フランスの作曲家モーリス・ジャールが、3月28日夜から29日朝の間に、米ロサンゼルスで死去。84歳。がんを患っていたそうです。1924年、フランスのリヨン生まれ。16歳でパリに出て、コンセルバトワールとソルボンヌ大学に学ぶ。パリ音楽院管弦楽団のティンパニー奏者となり、同時に指揮・作曲・管弦楽法を勉強。第二次世界大戦後、ジャン・ルイ・バローの招きで国立民衆劇場の音楽監督になったのち、国立劇場の音楽監督になる。
1950年代以降は、100本以上の映画音楽を作曲。デビッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」(62年・写真)、「ドクトル・ジバゴ」(65年)、「インドへの道」(84年)で3回、米アカデミー賞を受賞。ノミネートは9回に及ぶ。60年代以降は、アメリカに在住。息子のジャンミシェル・ジャールは、フランスを代表するシンセサイザー奏者として知られています。
ぼくがコロムビア映画(現在のソニー・ピクチャーズの前身)に在籍していたころ、彼が音楽を担当した「日曜日には鼠を殺せ」(64年)、「コレクター」(65年)などの宣伝を手がけました。また、2003年に開催された第1回バンコク国際映画祭では、ジャールの演奏会が行われ、彼が指揮するオーケストラによる「グラン・プリ」(66年)や「パリは燃えているか」(66年)、「アラビアのロレンス」などの演奏を楽しんだものです。そのあとのガラボール・ディナーでは、2ショットの写真を撮らせてもらったことも、いい思い出です。あの華麗なオーケストラ・サウンドがもう聴けなくなるかと思うと、さびしい思いがします。