妖しい亜熱泰

タイと東京、アジアと和の話題など。
出かけたついでに一枚をつづります。

明治神宮 春の大祭 舞楽

2006-04-30 | Weblog
ドーン、ドーン、ドーンとという右方の火焔太鼓の厳かな音が響き渡ると、舞台下の楽手による雅楽が始まる。
やがて、左方の火焔太鼓の向こう側からゆっくりとした歩みで舞人がやってきた。明治神宮 春の大祭で奉納される舞楽の開演である。

初詣しか縁がないので日頃原宿駅を利用しても、明治神宮に参拝することは最近なかった。鳥居をくぐり、落ち葉がちらちら残る玉砂利の上を歩いていると不思議なことに心が落ち着いてくる。原宿に近いせいかアジア系の外国人観光客が目立つ。よく見るとちゃんとガイドが引率しているようだ。この社の由来をちゃんと説明したうえでの来訪とあれば、物凄いことだ。
神前に備え付けられた舞台前には開演の30分以上前だというのにかなりの人が来ていた。鳥居付近に三脚の放列ができているのは最近のイベントの流れだろう。

舞楽は4つの演目で構成されていた。「振舞(えんぶ)」は右方、左方からひとりずつが舞台に上がり舞うもので舞楽会の最初に舞われるのを例とする。「五常楽」と「延喜楽」はいずれも4人舞で、入退場も一人ずつゆっくりと行われる。最後は舞楽会の結びに奏される「長慶子」で、舞はなく演奏のみである。

楽手や舞人の装束はこれまでなじんできた和の世界とは異なっており、どちらかといえば唐様に近い。舞人も楽手も男性のみによって構成されているため、艶やかさには欠けているものの、まったく異質の芸能を鑑賞したという気持ちが強く残った。
舞楽の演じられている最中には舞台の裏を、明治神宮で行われている婚礼の列がたびたび通って、これほどにないアクセントを添えていた。神官に導かれ、大きな赤い傘をかざしてしゃなりしゃなりと歩む、白無垢姿のなんと対照的なことか。見物客も思わずカメラを花嫁のほうに向けていた。

それにしてもわが国に、このような芸能神事があることを今まで知らなかった。
否、知る機会を与えてこなかった教育のほうにも文化の伝承という意味で、責任があるのではないか。

贈り物がたり

2006-04-28 | Weblog
銀座で行われたトークショーを聞いてきた。松屋デパートでギフトを手がけている山田節子さんと、「昔ばなし大学」を全国で開講している、口承文芸学者の小澤俊夫さんを迎えて、「贈りものがたり」というテーマだった。ちょっと変わったタイトルとゲストの組み合わせに興味が湧いたからだ。

贈りものは人類が共同体を作ったころ、稲やお酒を神様に捧げるという形からスタートしたようだ。その後、贈りものは人々のコミュニケーションをはかる手段として定着し、今日まで世界中で続いている習慣だ。中でも、日本は中元や歳暮などを通して世界に類まれなほど、贈りものを形式化した国といえる。

昔ばなしにも贈りものがよく登場する。作り話で語る形式なので、聞き手にわかりやすくするために、しゃもじや指輪、鍵などの贈りものによって人物が結びつき、最後は主人公が幸せになって終わるというのが一般的なパターンなのだそうだ。中には目に見えない贈り物もある。代表的なものは言葉だ。この言葉を素直に受け入れたものが成功を収めることになる。これは、贈りものを受け取る「心」の大切さを象徴しているとも言える。

日本の贈りものの特徴に「包む」ということがあげられる。包むという言葉はつつましい、から来ているのだとか。水引や折り、色あわせなど様々な工夫をした贈り物の包み方は、贈り手の心を表現するものとして私たちの中に今でも深く根付いている。

盆暮れの習慣から、クリスマス、そして現在はバレンタインデーと私たちの身の回りには贈りものの世界にどっぷりとつかってしまっている。なかば義務化してしまったような感じもしていたところだったので、この日の話を聞いて、贈る側の心、いただく側の心についてもう一度考え直してみたいと思った。

トラムとティッシュから考える

2006-04-25 | Weblog
97年に香港に住み始めたころ、街中を走るトラム(路面電車)にはすべからく車両全体が広告で覆い尽くされていた。
ところが、翌年のアジア通貨危機を契機としてデフレが進行するにつれ、緑色に黄線というトラムオリジナルの車体が徐々に増えていった。それが私が帰日する2003年になると前後の部分だけなど、一部分だけでも広告を入れて走る車両がほとんどになり、同時に香港経済も息を吹き返しつつあった。トラムの広告を見ていると香港の景気が見えるようである。

日本に戻って感じたことは、街を歩いていて、おじさんの私にもポケットティッシュ配りの兄ちゃんがティッシュをくれるようになったことだ。香港に行く以前はティッシュは若い女性くらいにしか配られていなかったように思う。それが、今では7割くらいの確率でもらえる。広告主も以前のテレクラやサラ金ばかりでなく携帯電話会社とかプロバイダー、フィットネス倶楽部、パチンコ屋など多様化している。

これは、この時期花粉症に悩む私にとっては大変ありがたいことだ。つい先日も一時間の間にポケットティッシュ4つを消費してしまうという事態に陥ったからだ。このときはとりおき分があったし、職場の周りの人からもいくつかいただき助かった。

どうやら日本の経済もようやくよくなってきたようだ。となると、香港でいうトラムに代わる景気のバロメーターは日本ではティッシュ配りということも言えそうだ。最近の新聞報道などを見ても景気回復は確実らしい。

しかしながら何事にも例外はつき物で、私のようにただでさえ薄い給料袋がいっこうに変わらないということもあるので、素直に喜べない今日この頃である。

寒い、けど熱い戦い

2006-04-21 | Weblog
WBCでかなり盛り上がったようだったので、2年ぶりに野球を見に行った。下位に低迷しているチーム同士のゲームだったけれどお客さんはそれなりに入ってましたね。

昼間はからっと晴れていたので、期待して球場に向ったのに夕方から風が吹いてきた。外野席に着く頃には座っているだけだとちょっと肌寒いくらいの陽気になってしまっていた。
外野の応援席というのはある種違った人たちの集まっているところで、局地的にそれも異常に盛り上がっているのが面白い。途中から修学旅行の中学生たちが外野の指定席に入ってきたのだが、最初は戸惑っていたものの30分もしないうちにすっかりヤクルトのにわか応援団に早代わり。グッズを鳴らして盛り上がり、スーパービジョンに自分たちがうつるとキャーキャー騒いだりして見ているだけでも楽しそうだ。この中から何人でも野球好きが現れるに違いない。野球は巨人だけではないのだということは、「アオキ、アオキ」の大合唱をしていた君たちには理解できるはずだ。

試合が盛り上がってきたら飲もうと思っていたビールだが、プレイングマネージャーがスタメンからはずれ予想外の展開になるわ、がたがた震えるわの状態のなので、早々と恵比寿ビールを呼び止めて飲み始めた。でもこれだけ寒いと普段なら一杯飲む前にぽぅっとしてくるのに、全然感じない。
試合が決まりかけそろそろ帰ろうとしたら、最速球男の登場で周囲が騒然。一球投げるごとに、「早エー」
ところが滅多打ちにあうわ、守備にボロがでるわで、またまた周囲が騒然。雨が降っていないのに傘が乱舞するという状態になったのでした。

ビールの酔いが回ってきたのはやっと地下鉄のホームに入って寒さを忘れたころだった。

次回はもっと暑くなってきてから来てみたい。もっと旨いビールが飲めるはずだ。

都市に生きるアールデコ

2006-04-18 | Weblog
1920~30年代を覆っていた空気の総称をアールデコというのだそうだ。それは建築から調度品、アクセサリーなど一世を風靡したデザインであるといっても良いだろう。資生堂という会社はちょうどこの流れに乗って業容を拡大し発展していったように思える。銀座のハウスオブシセイドウ及び資生堂ギャラリーの2会場で行われている「都市に生きるアールデコ」展はそんな資生堂にとってはアールデコという一時代史であると同時に社史の一部にも重なるうってつけの展覧会である。

メインはハウスオブシセイドウ会場だ。入って奥にあるステンドグラスが素晴らしい。資生堂竹川町店化粧品部に飾られていたもので前田健二郎によるデザインは今の建築物に採用されたとしてもまったく違和感がない、というよりはありきたりなデザインよりもモダンにさせてしまうほど輝いて見える。

2階にあがると、なぜか中国の家具がおいてある。これらの調度品が実はアールデコの源流になったのだそうだ。意外にアールデコは日本から見て身近にあったのを知って驚いた。そんな関係もあってか現代においてアールデコが色濃く残している街が上海である。だから会場には上海の写真があふれている。上海にある様々な建築物の写真や中国に輸出された資生堂製品(青鳥というブランド)などを見ていると、現在なのか過去なのか分からなくなるような気持ちになってくる。

比較的広いスペースの割には展示品を抑えてあるが、それを補って充実した内容になっていると思う。