『辺境の館』 パスカル・キニャール ☆☆☆☆☆
再読。いやー久々にキニャールを読み返したが、やはりこれは大傑作である。すごい。端整で、残酷で、優美で、バロックで、猥雑で、壮麗で、美しい。
これはキニャールがポルトガルのフロンテイラ邸を題材に書き下ろした架空の物語で、もともとはフロンテイラ邸の写真集として出版されたらしい。その後フランスでも小説だけの文庫版が出たらしいが、まあこの出来ならそれも当然だ。この本では冒頭に8ページばかりフロンテイラ邸の写真がついている。バロック建築の代表というだけあって邸宅の威容も見ものだが、タイルに青く焼きつけられた奔放で奇怪な絵の数々がやはりすごい。人間と動物のあいのこのような生き物、人間のように服を着て音楽を学ぶ動物達、陰部に刺青をした女性、などなど。写真はないが、自殺する男や転ぶ踊り子、物陰で排便する女性の絵などもあるらしい。キニャールはこの奇怪なタイル画に呼応する見事な小説を書いた。
物語は非常に短い。解説では短篇小説と書かれている。一応十四章あるが、字も大きいのであっという間に読み終わる。しかし物語の濃さは半端じゃない。時代は17世紀、登場するのはリスボンの王侯貴族達。フランス人ムッシュー・ド・ジョームはアルコバーサ家の令嬢ルイーズに恋慕するが、ルイーズはオレイラス家の子息に嫁ぐ。欲望を抑えられないムッシュー・ド・ジョームは姦計をもってオレイラスを殺害し、ルイーズを自分のものにする。やがて真実を知ったルイーズは復讐を誓う……。
とにかく文体が素晴らしい。簡潔で力強く、怜悧な美しさがしたたり落ちる、まるで大理石に彫りこまれた文章を読んでいるようだ。この文体で書かれたらどんな話だって傑作になるだろうが、ストーリーがまた壮絶な復讐譚。これが名作にならないわけがない。文章は詩的でありながら異様なまでに簡潔なため、豊富なエピソードがぎゅっと凝縮されている。短いが、一直線に起承転結してしまうような話ではなく、複雑なディテールを持っている。それから当時の歴史や実在の王侯への言及、作者の教養の片鱗がうかがえる神話へ言及、さらには現代人と異なる当時の人々の残酷な感性を織り交ぜる手法などが、物語に豊穣さをもたらしている。
美しい文章で古典的な世界に酔っていると、ルイーザの幼友達アルフォンソが牡牛に睾丸をつぶされるエピソードでまずぎょっとする。ほんの短い文章で描かれるこのエピソードの緊張感はどうだろう。そして物語が進み、ルイーザがムッシュー・ド・ジョームを去勢し、通りに走り出して自害する場面の壮絶さ。そして更に、ムッシュー・ド・ジョームの友人であるマスカレーニャス伯爵がルイーズの復讐に復讐しようとしてフロンテイラ邸のタイル画を制作する。その庭園に王がコシモ大公を案内するという後日談も、物語を大きく膨らませていてキニャールの物語巧者ぶりをうかがわせる。単に復讐がかなって終わりではないのである、この物語は。
芸術品とはこういう小説のことを言う。キニャールはエッセーとも小説ともつかないような不思議な散文作品をたくさん書いている作家だが、本書は短くて濃厚な物語らしい物語ということで、キニャールを初めて読んでみようという人には絶好の作品だと思う。
再読。いやー久々にキニャールを読み返したが、やはりこれは大傑作である。すごい。端整で、残酷で、優美で、バロックで、猥雑で、壮麗で、美しい。
これはキニャールがポルトガルのフロンテイラ邸を題材に書き下ろした架空の物語で、もともとはフロンテイラ邸の写真集として出版されたらしい。その後フランスでも小説だけの文庫版が出たらしいが、まあこの出来ならそれも当然だ。この本では冒頭に8ページばかりフロンテイラ邸の写真がついている。バロック建築の代表というだけあって邸宅の威容も見ものだが、タイルに青く焼きつけられた奔放で奇怪な絵の数々がやはりすごい。人間と動物のあいのこのような生き物、人間のように服を着て音楽を学ぶ動物達、陰部に刺青をした女性、などなど。写真はないが、自殺する男や転ぶ踊り子、物陰で排便する女性の絵などもあるらしい。キニャールはこの奇怪なタイル画に呼応する見事な小説を書いた。
物語は非常に短い。解説では短篇小説と書かれている。一応十四章あるが、字も大きいのであっという間に読み終わる。しかし物語の濃さは半端じゃない。時代は17世紀、登場するのはリスボンの王侯貴族達。フランス人ムッシュー・ド・ジョームはアルコバーサ家の令嬢ルイーズに恋慕するが、ルイーズはオレイラス家の子息に嫁ぐ。欲望を抑えられないムッシュー・ド・ジョームは姦計をもってオレイラスを殺害し、ルイーズを自分のものにする。やがて真実を知ったルイーズは復讐を誓う……。
とにかく文体が素晴らしい。簡潔で力強く、怜悧な美しさがしたたり落ちる、まるで大理石に彫りこまれた文章を読んでいるようだ。この文体で書かれたらどんな話だって傑作になるだろうが、ストーリーがまた壮絶な復讐譚。これが名作にならないわけがない。文章は詩的でありながら異様なまでに簡潔なため、豊富なエピソードがぎゅっと凝縮されている。短いが、一直線に起承転結してしまうような話ではなく、複雑なディテールを持っている。それから当時の歴史や実在の王侯への言及、作者の教養の片鱗がうかがえる神話へ言及、さらには現代人と異なる当時の人々の残酷な感性を織り交ぜる手法などが、物語に豊穣さをもたらしている。
美しい文章で古典的な世界に酔っていると、ルイーザの幼友達アルフォンソが牡牛に睾丸をつぶされるエピソードでまずぎょっとする。ほんの短い文章で描かれるこのエピソードの緊張感はどうだろう。そして物語が進み、ルイーザがムッシュー・ド・ジョームを去勢し、通りに走り出して自害する場面の壮絶さ。そして更に、ムッシュー・ド・ジョームの友人であるマスカレーニャス伯爵がルイーズの復讐に復讐しようとしてフロンテイラ邸のタイル画を制作する。その庭園に王がコシモ大公を案内するという後日談も、物語を大きく膨らませていてキニャールの物語巧者ぶりをうかがわせる。単に復讐がかなって終わりではないのである、この物語は。
芸術品とはこういう小説のことを言う。キニャールはエッセーとも小説ともつかないような不思議な散文作品をたくさん書いている作家だが、本書は短くて濃厚な物語らしい物語ということで、キニャールを初めて読んでみようという人には絶好の作品だと思う。
ところで、折り入って相談があります。
最近、図書館でキニャールのエッセイ(?)「さまよえる影」を知りました。読んでみたところ、小説以上のストイックな文体で綴られていて、ため息が出てしまいました。私はエッセイを読むのは苦手で、内容はさっぱり頭に入ってこなかったのですが、この体験は忘れがたいものでした。この本は絶版で相当な値段で取引されていますので、購入を迷っています。そこで、ego_danceさんはこの本を読んでどの様に感じたでしょか?変な質問ですみませんが、暇があったら答えてくれるとありがたいです。
理由としては、①言語、ローマ皇帝、芸術、社会、歴史、キリスト教、仏教、などあらゆることを網羅する博識(911や日本の黒船来襲のことまで)、②それらを「影」や「死」というキーワードで斬っていく視点の冴え、③考察が論文でなく詩になっている(ただそのせいで意味が掴みにくい)、④純然たるエッセーでなく物語的な断片が混在したハイブリッドなテキストになっている、⑤書き言葉は奇妙な言語である、芸術は進歩を知らない、など魅力的でかつ「美しい」観念がちりばめられている、などでしょうか。
さらに言うと構成がロジカルでなく、「詩的な秩序」としかいいようのない秩序で断章が並べられていて、「影」や「言葉」に関する考察の間に突然、孤独の中で読書に没頭した夏の幸福な記憶、を描いた章が出現し、その不思議さによって一層美しさを増す、などというマジックもある本だと思います。
ただ先に書いたように、意味が掴みづらい(または意味不明の)文章も多いので、かなり読者を選ぶ本だと思います。とりあえず私の印象はそんなところですが、参考になりますかどうか。
うーむ、これは買いなのか、そうでないのか。この本がエッセイとして独特の位置を占めている作品であることは間違いなさそうです。しばらく悩んでみようと思います。