わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

茶聖が胸に秘めた反権力の姿勢と情熱「利休にたずねよ」

2013-11-29 19:32:16 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img037 安土桃山時代の茶聖・千利休(1522~1591)の生涯が現代によみがえった。直木賞を受賞した山本兼一の同名歴史小説の映画化「利休にたずねよ」(12月7日公開)です。監督は、やはり山本文学「火天の城」を手がけた田中光敏。千利休を“侘び茶”の完成者としてクローズアップするよりも、研ぎ澄まされた美意識に焦点を当て、かつ彼の情熱の源泉となった“利休の恋”を題材にした点がユニークだ。千利休に扮するのは市川海老蔵。「完成された茶聖、発展途上にある宗易(号)、10代の頃の与四郎(幼名)という三つの利休像を演じ分けることが難しかった」と語る海老蔵は、抑えた演技で静かなる熱情を表現している。
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 映画は、雷鳴轟く雨嵐の早朝、千利休の切腹シーンから始まる。利休は、絶対的な審美眼から、かつて織田信長(伊勢谷友介)に重用され、のちに豊臣秀吉(大森南朋)のもとで天下一宗匠として名を馳せながら、秀吉の怒りを買って死を命じられる。そんな夫に対して、妻の宗恩(中谷美紀)がたずねる。「あなた様には、ずっと想い人がいらっしゃったのでは?…」。この言葉が、利休の胸中に秘められた遠い時代の記憶をよみがえらせていく。この利休の最期から始まり、逆算して回想形式でドラマが展開するという構成が面白い。
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 剛直で短気な信長に対して、「美は私が決めること」と豪語する利休。信長の死後、天下統一を果たした成り上がり者の秀吉のもとでは、黄金の茶室を設計、さらに北野大茶会を主管する。だが、秀吉は利休に対して尊敬を抱くと同時に、秘められた力に嫉妬心を燃やす。何よりも秀吉が求める利休の秘密は、青年時代の記憶に隠されている。―若い頃、利休は色街に入りびたり放蕩の限りをつくした。そんなとき、高麗からさらわれてきた女性(クララ)と出逢う。利休はひと目で彼女に心を奪われ、のちに師匠となる茶人・武野紹鴎(市川團十郎)の手引きで、その女性の世話をやくことになり、互いに心を通わせる。だが、別れの時を目前に控えた夜、利休の情熱がある事件を引き起こす…。
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 いわば、禁断の恋という側面から、利休の心に秘められた冷たく燃える情熱を引き出そうとした歴史サスペンス&スペクタクルの形をとったドラマである。その表層を成すのが、権力と絶対的美意識との対決だ。権力者(信長、秀吉)に寵愛され、自らも影の権力を握りながら、美を守るため反権力に固執するという自己矛盾を抱えた利休像。その原点にあるのが、若き日の高麗の女との純愛と、彼女が贈ってくれた命よりも大切な緑釉の香合。そして、権謀術策が渦巻く権力闘争の中で、利休が護持した真心がひときわ光り輝く。
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 また、史上名高い黄金の茶室、待庵、北野大茶会などの再現。三井寺、大徳寺、神護寺、南禅寺、彦根城などでのロケーション。更に、利休が実際に使用した作品をはじめ茶の名器のかずかずや、利休の所作の再現など、本物志向が究極の美=利休形を再現するところも見どころ。そのためか、本作は第37回モントリオール世界映画祭で最優秀芸術貢献賞を受賞した。しかしながら、この作品の面白さを支えているのは、大森南朋演じる豊臣秀吉像である。成り上がりで軽佻浮薄、自己卑下が激しい反面、他人を見下す面も持つ秀吉像を大森が好演する。秀吉が利休を自刃に追い込んだ理由は諸説あって、真相は明らかでないという。だが、その疑心暗鬼と、どす黒い胸の内は権力者の本質を物語る。(★★★★)

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連載記事「昭和と映画」

今回のテーマは「ハリウッド・ルネッサンスを支えたスター<男優編>」


ドイツ発→トルコ行、あったか家族ドラマ「おじいちゃんの里帰り」

2013-11-24 19:19:25 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img035 1960年代のドイツ(旧西ドイツ)では、第2次世界大戦敗戦後の労働力が不足していたため、周辺の国々から外国人労働者を迎え入れた。なかでも、トルコからの労働者がもっとも多かったという。ドイツ映画「おじいちゃんの里帰り」(11月30日公開)は、その時代のトルコ人労働者の苦難と、ドイツに定着した今日の彼らの生活を並行して描いた異色のファミリー・ドラマです。トルコ系ドイツ人2世で、本作の女性監督ヤセミン・サムデレリと実妹ネスリンが、実体験をもとに脚本を執筆。50回も脚本に推敲を重ね、完成した作品は、民族、文化、世代を超えて共感を呼び、内外で数多くの映画賞に輝いている。
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 イルマズ家の主フセイン(ヴェダット・エリンチン)はドイツに移住して50年、がむしゃらに働き続け、いまや70代、大家族のおじいちゃんになった。一見平凡に見える家族だが、それぞれ悩みを抱えている。大学生の孫娘チャナンは、イギリス人の恋人との子供を身ごもって大慌て。6歳の男の子で孫のチェンクは、父がトルコ人で母はドイツ人。「自分はどこの国の人なの?」とアイデンティティーの悩みに直面。また長男と次男は、大人になったいまでも仲が悪い。そんなある日、突然おじいちゃんが「皆で故郷トルコへ行こう!」と言い出す。これには、家族の誰もが大反対。だが、故郷に家を買ったと言う、おじいちゃんの強い思いに負けて、一族は大挙して半世紀ぶりの里帰りに付き合うことになる…。
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 おじいちゃんが自ら運転するマイクロバスでのトルコへの旅。それぞれの思惑を秘めた家族の中で、おじいちゃんは妊娠した孫娘の悩みを聞き、6歳の孫(演じるラファエル・コスリース坊やが実に可愛い!)と気持ちを通わせる。そして、この大学生の孫娘がドラマの語り手となり、過去への回想シーンの導き手となる。したがって、フセイン夫婦はじめ、長男、次男、長女らは、現在と過去のダブル配役となるが、かえってそれが新鮮さをもたらす。フセインがドイツに家族を迎えてから、子供たちが異文化に遭遇してビックリする様子も面白い。そして背後にひそむ移民労働者と家族の苦難、故郷への思い-そうした主題は、語り口と手法がユーモラスで牧歌的であるために、リズミカルな雰囲気を醸し出す。更に、家族一人一人の肖像が人間味に富んでいる点が、ヒューマンな味付けをもたらす。
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 脚本家として注目を集めるネスリン・サムデレリは言う-「本作は、私たちがなぜここ(ドイツ)にいるのか、すべてはどのように始まったか、外国人であるとはどういうことかといった問いについて、とても客観的に描いた映画。観客には、外国人労働者はそもそもドイツ政府に招かれてやってきた人々で、経済の安定に大いに貢献したのだということを思い出してほしい」と。里帰りへの出発直前、おじいちゃんのもとに100万1人目の記念すべき移住者として、メルケル首相の前でスピーチをしてほしいとの招待状が舞い込む。それは、ドイツが移民に寛大だった証拠だが、現在では風当たりも強くなってきたという。
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 もうひとつ忘れてならないのが、ヨーロッパが生み出したコスモポリタニズムだ。映画のなかで、当主のフセインはドイツへの帰化を望まず、反対に妻は帰化を喜ぶ。また、三男は一家のうちで唯一ドイツ生まれだが、国籍はトルコ。彼の妻はドイツ国籍で、息子のチェンクをドイツ人にしたいと思っている。また、長女の娘チャナンが家族に内緒でつきあっている恋人はイギリス人。映画の背後には、国籍や人種の融和という要素も浮かび上がってくる。それも、もちろん世代が若くなるにしたがって屈託がなくなっていくようだ。葛藤のなかに笑いあり、涙ありの、あったかファミリー・ヒストリーである。(★★★★★)


90歳からの詩人・柴田トヨさんの生涯「くじけないで」

2013-11-19 19:05:01 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img034 詩人の柴田トヨさんは、今年の1月に101歳の天寿を全うした。彼女の生涯を描いた作品が、深川栄洋監督「くじけないで」(11月16日公開)です。トヨさんは、90歳を過ぎてから詩をつづり始め、老いの日常を見つめる優しい視線で共感の輪を広げ、98歳で刊行された処女詩集「くじけないで」と、第2詩集「百歳」が累計200万部のベストセラーになったという。深川監督は、「60歳のラブレター」(09年)や「白夜行」(11年)などで話題を呼んだ若手の才人。トヨさんを演じるのが、80代を迎えても初々しい魅力を失わない八千草薫で、59歳から98歳までのトヨさんを繊細な感性で演じているのが見どころだ。
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 映画は、老いたトヨの一人暮らしの生活から始まる。彼女の唯一の気がかりは、一人息子・健一(武田鉄矢)のこと。優しいが短気な性格で、どの仕事も長続きせず、60歳になったいまも競輪場通い。暮らしは、しっかり者の妻・静子(伊藤蘭)が支えている。だが、緑内障の手術をしてから、トヨは急に元気をなくす。そんなとき、健一は新聞の「投稿詩人募集」記事を見てトヨに投稿をすすめる。「季節のことや、毎日考えたことを詩にするんだ」と。その日からトヨの詩作が始まり、快活さを取り戻す。やがて、手繰り寄せられた記憶が過去へと遡っていく。幼かった健一のこと、夫との幸せな思い出、幼少時に父親の借金返済のため奉公に出たこと。明治・大正・昭和・平成に及ぶ思い出が浮かび上がる。
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 なんでもない日常を、ひとつひとつ言葉に置き換えていく作業。そのシンプルな詩を縦糸に、家族の流転や人々との触れ合いを横糸にしてドラマが織り上げられる。展開は全体的にセンチメンタルで、やや暗い。加えて、トヨさんの幼い頃を芦田愛菜が、中年の頃を檀れいが演じるなど、三代に及ぶ親子・夫婦関係が錯綜して分かりづらい点もある。しかし、八千草薫の好演が、それを補って余りある。八千草は宝塚歌劇団出身。映画界でも純情可憐な容姿で人気を得、稲垣浩監督「宮本武蔵」三部作(1954年)のお通役などで成功。名監督・谷口千吉と結婚。今日でも「舟を編む」(13年)などで活躍を続けている。
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 トヨさんは八千草のファンで、自身の生涯が映画化されることを知り楽しみにしていたというが、クランクイン前に死去した。ドラマの軸になるのは、トヨさんと息子・健一との感情の綾である。実際の健一さんは映画化にかかわっていたと思うのだが、劇中、どうしようもないグウタラ息子ぶりをさらけ出すことを意に介さなかったらしい。武田鉄矢(好演!)演じる健一が、「詩は情熱が大事なんだ」と母親を励ますくだりが、ダメ息子のイメージを帳消しにする。「九十八歳でも恋はするのよ。夢だってみるの。雲にだって乗りたいわ」(「秘密」より)と詠ったトヨさん。その想像力の限りない飛翔に感動する。(★★★★)


没後100年・復興のシンボル、岡倉天心の生涯「天心」

2013-11-13 19:23:06 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

1 岡倉天心(1863~1913)は、法隆寺や興福寺を復興、東京美術学校、日本美術院創立にたずさわったのち、日本人初のボストン美術館東洋部長に就任、日本近代美術の父といわれた異色の美術行政マンだ。彼の業績と、彼が育てた画家たち―横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山とのかかわりを描いた作品が、松村克弥監督の「天心」(11月16日公開)です。天心生誕150年、没後100年を記念して製作。そして何よりも、天心が北茨城の五浦海岸に建設した六角堂が3:11の際に津波にさらわれ、土台を残してすべて海中に没した。間もなく1年余で六角堂は再建され、それとともに本作も復興のシンボルとなった。
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 映画は、昭和12年、横山大観(中村獅童)が、五浦海岸で新聞記者に天心(竹中直人)の生涯を語るくだりから始まる。明治15年、明治維新による急激な近代化で壊滅の危機にあった日本の伝統美術を守るために、外国人教師アーネスト・フェノロサと奔走する日々。明治23年、東京美術学校(東京藝術大学の前身)の校長に就任した天心のもとで、大観、春草、観山らの学生が創作活動に励む。やがて、上司・九鬼男爵の妻とのスキャンダルが発覚。東京美術学校を辞職するが、新天地を求めて五浦に六角堂を建設。新しく立ち上げた日本美術院も移転、大観らとともに五浦の地で苦難の創作活動を開始する…。
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 文明開化の時代、幼い頃から英語を学び、文部省で草創期の美術行政に当たり、国際的文化人として活躍するようになった美術行政家、美術運動家としての天心の苦闘の日々が描かれます。自ら絵筆は取らないものの、狩野派の絵師・狩野芳崖(温水洋一)の才能を見出したり、朦朧画とか、お化け絵と非難された大観らの創作を叱咤激励する天心。それとは対照的に、家族連れの画家たちが日々の生活にも困るなか、天心だけが著書などで豊かになったり、九鬼男爵の妻と不倫関係に陥ったりするくだりなど、稀代の活動家にひそむ矛盾や煩悩も描かれている点が面白い。孤高と生臭さは紙一重といったところだろうか。
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 しかし、天心の業績をクローズアップし、北茨城市のバックアップで出来上がったという本作だが、全体的な出来からみると物足りない。その理由をあげると、まず天心の洋画界との確執や心理の移ろいが深く掘り下げられていないこと。また、伝統的な日本絵画(文化)の優れている点が映像として具象化されていないこと。また、弟子の画家たちの試行錯誤が同じシチュエーションの繰り返しであること。総じて、天心の周囲を単に撫でただけの感じになっているのだ。更にいえば、没後100年、復興のシンボルとはいえ、いまなぜ岡倉天心なのか? 竹中直人演じる天心の背後には、ナショナリズムの陰もちらつくような気がするのだが…。(★★★+★半分)

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連載記事「昭和と映画」

今回のテーマは「ベトナム戦争とアメリカ映画の変質」


アイデアは夢から生まれる!?「ファッションを創る男-カール・ラガーフェルド-」

2013-11-08 18:39:13 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Photo カール・ラガーフェルドは、低迷していたシャネルを引き継いで再興させたファッション・デザイナーです。フランスの監督ロドルフ・マルコーニがラガーフェルドに密着、2年間300時間に及ぶ撮影で、このカリスマ・デザイナーの仕事ぶりや人生哲学に迫った初のドキュメンタリー映画が「ファッションを創る男-カール・ラガーフェルド-」(11月16日公開)だ。まず、常にトレードマークの襟詰を身につけ、クロムハーツの指輪で指を飾るラガーフェルドのファッション・スタイルに驚く。そして、「服は一時的なものだ。職掌柄、今シーズンのものしか着ない。着ることが服への愛だ」と、彼は豪語する。
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 映画は、山盛りのクロムハーツを鞄に詰め込んでパリの自宅を出るラガーフェルドの姿から始まる。そして、スタジオでは自らカメラを持ち、モデルの撮影を始める。やがて、彼の仕事ぶり-シャネルのファッション・ショー、モナコに飛んで王妃カロリーヌとのランチ、シャネルを引き継いだときのエピソード、アトリエでスタイル画を描くシーン、シャネルのレッド・カーペットでニコール・キッドマンとフラッシュを浴び、高級リゾート地にある別荘での写真撮影、ニューヨークでの仕事などなどが展開される。
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 ラガーフェルドが語る仕事と人生哲学のコメントとは-「(アイデアは)夢で見た。自分の力ではない。時にはショー全体が夢に出てくる」。「この業界では不公平さが当たり前。ファッションははかなく、危険で理不尽だ」。「シャネルは眠れる美女どころか、イビキをかいていたよ。敬意だけでは商売にならないのさ。私の役目は死者を蘇らせることだった」。「11歳の頃からホモセクシャルだと認識していた。高校も出ていなくて、すべて独学だ」。「愚かな数人のエゴのために危険は冒せない」。「“古き良き時代”などはない。昔は別によくないし、どうでもいい。時代に順応しなければ」。「セックスは大切だ。だが、はかなく一時的なことにすぎない。日々の生活で次第に消耗し、だからこそ理想化される」…。
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 マルコーニ監督は「これはファッションについてではなく、生きるためにファッションにかかわっている一人の男性についての映画」だと言う。だが、ファッションに関心がない目で見ると、ドキュメンタリーとしては突っ込み不足。映像は飛び回るラガーフェルドを映し出すだけで、インタビューもやや平板。ラガーフェルドが語る人生哲学だけが突出して、監督自身が彼の言いなりになっているような感じ。「私は、どんなかたちでも(映画に)干渉しようとは考えなかった」とラガーフェルドは言うが、映像は彼の私生活や内面を深くとらえることが出来ない。それにしても、この種の映画を見ていつも思うのは、ファッション・デザイナーとは、なんて不遜な存在なんだろう、ということだ。(★★★)


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