一面をコピーしてくれるサービスもある。これは、自分の誕生日が何曜日であることが確かめられるという点で、私のようなタイ好き人間にとってもまた、別の意味で貴重な場所でもあります。
この写真展は、霞ヶ関、新生銀行1階のロビーで、2月14日まで見ることができますし、毎日新聞社から「にっぽん60年前」として出版もされています。
一度足を運んでみてははいかがでしょうか。