妖しい亜熱泰

タイと東京、アジアと和の話題など。
出かけたついでに一枚をつづります。

六義園

2006-03-27 | Weblog
紅葉の時期に行きそびれた庭園が駒込駅に程近い六義園だ。側用人として天下に名を馳せた柳沢吉保が元禄年間に築園した回遊式泉水の大名庭園である。

ことしは、地下鉄の駅張りポスターや新聞などでここのシダレザクラが大きく取り上げられていたので多くの人が入園券を求めると一目散にシダレザクラ目指して流れていく。たった一本の木でこれだけ人が集められるものかというほど人が集まっているが、近づいてみるとなるほどソメイヨシノを待ちきれない人々にはうってつけの枝振りであり、咲きっぷりだ。

しばらく眺めたあと、園内を歩いてみた。いやぁ、ここはシダレザクラだけ見て帰ってしまうにはもったいないほどの手の凝った庭園であることに驚いてしまった。丁寧に枝打ちされた松を初め、池や川に架けられた橋、滝など歩くほどに入れ替わり立ち代り異なった風景が眼前に現れてくるので楽しい。
そしてちょうど歩きつかれてきた頃に茶屋があって抹茶を立てていた。ふだんは縁がない抹茶だが、こんな景色なら緋毛氈の上で一服いただいていこうという気分になってしまいます。一緒に出てきた和菓子の桃色が抹茶の緑とお盆の黒と絶妙なコントラストをなしていてこれがまた風情を掻き立てている。茶屋を後にすると藤代峠という35メートルばかりの丘があって、庭園内を一望できる。ここから端に位置するシダレザクラを遠望するのもまた面白い。この庭園の数寄が随所に実感できる。

昼間は吉保公の袖の下から落ちてくる甘い汁を狙ってか大量のカラスが我が物顔で飛びまわり鳴いていて折角の江戸気分に横槍を入れているのが、唯一残念でならない。

枝垂桜

2006-03-26 | Weblog
近所ではまだ梅の花が見ごろを過ぎたばかりだというのに、もう桜の開花が近いという。
水戸光圀が作った小石川後楽園では入り口を入ってすぐのところにある早咲きの枝垂桜(シダレザクラ)が早くも満開で訪れる人を迎えてくれる。
この木の前で、おじいちゃんもオバちゃんも西洋人の女性も一様にお弁当を広げている。私も今月で閉鎖・移転してしまうという銀座のお米ギャラリーで買ったおにぎりをほおばってみた。

花の咲いているそばでお弁当を食べるとなぜかとても気分よく、美味しくいただける。

来週にはソメイヨシノが見られそうだ。

私と町の物語展覧会

2006-03-25 | Weblog
「子供の頃は夜になると♪タン、ターン、ターンと新内流しの声が聞こえていました。」
「通っていた小学校は全校生徒が60人ほどしかおらず、しかも3年生以下がいなかったんです。」

この話をしてくれたのは、おじいさんでも、おばちゃんでもなく、港区に住む20代の男性だった。
彼が通っていた小学校は閉校となり、今では生涯学習センター「ばる~ん」に生まれ変わって「私と町の物語展覧会」を以前は体育館だった場所で開催していた。

展覧会の中心は港区に残る懐かしい写真の展示だが、入り口近くに音の風景から街を探るというサウンドインスタンレーションがある。円筒型のダンボールの中から街の音や人々の話し声が聞こえてくる仕掛けだ。このインスタンレーションを手がけた、サウンドスケープ研究家の鳥越けい子さんによるトークイベントの中で冒頭の男性の話がでてきた。トークイベントは新橋駅から再開発された汐留までを歩いて音を集めるワークショップの報告会という形で行われたが、会場が会場だけにゼミの発表会みたいなふいんきだった。この展覧会自体がボランティアによって運営されているようでそこかしこに手作り感が漂っていた。電源コードが短すぎて音が上手く再生できなかったりトークイベントが時間通りに始まらなかったり… 学園祭みたいでした。

会場内には小学校当時の机や椅子が配置されていて学校の建物を使ったイベントとしてはそれなりの出来栄えになっていたと思う。
しかし、懐かしい昔の写真展という企画は、すでに新生銀行ロビーや文京ふるさと歴史館で見てしまった後だけに、内容が異なっているとはいえ、新鮮味に欠けてしまった点は否めない。
また、ボランティアに支えられているとはいえ、大手企業がスポンサーに名を連ね、わずかであっても入場料を徴収するイベントとして考えると、もう少し映像や模型を使った展示にしてわかりやすくするなどの工夫もあっていいのではないかと思った。
目の付け所が面白かっただけにちょっと惜しい企画だった。

弥生美術館

2006-03-23 | Weblog
文京区は坂の多い町だ。根津駅を降りて、言問通りを上って行くと何人もの和服姿の女性を見かけた。さりげない足の運びが坂道によく似合う。この坂を上って左に折れ、坂を下ると東大の前に弥生美術館がある。

今回の展示は挿絵画家で女性画でも知られる岩田専太郎(1901年~1974年)を特集していた。驚いたことに彼は、デビューからほどない大正15年の「洗い髪」で早くも艶やかで艶めかしい女性の姿をものの見事に描ききっている。よく見ると女性の目によって、閉じた目(安)、横目(艶)、斜め下(哀)など表情を上手く表現している。彼は和製ピアズリー(サロメで有名なピアズリーのこと)といわれたそうだが、この画風はエルテや現在の劇画にも通じるものがあると思った。
スケッチ帳を見ると書き直しのない一本線で繊細に描かれているのがよくわかる。観察力や構成力にすぐれていたことが歴然だ。これが初めての本格的な回顧展だということが信じられないくらいだった。

このほか、上の階では高畠華宵(1888年~1960年)の作品も並んでいる。この人の「情炎」ははじめてみたときからすごい表現力だと感じていたのだが、今回岩田専太郎を見ることによって、この時代の流行りというか波が見えてきたようにも思えた。

この美術館は棟伝いに竹久夢二美術館とつながっている。いまは「アール・デコの世界展」が開催中だった。夢二というと、細い、物憂げな女性ばかりが連想されるが、ここではデザイナーとしてのポスターや楽譜の装丁、ペン画など日頃あまりお目にかからない夢二の世界を見る事ができて、こちらのほうもなかなかの見ごたえがあった。

菜の花

2006-03-21 | Weblog
以前は電車の車窓から河原一面を黄色に変えてしまうほどに咲いていた菜の花を見ることができた。しかし、宅地開発や、車両基地の建設によって、黄色の絨毯はいつの間にか消えてしまっていた。

久しぶりに菜の花を見たいと思った。
海沿いの公園に菜の花が咲いていると知って、家を出たがあいにく途中から雨が降ってきたので断念せざるを得なかった。

翌朝、そういえばと思いたち、近所の畑があったはずの場所を求めて散歩していると、畑の中でささやかに咲いている一群を見つけることができた。地元とはいえ、通勤路と買い物に使う道しか歩いていないとすぐそばでも、見る機会がなかったのだ。

香港に住んでいるとき、菜の花は畑の中ではなく、地元のマーケット(街市)の八百屋にあった。日本と違ってだいたい花つきで売られている。値段が安く、緑色野菜の供給源として手軽だったのでよく買ったものだ。テイクアウトのチャーシュー丼の付けあわせにも入っていたので、香港にいる時のほうが身近だった。

菜の花や向日葵は子供時代、わざわざ探すことをしなくても道を歩いていればそれこそ、そこらじゅうで見ることができるごくごく日常的なものだった。
それがいまでは、わざわざ季節の花を求めてインターネットを検索して、電車に乗って行かないと見る事が難しくなってしまった。

時代が変わってしまった、だけではすまないような気がするのだが。