アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

8 1/2

2013-10-06 00:40:43 | 映画
『8 1/2』 フェデリコ・フェリーニ監督   ☆☆☆☆☆

 フェリーニの代表作の一つ、『8 1/2』を再見。クライテリオンのブルーレイを買って観たが、さすが美麗である。モノクロだけれども、眩く華やかな温泉地の光景や次々と登場する美女たちを、たっぷり堪能できる。主演のマルチェロ・マストロヤンニも渋い男盛りで、なんともかっこいい。

 私はフェリーニ映画では『道』『アマルコルド』の方が好きなのだが、やはりこの映画を評価しようとすると満点を付けざるを得ない。客観的に見て最上級の傑作だ。それにはいくつか理由があるが、常に多彩なフェリーニの映画の中でもとりわけ多彩であること、色んな要素が混在しかつそれらが調和し濃密な世界を形作っていること、フェリーニらしさの集大成的なフィルムであること、などが挙げられると思う。

 この映画を構成する要素の多彩さを見てみよう。まず、これは映画を作っている映画監督の映画である。しかも、映画監督グイド(マルチェロ・マストロヤンニ)が作っているのはまさにこの『8 1/2』である。本の表紙に本を持った少女の写真があり、その少女が持った本の表紙にもまた同じ本を持った少女の写真が……というトリック写真があるが、この映画もそういう騙し絵的なめまいを誘う構造になっている。そしてまた、この構造は当然ながらメタフィクションとしても機能する。映画の中に登場する脚本家がグイドの映画について基本構想がない、意味がないエピソードの羅列だ、子供時代の罪のないエピソードを描いてなんになる、ただの郷愁に過ぎん、などとあれこれ批判するが、これは要するにこの『8 1/2』の批判なのである。『8 1/2』の中の登場人物が『8 1/2』について批判している。それから、『8 1/2』に出演する俳優たちのオーディション光景なども出てくる。

 映画監督が主人公ということで、もちろん創作の苦しみも語られる。インスピレーションが永遠に枯れてしまったとしたら、とグイドは常に恐れている。インスピレーションだけでなく、映画製作にまつわるもろもろの煩わしさ、つまりプロデューサーやスポンサーや俳優たちをなだめたりすかしたりするという仕事も、グイドはこなしていかねばならない。脚本家は口を開けば批判してくる。この苦しさは、映画のクライマックスである発表会の場面で頂点に達する。

 それからまた、グイドの夢や妄想や回想が現実と溶け合うようにして、つまり現実と等価なものとして描写される、というのが本作の重要な特徴だ。映画はグイドの夢の場面で始まる。渋滞の車の中の圧迫感に耐え切れず外に出て、空を飛び、海の上に出る。すると足に紐が巻き付いていて、浜辺にいる男が凧のようにその端を掴んでいる。と思った途端、海に向かって墜落していく。このいかにもシュルレアリスティックな夢をはじめ、父親と母親が登場する夢、女優が登場する夢、少年時代のカソリックの抑圧的な記憶や海辺に住む女サラギーナの記憶、あるいは子供部屋で聞いた「アサ ニシ マサ」という呪文の回想、そしてうるさい脚本家に首を吊らせたり美女が鉱水を差し出しているなどの妄想の数々、これらがグイドの生活の描写の中に次から次へと割り込んでくるのである。特におかしいのが、グイドが妄想するハーレム。そのハーレムにはグイドがかつて浮気したり惹かれたりした女たちや妻や妻の女友達や友人の恋人までが一緒に住んでいて、みんながグイドにかしづき、グイドを「あなたこそ世界一の男だわ」などと賛美している。アホ丸出しで、かなり笑える。この映画は難解と言われることもあるが、実は結構アホ映画である。

 しかしそういうアホ妄想が出てくる反面、現実というものの苦しみ、特に女たちが(グイドという男に対して)もたらす苦しみも描かれる。特に妻ルイザの軽蔑と侮蔑の言葉、視線は強烈だ。もちろんグイドの浮気が原因なのだから自業自得である。保養地にやってきたルイザとグイドの会話はヒリヒリするような現実の痛みを感じさせるが、その一方で、グイドはホテルの宿泊客である見知らぬ女を目で追いかけたりしている(この女は彼のハーレム妄想の中にも登場する)。要するにどうしようもない女好きなのだが、こういう男女関係の悦びと苦しみも、この映画の重要なテーマと言えると思う。

 こういう数々のテーマに加え、この映画には美しい女たちが驚くほど大勢登場する。友人の恋人グロリア、グイドの恋人カルラ、プロデューサーがつれている若い女、グイドの妻ルイザ、ルイザの女友達に姉妹、クラウディア及びその他の女優たち、などなどで、主演のマストロヤンニもいい男なので実に華やかである。保養地の賑わい、豪華なホテルという舞台設定もそれに拍車をかける。加えて、壮麗なサウナの光景やオーディション光景、映画のために立てられたロケット発射台のセットなど、フェリーニらしい壮麗なビジュアルが連発される。もちろんお得意のパーティーシーンもある。

 美女ばかりでなくサラギーナという大女も登場するし、カソリックへの風刺も少年時代のノスタルジーもある。こうしてフェリーニ的モチーフがすべてぶち込まれ、映画作りと結婚生活の両方の危機がピークに達してあのクライマックスに至る。ロケット発射台を前にしての発表会はひときわ狂騒的だ。そしてそれはすべて一発に銃声に集約されていくが、この流れも、映画の力学的にこれしかないという必然性と力強さを感じさせる。

 そしてそれに続くラストシーンがまた見事で、おそらくあのラストシーンのおかげでこの映画の良さは3割増しになっている。出演者の全員が輪になって踊るという、祝祭的なフェリーニ映画の中でも最高に祝祭的なシークエンスだ。そしてこれに「人生は祭りだ、ともに生きよう」という力強いメッセージが重なる。つまりグイドはこれまで描かれてきた混乱とカオスを経て、ここに新しい人生観を獲得したのである。テーマ的にもストーリー的にもビジュアル的にも見事に一点に収束した感があり、特に後期フェリーニ作品は緩い構成ばかりなので、この構成美は実に見事だ。映画を観終わった後にどっしりした満足感を与えてくれる。

 という具合に、『8 1/2』はメタフィクショナルでシュルレアリスティックでノスタルジックでアイロニックであり、祝祭的でありカーニヴァル的でありロマンティックであり、アホ映画でもあり、しかも内省的で瞑想的で求道的でもあり、おまけにビジュアル的にも華麗という、まさに奇跡的に豊穣な映画なのである。個人的にはあまりにもギュッとつまり過ぎていて、もうちょっと隙間や偏りがあった方が好感が持てると思うほどだ。タイトルもフェリーニの8 1/2番目の作品という意味でしかなく、このあっけらかんとした開かれ方が良い。古今東西の映画ランキングで常に上位にランクされるのも納得の逸品である。



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2 コメント

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Unknown (sumire)
2013-10-10 19:09:40
とても読み応えのある批評でした。
ヴィアンの「北京の秋」の批評もして下さってるので嬉しかったです。*^^*他に面白そうな作品も沢山ありますね。本や映画を借りるときの参考にさせて頂こうと思います。
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Unknown (ego_dance)
2013-10-14 21:34:58
ありがとうございます。参考にしていただければ幸いです。
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