わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

インド映画に戦うヒロインが登場!「女神は二度微笑む」

2015-02-25 14:49:39 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

“歌わない、踊らない”新世代のインド映画が、相次いでヒットしているそうである。その典型が、スジョイ・ゴーシュ監督のミステリー・サスペンス「女神は二度微笑む」(2月21日公開)です。混沌とした熱気が渦巻く巨大都市コルカタ(旧名:カルカッタ)を舞台に、失踪した夫を捜して単身この街を訪れたヒロインの過酷な運命が描かれていく。久しぶりに見た、という感じのヒヤヒヤ、ドキドキのサスペンス・ドラマ。インド・フィルムフェア賞では、監督・主演女優など5部門で受賞。ハリウッド・リメイクも決定しているという。
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 2年前、毒ガスによる地下鉄無差別テロ事件で多くの犠牲者が出たコルカタの国際空港に、美しい妊婦ヴィディヤ(ヴィディヤー・バーラン)が降り立つ。ロンドンからやって来た彼女の目的は、行方不明になった夫アルナブを捜すこと。だが、宿泊先にも勤務先にも夫がいたことを証明する記録はなく、彼女は途方に暮れる。やがて、夫に瓜ふたつの風貌を持つダムジという危険人物の存在が浮上。それを知った国家情報局のエージェントが捜査に介入、ヴィディヤへの協力者が何者かに殺害される。やがてヴィディヤは、ちょっと頼りないが誠実な警察官ラナ(パラムブラト・チャテルジー)の協力を得て、驚愕の真相に迫っていく。
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 このヴィディヤの捜索劇は、情報機関や謎の殺し屋が絡んで二転三転。さらに、オープニングで描かれる無差別テロとの関連性が発覚し、国家的な大事件へと発展する。大きなお腹を抱えたヴィディヤが、単独で見知らぬ街を駆けずり回り、正体不明の敵を相手にするくだりでは、文字通り手に汗を握らせられる。ドラマは、権力の裏側、不条理にまで迫り、予測不可能な展開と、衝撃的などんでん返しのクライマックスを迎える。それまで、錯綜する状況の中でヨタヨタと重い体を運んでいたヴィディヤが、ラストですべてを爆発させる姿に、思わず「カッコいい!」と呟いてしまい、見る者にカタルシスをもたらすのだ。
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 美しく知的で意志が強いヒロイン、ヴィディヤを演じるのは、多くの受賞歴があるボリウッドのトップ女優ヴィディヤー・バーラン。2013年カンヌ国際映画祭では、コンペティション部門の審査員をつとめた。ヴィディヤが警察や情報局を巻き込んで敵と対決するシーンでは、まさにインド映画に戦う女性誕生!と快哉を叫びたくなる。題名にある“女神”とは、“ドゥルガー・プージャー”の祭りで祝われるヒンドゥー教の戦いの女神ドゥルガーのことで、優雅な容姿と激烈な気性を備えた女神だとか。なにせインドは、公衆の面前で女性が凌辱されるようなお国柄。本作は、そんな反モラル的な社会に断罪を下すようでもある。
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 さらにカメラは、コルカタの民衆や風土をダイナミックにとらえる。ヒロインが迷い込む猥雑な街並み。クライマックスでは、民族色豊かな宗教行事が繰り広げられる秋祭り“ドゥルガー・プージャー”をバックに撮影が行われ、ヒロインはその雑踏に紛れ込む。こうした古式豊かな民族色と並行して、パソコンやケータイなどの機器が情報処理に利用されるくだりも斬新だ。緻密に張り巡らされた伏線と、あっとビックリのトリックが仕掛けられたストーリーの妙。まさにインド映画の新しい波の登場といっていい。いまのハリウッドで、これほど重層的な作品を存分にリメイクすることが出来るのだろうか?(★★★★+★半分)


ひざまずいて祈ることの意味とは?「悼む人」

2015-02-19 16:58:36 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 天童荒太原作、堤幸彦監督の「悼む人」(2月14日公開)は、生と死、愛とはなにか、本当の悲しみとはなにかを、一風変わった概念で追求した作品です。脚本を手がけたのは、「風が強く吹いている」「アゲイン 28年目の甲子園」を監督した大森寿美男。死者を悼んで歩く主人公は、常に「あなたは、あなたを慕う多くの人たちに愛され、そして愛していました。そんなあなたが確かに生きていたということを、私は憶えておきます」と呟きます。原作者は、01年9:11に起きたアメリカ同時多発テロと、それに対する報復攻撃で多くの死者が出たことから作品の着想を得たという。そして、実際に各地で亡くなった人を悼んで歩き、悼みの日記を3年にわたって記し、その体験をもとに08年「悼む人」を刊行した。
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 主人公・坂築静人(高良健吾)は、不慮の死をとげた人々を悼むために、日本全国を旅している。人は、なぜ生まれ、なぜ死ぬのか。彼は旅をしながら、生を奪い、奪われる人たちと出会っていく。母を見殺しにした父を憎む男。愛という執着にとらわれて、夫を殺した女。いじめにあって死んだ息子をめぐって、悲しみと怒りを抱く母親(麻生祐未)。末期癌療養に、病院ではなく自宅を選ぶ母親(静人自身の母親・巡子=大竹しのぶ)…。また静人も、大好きだった者の死を忘れるという行為に自らを責め続けている。そんな彼の旅に、夫を殺した過去を持ち、その亡霊に苦しむ女・倖世(石田ゆり子)が同行する。そして、自らも業を抱える週刊誌のゴシップ記者・蒔野(椎名桔平)が静人の身辺取材を始める…。
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 なによりも、悼む人のイメージ―静人が地にひざまずいて、両手を大きく広げて祈る姿勢にハッとさせられる。それは、記者の蒔野が言うように、どこか新興宗教的だ。静人、30歳。子供の頃、祖父を亡くしたとき、その記憶を胸の中にしまって忘れまいと誓った。にもかかわらず、社会人になったとき、親友の命日を忘れたことにショックを受け、仕事も恋人も家族も捨てて<悼む旅>を始めた。末期癌にかかった母・巡子は、彼が志なかばで崩れそうになるのを励まし支える。妹・美汐(貫地谷しほり)は、妊娠しているにもかかわらず、恋人から別れ話を切り出される。破談の理由には、静人の悼む行為への偏見も含まれている。
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 ロケーション撮影は、福島・会津若松、喜多方方面と、四国・今治の海岸などで行われた。そして、静人の旅を彩るさまざまな自然の風景がカメラに収められた。とりわけ、クライマックス、洞窟のなかで静人と倖世が結ばれるシーンが印象的だ。洞窟の奥には竹林があり、そこに倖世の夫・朔也(井浦新)の亡霊が立つ。その朔也は、夫の暴力から逃れようとする女性たちのシェルターの経営者で、倖世を妻にしたのは自分を殺させるためだったという。そして、死んだあとは亡霊となって倖世にまとわりつくという、きわめて抽象的な存在だ。
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 堤監督は、「この作品を舞台なり(自ら舞台化した)、映像なりで、より多くの人々にご覧いただき、世の不条理の痛みを少しでも緩和出来ればと考えた」という。しかし、ドラマや設定全体が、観念的で抽象的なことは否めない。そして、映像すべてが暗い、きわめてド暗い。そこには、死者を悼みつつ、生への強い願望を導き出し、未来へのしっかりした足取りを暗示するという構図が浮かび上がってこない。とりわけ、ひざまずいて祈る静人の姿からは、同時多発テロや大震災の起因に対する怒りがうかがえない。ただひたすらに、ひざまずいて呪文のように祈るだけの存在。<悼む人>というシンボル・イメージはユニークだけれども、どうもこのドラマにはついていけないし、感情移入することが出来ない。(★★★)


斬新なリアル・ミュージカル「はじまりのうた」

2015-02-14 14:28:57 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

「ONCE ダブリンの街角で」(06年)で注目されたアイルランド・ダブリン出身のジョン・カーニー監督。彼が監督・脚本を兼ねた新作が「はじまりのうた」(2月7日公開)です。かつて、アイルランドのロックバンド“ザ・フレイムス”でベーシストをつとめていたといいう同監督が、リアル・ミュージカルともいうべき斬新な音楽映画を作り上げました。とりわけ、シンガーソングライターのヒロインを演じるキーラ・ナイトレイが、ギターを弾きながら初めてキュートな歌声を披露するくだりが見どころで、新魅力を発揮しています。
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 落ち目の音楽プロデューサー、ダン(マーク・ラファロ)は、妻や娘と別居、ぼろアパートで寂しくひとり暮らしをしている。仕事もうまくいかず、会社をクビになったばかり。いっぽう、無名のミュージシャン、グレタ(キーラ・ナイトレイ)は、最愛の恋人に裏切られ、音楽への夢も諦めようとしていた。そんなふたりがニューヨークのライブハウスで出会い、一緒に音楽を作ることになる。だが資金のない彼らは、ニューヨークの街角をスタジオ代わりにしてレコーディングすることを思いつく。そして、音楽でつながった数々の出会いが予想外の展開を生み、彼らが自分の人生と向き合うための、かけがえのない時間が始まる…。
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「スタジオなんかいらない。PCと編集ソフトと高性能マイクがあれば、どこでも録れるじゃないか。ニューヨークの喧噪も歌の伴奏にしてアルバムを作ろう!」。レコード会社から協力を断られたダンは言い切り、仲間のミュージシャンを集める。そして、エンパイアステートビル、セントラルパーク、地下鉄のホームなどで、ゲリラレコーディングを繰り広げるくだりが痛快で楽しい。いわば、音楽業界のメジャーへの決別。「グレタは、自分のラップトップPCとマイクを使う。そして、ツイッターと現代のテクノロジーを用いて世界と繋がる」とカーニー監督は言う。いわば、音楽制作のフローティングの新機軸といってもいい。
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 カーニー監督の演出は、イマジネーション豊かだ。ライブハウスで、ダンがグレタに出会うくだり。グレタの歌は、観客にまったく受けない。ところが、彼女の歌を聞いたダンが、頭の中でバンド演奏を加えると、素晴らしいセッションに変貌していく。また、彼らとは対照的にメジャーな存在として成功していくグレタの恋人デイヴ(アダム・レヴィーン)のステージや、ダンとグレタが音楽を聴きながら街を行くシーンも挿入される。こうした時制を動かしてモンタージュされたシーンも効果的だ。加えて、その素顔をみごとにとらえたニューヨーク・ロケ。「音楽があれば、平凡な風景が意味のあるものに変わる」とダンは言う。
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 更に、この音楽映画に夫婦、親子、恋人、友人などの人間関係が加わる。家庭が崩壊、妻や娘と別居状態だったダンだが、やがて娘のバイオレット(ヘイリー・スタインフェルド)がギターで街角演奏に加わることになる。また、セレブ生活を捨てたグレタと、トップアーティストになった別れた恋人との危うい関係。そして、音楽で結ばれたグレタとダンとの微妙な友情。そんな人間描写に御都合主義的な点もあるが、すべては音楽が塗りつぶす。グレタの恋人デイヴ役アダム・レヴィーンは、アメリカの人気ロックバンド“マルーン5”のボーカリスト。音楽担当はグレッグ・アレキサンダー。キーラ・ナイトレイが歌う主題歌は“Lost Stars”。最後に流れる映画「カサブランカ」の主題歌「As Time Goes By」も懐かしい。(★★★★)

 

 

 


 


和製“007”が誕生!?「ジョーカー・ゲーム」

2015-02-09 14:03:02 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

「SR サイタマノラッパー」シリーズで一躍注目された入江悠監督。彼の初メジャー作品が、柳広司原作のスパイ小説の映画化「ジョーカー・ゲーム」(1月31日公開)です。ラップのリズムに乗せた青春映画ならぬ、ラップ調(?)の破天荒なノンストップ・アクションに仕上がっています。そして、入江監督も脚本の渡辺雄介も意識したというように、“007”シリーズ(導入部)や「ミッション:インポッシブル」タッチの切れ味鋭く、良い意味でナンセンスな大アクションになっていて、見ていて文句なく楽しめるエンターテインメントです。
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 第2次世界大戦前夜。上官の命に背き、極刑を言い渡された青年(亀梨和也)が、刑執行直前、謎の男・結城(伊勢谷友介)から救いの手を差し伸べられる。交換条件は、男が設立した秘密組織“D機関”の一員としてスパイになること。過酷な訓練を経て、青年に与えられたのは嘉藤という偽名と、世界を揺るがす機密文書“ブラックノート”の奪取というミッションだった。世界各国が狙うブラックノートは、国際都市“魔の都”に駐在する米国大使グラハムの手にあるという。日本を飛び出し、魔の都に潜入した嘉藤らD機関のメンバーは、類いまれな能力を駆使してグラハムに接近していく。そして、グラハムの愛人リン(深田恭子)や、各国のスパイ、さらにD機関内部の見えざる敵が彼らの前に立ちはだかる。
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「ジャッキー・チェン的なユーモアのあるアクションと、『ボーン』シリーズ的な速さを融合したいと思った」と入江監督は言う。亀梨を中心にした、キザなほどのファッションと、目にもとまらぬほどの連続アクション。“魔都”といえば、戦前の上海を思わせる。中国語を操る謎の女リン。嘉藤とリンを捕らえて、残酷な拷問を加える英国諜報機関。チェスの駒に仕込まれた秘密のフィルム。そして、D機関と対立する日本陸軍の幹部たち。そこには、旧日本軍に対する揶揄もこめられているようで、大戦前の暗澹たる雰囲気も醸し出される。
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 大袈裟にいえば、洋画的な感覚をたっぷり取り込んで、アクションに新しい地平を拓いた作品といってもいいだろう。CGを用いた場面展開、テンポのいい音楽。インドネシアのバタム島にあるオープンセットや、シンガポール市内で、アジアの架空の国際都市を表現。また外国人キャストは、オーストラリア、アメリカ、シンガポールなどから集められた。良くも悪くも、いままでの日本映画の枠を乗り越えた無国籍的アクション・サスペンス。その徹底した、あっけらかんとした映画作り。独立系の新人監督に大きなチャンスを与えることは、日本映画にとってもいいことだと思う。どうやら、続編も出来そうな感じだ。(★★★★)


楽しくレトロな庶民派人情ドラマ、映画「深夜食堂」

2015-02-04 17:45:06 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 安倍夜郎原作、TVドラマとしても話題を呼んだ食コミックが、映画「深夜食堂」(1月31日公開)としてスクリーンによみがえりました。監督は、「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(07年)で日本アカデミー賞最優秀監督賞を含め主要5部門で受賞、TV版「深夜食堂」も手がけた松岡錠司。繁華街の路地裏にある小さな食堂に集うワケアリの人々が繰り広げる、楽しくレトロな庶民派ドラマに仕上がっています。東京新宿・繁華街の路地裏をそのまま切り取ったかのようなセット、フードスタイリスト・飯島奈美が手がけた庶民的な料理のかずかずが見る者を楽しませる、人情味たっぷりな作品になっています。
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 マスター(小林薫)の作る味と居心地のよさを求めて、夜な夜な賑わう“めしや”。ある日、誰かが置き忘れた骨壺をめぐってマスターは思案顔。そんな“めしや”に、久しぶりに顔を出したたまこ(高岡早紀)。彼女は愛人を亡くし、新しいパトロンを物色中だったが、隣にいた年下の男はじめ(柄本時生)と気が合うようになる。また、無銭飲食をしたことを機に、マスターの手伝いを兼ねて住み込みで働くことになったみちる(多部未華子)。更に、福島の被災地から来た謙三(筒井道隆)は、“めしや”で常連のあけみ(菊池亜希子)に会いたいと騒ぐ。彼らは、マスターが作る懐かしい味に癒されて、明日への一歩を踏み出す…。
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 物語は、4つほどのエピソードを中心に繰り広げられる。たまこと、はじめの愛の顛末。新潟県から出て来たという何か事情を抱えたみちる。福島でボランティア活動に従事した際に、被災者にプロポーズされたあけみ。そして、骨壺の持ち主・街子(田中裕子)の登場。そのたびに、マスターが作るナポリタン、とろろご飯、ボランティアの味・カレーライスなどがキーとなる。また、多彩なキャラの描きわけがみごとだ。顔に傷跡がある正体不詳のマスター。その古い知り合いで、新橋の料亭の女将(余貴美子)。交番勤務のお人よしの警官(オダギリジョー)。かれらのやりとりがホロリとさせ、ユーモラスでもある。
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 もうひとつ、ドラマの構成上で面白いのが、“めしや”を舞台に東京と地方をクロスさせていることです。たとえば、新潟県親不知出身のみちる。彼女は、地元の居酒屋で働いていたときに男に貯金をだまし取られ、その男が彼女を故郷に連れ帰ろうと“めしや”に現れる。上京したみちるは、漫画喫茶で寝泊まりし、やがてマスターに雇われて料理の才を発揮し、その後新橋の料亭に勤務する。文無しで東京に出た地方の娘が、自らの才覚で東京に同化していくという挿話だ。また、被災地・福島でボランティア活動をしてきたOLのあけみは、津波で最愛の妻を亡くした謙三に愛を迫られて、ちょっと戸惑い気味。劇中、誰やらが「所詮、東京は田舎者の集まりなんだから」と言うが、それはまさに、その通りなのである。
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 また、深夜食堂“めしや”界隈の昭和の匂いが漂う街並みのセットは、埼玉県入間市にある広さ300坪の倉庫内に作られたという。そこに足を踏み入れると奇妙な名前の飲み屋が並び、稲荷大明神や交番がある。くすんだセピア色のような世界。美術監督の原田満生は「新宿や渋谷などの飲み屋街がモデルになっている」という。そういえば、新宿歌舞伎町のゴールデン街を彷彿とさせるのだ。猥雑で、ちょっと危険。文士やジャーナリスト、編集者らで賑わった文化街でもあった。“めしや”の内部は、すすけた壁、狭いが整理された厨房、古い掛け時計、厨房を取り巻くカウンター席。このレトロな雰囲気がたまらない。(★★★★)


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