『The Mist』 Frank Darabont監督 ☆☆☆☆
ホラー映画である。原作、スティーヴン・キング。監督、フランク・ダラボン。このダラボン監督は『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』を撮った人で、キング映画化御用達監督ともいわれている。よっぽど好きなんだろう。本作でも冒頭で主人公デイヴィッドが描いている映画ポスターがキングの『暗黒の塔』シリーズだったり、キング・マニアっぷりを存分に見せつけている。
さて、『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』と聞いて同じ路線を想像した人はちょっと待て。これはホラーである。しかも霧の中に潜む数々のクリーチャーが人々を襲うという、開き直ったかのような堂々たるB級ホラー。嵐の翌日、田舎町のスーパーマーケットに買い物に来た人々。山の上から降りてきた霧が町を包む。スーパーに血を流す男が駆け込んでくる。「霧の中に何かいる!」その言葉を信じないで外へ出た人々は悲惨な死を遂げる。恐怖におびえる人々はスーパーの中に釘づけになる。そして夜がやってくる…。
はっきり言ってクリーチャーが超気持ち悪い。ネタバレ御免で書いてしまうが昆虫系である。私は虫は苦手なのである。しかし設定やプロットはいかにもB級ホラーなのに、こと人間描写に関しては紋切り型を脱していて、フランク・ダラボン監督の持ち味らしきものが出ている。この状況下における人間描写が丁寧、というか実にねちっこい。話を信じない奴、宗教きちがい、臆病者、何か知ってそうで口を割らない軍関係者、などキング小説ではおなじみの人々が登場し、葛藤を繰り広げるわけだが、そのドラマの密度が圧倒的に濃い。というかクリーチャーよりこっちの方がメインだ。この映画の一番のヒールは間違いなく宗教きちがいのコメディ夫人だし、恐怖心のあまり彼女の言うことを徐々に受け入れ始める人々も怖い。ついにコメディ夫人がこの事態の責任者=「ユダ」を名指しし、人々がすすんで殺人を犯すシーンは観客を慄然とさせずにはおかない。そういう意味で、これはB級ホラーの設定を借りて人間の怖さを描いた映画だとも言える。
それからまた、デイヴィッド達のいうことを絶対に信じない隣人ノートンのエピソードは実に苛立たしい(つまり面白い)。過去の訴訟の仕返しだなんて変な理屈をつけてまで信じようとしない。キングはこういう「信じない人」の頑なさを描かせると絶品だが、この映画はそういうところも丁寧で、キング的だ。
さて、そういうねばっこく重厚な恐怖描写が積み重なり、観客の気分はどんどん落ち込んでいく。そして映画の終盤はほとんど黙示録的な絶望感が画面全体を支配することになる。賛美歌のような音楽がそれに拍車をかける。その果てに訪れるのは、ホラー映画でも稀に見るほどのバッド・エンディングだ。この結末は賛否両論らしいが、確かにちょっとどうかと思う。あまりにやりきれない。後味の悪さは『ダークナイト』以上である。それに狙い過ぎで不自然な気がする。
まあ言ってみれば、観終わった後『ショーシャンクの空に』の正反対の気分になれる映画、と思ってもらえば間違いない。
それにしてもあの薬局のシーンは気持ち悪かった。ちょっと『遊星からの物体X』を思い出した。この映画の中ではクリーチャーは状況を作り出すための単なる道具だが、気持ち悪さもかなりのものなので、そういうのに弱い人は気をつけた方がいいでしょう。
ホラー映画である。原作、スティーヴン・キング。監督、フランク・ダラボン。このダラボン監督は『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』を撮った人で、キング映画化御用達監督ともいわれている。よっぽど好きなんだろう。本作でも冒頭で主人公デイヴィッドが描いている映画ポスターがキングの『暗黒の塔』シリーズだったり、キング・マニアっぷりを存分に見せつけている。
さて、『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』と聞いて同じ路線を想像した人はちょっと待て。これはホラーである。しかも霧の中に潜む数々のクリーチャーが人々を襲うという、開き直ったかのような堂々たるB級ホラー。嵐の翌日、田舎町のスーパーマーケットに買い物に来た人々。山の上から降りてきた霧が町を包む。スーパーに血を流す男が駆け込んでくる。「霧の中に何かいる!」その言葉を信じないで外へ出た人々は悲惨な死を遂げる。恐怖におびえる人々はスーパーの中に釘づけになる。そして夜がやってくる…。
はっきり言ってクリーチャーが超気持ち悪い。ネタバレ御免で書いてしまうが昆虫系である。私は虫は苦手なのである。しかし設定やプロットはいかにもB級ホラーなのに、こと人間描写に関しては紋切り型を脱していて、フランク・ダラボン監督の持ち味らしきものが出ている。この状況下における人間描写が丁寧、というか実にねちっこい。話を信じない奴、宗教きちがい、臆病者、何か知ってそうで口を割らない軍関係者、などキング小説ではおなじみの人々が登場し、葛藤を繰り広げるわけだが、そのドラマの密度が圧倒的に濃い。というかクリーチャーよりこっちの方がメインだ。この映画の一番のヒールは間違いなく宗教きちがいのコメディ夫人だし、恐怖心のあまり彼女の言うことを徐々に受け入れ始める人々も怖い。ついにコメディ夫人がこの事態の責任者=「ユダ」を名指しし、人々がすすんで殺人を犯すシーンは観客を慄然とさせずにはおかない。そういう意味で、これはB級ホラーの設定を借りて人間の怖さを描いた映画だとも言える。
それからまた、デイヴィッド達のいうことを絶対に信じない隣人ノートンのエピソードは実に苛立たしい(つまり面白い)。過去の訴訟の仕返しだなんて変な理屈をつけてまで信じようとしない。キングはこういう「信じない人」の頑なさを描かせると絶品だが、この映画はそういうところも丁寧で、キング的だ。
さて、そういうねばっこく重厚な恐怖描写が積み重なり、観客の気分はどんどん落ち込んでいく。そして映画の終盤はほとんど黙示録的な絶望感が画面全体を支配することになる。賛美歌のような音楽がそれに拍車をかける。その果てに訪れるのは、ホラー映画でも稀に見るほどのバッド・エンディングだ。この結末は賛否両論らしいが、確かにちょっとどうかと思う。あまりにやりきれない。後味の悪さは『ダークナイト』以上である。それに狙い過ぎで不自然な気がする。
まあ言ってみれば、観終わった後『ショーシャンクの空に』の正反対の気分になれる映画、と思ってもらえば間違いない。
それにしてもあの薬局のシーンは気持ち悪かった。ちょっと『遊星からの物体X』を思い出した。この映画の中ではクリーチャーは状況を作り出すための単なる道具だが、気持ち悪さもかなりのものなので、そういうのに弱い人は気をつけた方がいいでしょう。
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