わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

大作曲家モーリス・ジャールの思い出

2009-03-31 19:24:53 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img070_2 フランスの作曲家モーリス・ジャールが、3月28日夜から29日朝の間に、米ロサンゼルスで死去。84歳。がんを患っていたそうです。1924年、フランスのリヨン生まれ。16歳でパリに出て、コンセルバトワールとソルボンヌ大学に学ぶ。パリ音楽院管弦楽団のティンパニー奏者となり、同時に指揮・作曲・管弦楽法を勉強。第二次世界大戦後、ジャン・ルイ・バローの招きで国立民衆劇場の音楽監督になったのち、国立劇場の音楽監督になる。
 

 1950年代以降は、100本以上の映画音楽を作曲。デビッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」(62年・写真)、「ドクトル・ジバゴ」(65年)、「インドへの道」(84年)で3回、米アカデミー賞を受賞。ノミネートは9回に及ぶ。60年代以降は、アメリカに在住。息子のジャンミシェル・ジャールは、フランスを代表するシンセサイザー奏者として知られています。
 

 ぼくがコロムビア映画(現在のソニー・ピクチャーズの前身)に在籍していたころ、彼が音楽を担当した「日曜日には鼠を殺せ」(64年)、「コレクター」(65年)などの宣伝を手がけました。また、2003年に開催された第1回バンコク国際映画祭では、ジャールの演奏会が行われ、彼が指揮するオーケストラによる「グラン・プリ」(66年)や「パリは燃えているか」(66年)、「アラビアのロレンス」などの演奏を楽しんだものです。そのあとのガラボール・ディナーでは、2ショットの写真を撮らせてもらったことも、いい思い出です。あの華麗なオーケストラ・サウンドがもう聴けなくなるかと思うと、さびしい思いがします。


原節子―日本映画界、伝説のミューズ

2009-03-29 19:31:10 | 映画の本

Img059 原節子(1920~)といえば、永遠の美女とか、永遠の処女、と形容された日本映画黄金時代の美人女優でした。エキゾチックな美貌のもとに、日本的で古風なしとやかさと、現代的で進歩的な側面と、相反するような二面性を秘めた人でした。映画デビューは1935年。代表作は、黒澤明監督「わが青春に悔なし」(46年)、今井正監督「青い山脈/前後編」(49年)、小津安二郎監督「東京物語」(53年)など。62年の稲垣浩監督「忠臣蔵」を最後に、42歳で映画界を引退。生涯、結婚することもせず、その後はひっそりと隠棲。ベールに閉ざされた神秘的な生きかたが、「永遠の処女」などという呼び名を生んだのです。
 

 そんな彼女の評伝、千葉伸夫著「原節子/伝説の女優」(平凡社ライブラリー)を読みました。謎に包まれた原節子の出自や生活の部分には余り触れられておらず、新聞・雑誌や小自叙伝での発言や、作品と役柄、メディアに発表された周囲の証言といった資料を駆使して、彼女の素顔を浮きぼりにしようと試みます。当時の女優によく見られるように、原節子も家庭的に恵まれず、経済的な理由から女優になったとか。だが、常に受け身であったことから、女優業に固執することがなかった。「なにものにもわずらわされず、静かにしていることが好き」「好きなものを順に言えば、まず読書、次が泣くこと、その次がビール、それから怠けること」というコメントが、おっとりして潔癖な彼女の性格を物語ります。
 

 そして、彼女の一番の魅力のポイントは、古風な容貌の底に秘められた現代的で活動的な側面にある。たとえば、最近NHK・BSでも放送された「わが青春に悔なし」がいい例です。大学教授のお嬢さんが、戦争中に急進派の闘士と結婚、その夫の逮捕とともに彼女も当局の執拗な尋問を受ける、やがて夫が獄中で殺害されると、夫の実家で農業に従事、非国民とののしられながら泥まみれになって働く。原節子は、こうしたヒロインの変貌ぶりを体当たりで演じています。また「青い山脈」では、地方の女子高校に赴任し、因習と偏見に満ちた土地の人々と闘う女教師を熱演しました。

 しかし、原節子の全盛時代は1950年代前半で峠を越えます。そして、映画界の衰退と変貌、容色の衰えとともにさっと引退、以後消息を絶つ。その身の引きかたは、スウェーデン出身の伝説的な美人女優で、36歳で突如引退したグレタ・ガルボと、よく比べられます。ともあれ、原節子は、日本映画史の中で、もっとも美しかった女優といっていいでしょう。そして、謎に満ちた彼女の内面は、永遠に明らかにされることはないと思います。


チベット問題をテーマにした傑作が登場!

2009-03-28 17:53:55 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img057 チベット問題を正面からとらえた作品が2本公開されます。そのひとつは、ニューヨーク在住の日本人女性監督、楽真琴(ささ まこと)による日米合作ドキュメンタリー「雪の下の炎」。中国軍の侵攻に対してチベット民族が蜂起した1959年に、平和的なデモを行ったという罪で投獄されたチベット僧パルデン・ギャツォの苦難の半生を追った作品です。カメラは、想像を絶する拷問を受けながら33年間を生き抜き、インドに亡命、現在も同胞のために中国政府と闘い続けるギャツォの素顔に迫ります。ダライ・ラマ法王14世も賛辞を捧げる、その強靭な精神力には頭がさがります。
 もう1本は、アメリカのポール・ワーグナーが監督・脚本・編集を手がけた「風の馬」。監視カメラが設置されたチベットの首都ラサを舞台に、歌手、尼僧、アメリカ人旅行者、3人の若い女性を中心にチベットの悲劇が描かれます。ダライ・ラマの肖像の掲示を禁止した中国政府に抗議して投獄され、残忍な拷問を受ける尼僧。それに対して苦悩する従姉の歌手。この事件をビデオカメラに収める旅行者。そしてラスト、ヒマラヤ山脈越えの亡命シーン。ラサやネパールで監視の目をくぐりながら撮影されたこの作品は、実話をもとにした劇映画で、世界各地で上映されて反響を呼んでいるそうです。Img056
 1959年、チベットでの民族蜂起で、中国側はチベット人8万7千人を殺害して鎮圧。ダライ・ラマ14世と8万人のチベット人がインドに亡命。以後、チベットは中国の監視下に置かれ、08年の北京五輪開催時に起きた大規模な抗議運動は記憶に新しい。今年は、ダライ・ラマの亡命50周年にあたります。チベットの人権問題は世界中の関心事となり、日本とアメリカの映画作家がこの国の悲劇をとりあげたことは特筆に価すると思います。この2作品は、4月11日から東京の渋谷アップリンクで同時公開され、以後全国で上映予定です。


祝!世界制覇、野球シーズン到来!

2009-03-26 01:04:06 | 映画の話 あれこれ

Img063_5 ついにヤッタね! ワールド・ベースボール・クラシックで、宿敵・韓国に勝って、日本が世界制覇。おめでとう! 春の高校野球も開催中だし、 日本プロ野球やメジャーリーグの開幕もまぢか。野球ファンとしては、たまらないシーズンの到来です。ついでに、いままで印象に残った野球映画を何本か思い出してみました。まず古い作品では、ゲイリー・クーパーがルー・ゲーリッグに扮した「打撃王」(42年)、ベーブ・ルースが製作指導にあたった「ベーブ・ルース物語」(48年)。後者では、ルース(ウィリアム・ベンディクス)が、病気の少年の願いを聞いて約束のホームランを打つエピソードが感動的だった。
 時代が近いおなじみのところでは、ケビン・コスナー主演の「さよならゲーム」(88年)と「フィールド・オブ・ドリームス」(89年)、ロバート・レッドフォード主演の「ナチュラル」(84年)、チャーリー・シーンとトム・べレンジャー共演のコメディ「メジャーリーグ」(89年)、テイタム・オニールが少年野球で少女の投手を熱演した「がんばれ!ベアーズ」(76年)、史上初のプロ野球ウーマンリーグの誕生をテーマにした「プリティ・リーグ」(92年)あたりが、お好みベスト6といったところでしょうか。
 野球映画といえば、ヒューマン・ドラマ、サクセス・ストーリーといったジャンルが主流ですが、やはり挫折と郷愁の物語がもっとも印象に残ります。特に、レッドフォードが多くの困難をへて35歳で球界入りを果たす奇跡のルーキーに扮した「ナチュラル」
(写真)と、伝説の大リーガーへの思いを郷愁たっぷりに描き出した「フィールド・オブ・ドリームス」が好きな作品。野球ファンのさまざまな思いをこめて、09年シーズンを楽しみましょう。


大鶴義丹監督「私のなかの8ミリ」の郷愁

2009-03-23 17:20:14 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img061 1960年代末、仲間と一緒に8ミリ映画を撮ったことがあります。タイトルは「隅田川」。東京・隅田川の情景、太陽や雲が川の流れに映す波紋、川沿いの下町のたたずまいや、雪がつもった柳橋の風景などをカメラに収め、フィルムを切ってはつなぐという編集作業も覚えました。1960~70年代、家庭用の8ミリカメラが全盛時代のころです。
 大鶴義丹監督・脚本の「私のなかの8ミリ」(4月4日公開)では、その8ミリカメラとフィルムがポイントになっています。ドラマの主人公は、仕事で滞在していたニューヨークから、東京に帰ってきた女性ミハル(岡田理江)。彼女を待っていたのは、昔の恋人の訃報だった。ミハルは、墓参りをするために北方にある彼の故郷にバイクを走らせる。そして、かつて彼がミハルを撮った8ミリのくすんだ映像が、思い出とともにフラッシュバックされる。途中、ミハルは、やはりバイクで旅する青年(高杉瑞穂)に出会う。その青年の乗るバイクは、昔の彼と同じもので、やはりその手には8ミリカメラがあった…。
 撮影を手がけたのは写真家の桐島ローランド。彼と大鶴監督はともにバイクフリークでもあり、日本海沿岸の風景や、疾走するミハルや道連れの青年の姿は、バイクに据えられたカメラで撮影されたそうです。出演者も、もちろんバイクフリークで、旅する男女と、かつて8ミリカメラで撮られた映像が交錯して、幻想的なロードムービーに仕上がっています。上映時間65分という短さだけど、素直な映画作りの姿勢に好感が持てる作品です。


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