法連寺 2008-05-31 09:45:23 | Weblog 浄土真宗のお寺さんで 我が家から徒歩10分の位置にある このお寺さんの梵鐘が市指定の 文化財として有名 元禄3年(1690年)に鋳造され 風水害の際高泊開作の農民への 急を知らせる鐘として利用されて いたという
古い家 2008-05-30 07:11:31 | Weblog 私が子供のころ何度か お世話になった記憶が あるお医者さんの家 随分古い家で多分大正期に 建ったものかもしれない 今はお医者の看板はない 久方ぶりに前を通って 懐かしかった
シャトービル 2008-05-29 13:26:29 | Weblog シャトービルは小野田駅前で 最初に建ったビル。 当時巷ではブルーコメッツの 「ブルーシャトーという歌が 流行っていた。 40年以上前の話だが屋上に ビアガーデンがあって駅に 止まっていたSLの吐く煙の 煤がビールの中に入り黒く なったことを思い出す。
三好邸の瓶垣 2008-05-28 07:48:04 | Weblog この瓶垣は製陶所のオーナーだった 三好邸のもので永久保存のために 一端硫酸瓶を掘り起こしH12年に 復元された旨の案内板が立っている あまりにも整然としていて不自然 な感じだがもっと自然な形で再現 できなかったのだろうか?と勝手に 思ったりしたが製作者に失礼だろうか?
瓶垣とオブジェ 2008-05-27 08:04:17 | Weblog 瓶垣をバックに大きな壷(カメ)を 逆さにしその上に硫酸瓶を乗せて 何を表現しているのか? 無作為に散りばめた陶器の破片と ブロックやレンガの残骸たち 見方によれば立派なオブジェに 見えないでもないが果たしてどうだろう? 左の緑の中の紫の花(アヤメ?)に ひと時の安らぎを感じた
瓶垣と煙突 2008-05-26 10:19:57 | Weblog 同じ場所でも視点を変えれば また違った風景が見える この辺りは製陶所があったころ で成形した陶器を天日干しして いたであろうと思わせるほどの 広い敷地がそのままの状態に なっている 短い雑草がいかにも芝生を 張り詰めたように見えてきれい
廃窯 2008-05-25 07:56:46 | Weblog 旦地区の窯業の歴史は古く天保末年 (1840年)陶工甚吉が登り窯を 開いたのが製陶業繁栄に繋がった 窯業が盛んな頃旦地区一体は皿山と 呼ばれていた この窯も繁栄の一端を担ったわけで 一部しか残っていないので登り窯の 全容を知ることができないが雰囲気 は充分伝わってくる
瓶垣 2008-05-24 09:16:11 | Weblog 窯跡のすぐ側にこの家がある これだけ多くの硫酸瓶を用いた 瓶垣は市内で一番かもわからない 私の完全な想像であるが 多分ここに製陶所があったころの 関係していた方の住居ではと? 思ったりするが実際は定かでない
窯跡 2008-05-23 10:31:30 | Weblog 旦東地区の一部は小高い丘に なっていて有帆川沿いの 小野田線のガードをくぐり 抜けると右手に坂道がある 坂を上りきってまた左手に 行った一番奥にこの窯跡がある 煙突と側の残窯が当時の 面影を残していて郷愁をそそる
瓶垣のある道 2008-05-22 07:46:05 | Weblog 旦地区には硫酸瓶を造っていた 窯元があちこちにあった この細い道は旦東地区で右側 には硫酸瓶を利用した瓶垣が しつらえてあり独特の雰囲気 をかもし出している