『さらば、わが愛/覇王別姫』 チェン・カイコー監督 ☆☆☆☆
日本版DVDを購入して鑑賞。観る前は知らなかったが、三時間の大長編映画だった。内容的にも、まさに大河ドラマというにふさわしい物語で、かなり見ごたえがあった。
レスリー・チャンという人気俳優が女装している映画というぐらいの知識しかなかったが、要するにこれは中国の京劇の世界を舞台に、役者(男)二人と女一人の愛憎渦巻く三角関係をどこまでも突き詰めていく物語である。それともう一つ、第二次大戦から文化大革命に至るまでの歴史に弄ばれる、三人の人生の物語でもある。大河ドラマの王道だ。
とにかくまず映像が美しい。ヨーロッパ映画に多いひなびた感じの美しさではなく、極彩色の絢爛たる美しさだ。京劇が舞台となっているだけあって、そういう豪奢な色彩美が映えること映えること。目を奪われるとはこのことだ。それにどのシーンをとっても構図は決まっているし、画面の隅々まで神経が行き届いている。美術さん、照明さん、撮影さんお疲れ様でした。とにかく美しい絵を見せてやろうという情熱が伝わってくる。
物語は短いプロローグを経て、本編の主人公・蝶衣の少年時代からスタートする。遊女の子である蝶衣は母親によって京劇の劇団に連れてこられるが、指が一本多い畸形のため断られる。蝶衣を厄介払いしたい母親は少年の指を肉きり包丁で切り落とし、劇団に少年を置いてそそくさと去っていく。このシーンは去勢のメタファーであり、男でありながら女として生きることになる蝶衣の人生を暗示しているわけだが、衝撃性と悲劇性、そして象徴性を備えた見事なエピソードだと思う。
そこから蝶衣の劇団での生活が始まるわけだが、その修行の厳しさというか、虐待というか、しごきの激しさがまた凄い。とにかく最初の方は少年がひどくぶたれるシーンが多くて見ていて辛くなる。
少年時代の蝶衣は二人の子役が演じているが、二人とも少女のようにきれいな少年だった。特に蝶衣が初めて化粧して覇王別姫を演じるシーンの妖艶さにはびっくりした。それから「女と生まれて」のセリフを「男と生まれて」と間違うエピソードで、口の中をキセルでかき回され、口の端から血を垂らしながら微笑み、セリフを喋るシーンの凄み。これを絢爛たる色彩美でやられると、うーん、なんか倒錯的で残酷な耽美性を感じるな。
蝶衣はいじめから自分を庇ってくれた小樓に思いを寄せるようになり、二人は京劇の役者として名声を得る。大人になった蝶衣をレスリー・チャンが演じているが、女形の化粧をした彼の美しさがまたえらいことになっている。素顔は(整ってはいるが)まあどうってことない男なのに、化粧すると絶世の美女に変わってしまうのである。身のこなしや仕草の一つ一つまでが女よりも女らしい。
二人は名コンビだったが、小樓が遊女の菊仙と結婚するあたりから愛憎どろどろが始まる。実生活にまで覇王別姫の関係を持ち込もうとする蝶衣と、舞台と生活は別だと言う小樓のすれ違い。そして歴史は三人を飲み込んでいき、蝶衣は法廷に立たされ、阿片に溺れ、小樓とのコンビも解消させられてしまう。共産党の政権下では京劇そのものが攻撃の対象となり、京劇俳優達は通りを引き回されさらし者にされる。
とにかく大長編なので物語は以下省略。最後まで波乱万丈である。
個人的には、こういうなんでもありの大河ドラマにあまり惹かれないこともあってか、後半ちょっと長すぎる気がしないでもない。三角関係の愛憎なんてのにも惹かれないタチなので、大人になってからよりむしろ少年時代を描いた前半の方が印象に残った。
しかし長いといっても演出はしっかり抑制されていて、間を生かした、説明過剰にならないスタイリッシュな演出はかなり気持ちイイ。説明が省略され過ぎて良く意味が分からないシーンもあったぐらいだ。まあ意味が分からないと困るわけだが、こういう演出のスタイルもなかなか良かった。
大河ドラマ好きにはたまらない映画だろうが、そうでない私のような人間でも絢爛豪華な映像美と妖艶さでたっぷり楽しませてくれる。歴史物でもあり、京劇物でもあり、三角関係ものでもあり、同性愛ものでもあるという守備範囲の広い映画だが、私は豪奢かつ妖艶な耽美映画として堪能させてもらった。
しかしその後、蝶衣を演じたレスリー・チャンは自殺してしまったわけだが、そう思ってこの映画を観るといよいよ胸に迫るものがある。ご冥福をお祈りいたします。安らかに。
日本版DVDを購入して鑑賞。観る前は知らなかったが、三時間の大長編映画だった。内容的にも、まさに大河ドラマというにふさわしい物語で、かなり見ごたえがあった。
レスリー・チャンという人気俳優が女装している映画というぐらいの知識しかなかったが、要するにこれは中国の京劇の世界を舞台に、役者(男)二人と女一人の愛憎渦巻く三角関係をどこまでも突き詰めていく物語である。それともう一つ、第二次大戦から文化大革命に至るまでの歴史に弄ばれる、三人の人生の物語でもある。大河ドラマの王道だ。
とにかくまず映像が美しい。ヨーロッパ映画に多いひなびた感じの美しさではなく、極彩色の絢爛たる美しさだ。京劇が舞台となっているだけあって、そういう豪奢な色彩美が映えること映えること。目を奪われるとはこのことだ。それにどのシーンをとっても構図は決まっているし、画面の隅々まで神経が行き届いている。美術さん、照明さん、撮影さんお疲れ様でした。とにかく美しい絵を見せてやろうという情熱が伝わってくる。
物語は短いプロローグを経て、本編の主人公・蝶衣の少年時代からスタートする。遊女の子である蝶衣は母親によって京劇の劇団に連れてこられるが、指が一本多い畸形のため断られる。蝶衣を厄介払いしたい母親は少年の指を肉きり包丁で切り落とし、劇団に少年を置いてそそくさと去っていく。このシーンは去勢のメタファーであり、男でありながら女として生きることになる蝶衣の人生を暗示しているわけだが、衝撃性と悲劇性、そして象徴性を備えた見事なエピソードだと思う。
そこから蝶衣の劇団での生活が始まるわけだが、その修行の厳しさというか、虐待というか、しごきの激しさがまた凄い。とにかく最初の方は少年がひどくぶたれるシーンが多くて見ていて辛くなる。
少年時代の蝶衣は二人の子役が演じているが、二人とも少女のようにきれいな少年だった。特に蝶衣が初めて化粧して覇王別姫を演じるシーンの妖艶さにはびっくりした。それから「女と生まれて」のセリフを「男と生まれて」と間違うエピソードで、口の中をキセルでかき回され、口の端から血を垂らしながら微笑み、セリフを喋るシーンの凄み。これを絢爛たる色彩美でやられると、うーん、なんか倒錯的で残酷な耽美性を感じるな。
蝶衣はいじめから自分を庇ってくれた小樓に思いを寄せるようになり、二人は京劇の役者として名声を得る。大人になった蝶衣をレスリー・チャンが演じているが、女形の化粧をした彼の美しさがまたえらいことになっている。素顔は(整ってはいるが)まあどうってことない男なのに、化粧すると絶世の美女に変わってしまうのである。身のこなしや仕草の一つ一つまでが女よりも女らしい。
二人は名コンビだったが、小樓が遊女の菊仙と結婚するあたりから愛憎どろどろが始まる。実生活にまで覇王別姫の関係を持ち込もうとする蝶衣と、舞台と生活は別だと言う小樓のすれ違い。そして歴史は三人を飲み込んでいき、蝶衣は法廷に立たされ、阿片に溺れ、小樓とのコンビも解消させられてしまう。共産党の政権下では京劇そのものが攻撃の対象となり、京劇俳優達は通りを引き回されさらし者にされる。
とにかく大長編なので物語は以下省略。最後まで波乱万丈である。
個人的には、こういうなんでもありの大河ドラマにあまり惹かれないこともあってか、後半ちょっと長すぎる気がしないでもない。三角関係の愛憎なんてのにも惹かれないタチなので、大人になってからよりむしろ少年時代を描いた前半の方が印象に残った。
しかし長いといっても演出はしっかり抑制されていて、間を生かした、説明過剰にならないスタイリッシュな演出はかなり気持ちイイ。説明が省略され過ぎて良く意味が分からないシーンもあったぐらいだ。まあ意味が分からないと困るわけだが、こういう演出のスタイルもなかなか良かった。
大河ドラマ好きにはたまらない映画だろうが、そうでない私のような人間でも絢爛豪華な映像美と妖艶さでたっぷり楽しませてくれる。歴史物でもあり、京劇物でもあり、三角関係ものでもあり、同性愛ものでもあるという守備範囲の広い映画だが、私は豪奢かつ妖艶な耽美映画として堪能させてもらった。
しかしその後、蝶衣を演じたレスリー・チャンは自殺してしまったわけだが、そう思ってこの映画を観るといよいよ胸に迫るものがある。ご冥福をお祈りいたします。安らかに。
三角関係ものという面もあるかもしれませんが、蝶衣は菊仙に自分を捨てた母親を重ねていたのだと思います。
阿片に溺れた蝶衣を救ったのは菊仙だし、同じ遊女だし。菊仙に対する想いは嫉妬心だけではなかったと思いました。
この時代だからこそと思われる優しさとしたたかさの入り混じった女性を、コン・リーはとても見事に演じていたのではないでしょうか。といっても文化大革命の時代を良く知っているわけではありませんが。
レスリー・チャンにしてもこれが彼のなかでも代表作だったのではないでしょうか。それなのに、彼の最期を思うと残念でありません。
蝶衣と菊仙は確かにそうですね。複雑な人間ドラマでした。レスリー・チャンの他の作品は観た事ないですけど、この映画では女形っぽい雰囲気が良く出ていましたね。小柄だし。他の役だとガラッと変わったりするんでしょうか。とにかく化粧した姿の妖艶さにはびっくりでした。
コン・リーも確かに良かったです。あと、少年時代の蝶衣を演じた子役が印象的でした。