『ミツバチのささやき』 ビクトル・エリセ監督 ☆☆☆☆☆
至宝という言葉はこのような映画のためにある。ビクトル・エリセ監督のデビュー作、『ミツバチのささやき』。私は以前に日本版DVDを購入したのだが、Amazonで見るといまや製造中止、中古品が定価の5倍以上の値段で取り引きされている。いやーホントに買っといて良かった。しかし、こういうタイトルがすぐ製造中止になってしまうというのはどういうことなのか。まずいのではないか。
これは神秘と静謐の映画である。その深さは計り知れない。舞台は1940年、スペインはカスティーリャ地方の田舎町、主人公は少女のアナ。アナとイザベルは幼い姉妹だが、ある日村にやってきた映画『フランケンシュタイン』を観にいく。画面を喰いいるように見つめるつぶらな瞳。アナは囁く、「イザベル、どうして(フランケンシュタインは)女の子を殺したの?」アナの質問に答えられないイザベルは嘘をつく。「あれは精霊なの。だから友達になれば、いつでもお話ができるの」
森や野原を無邪気に駆け回るイザベルとアナ。ある日アナは廃屋(農作物用の倉庫みたいなところ)の中で傷ついた脱走兵を見つける。彼を精霊(=フランケンシュタイン)だと思ったアナは食べ物や服を持ってきて、かいがいしく看護をする。やがて脱走兵は見つかって射殺される。空っぽの廃屋にやってくるアナ、そこに現れる父親。アナは父親の制止を振り切って森に逃げる。捜索隊が編成される。夜。月の光のもと、水のほとりで、アナはフランケンシュタインを幻視する。夜明けに発見されるアナ。口もきかず、食べもしない。「あの子はまだ子供だ。そのうち忘れますよ」という医者。夜になって家族が寝静まった頃、アナは起き出して月の光に、精霊に向かって念じる。「私はアナ、私はアナよ」
この作品の持つ神秘性はほとんどめまいを覚えるほどだが、それは映画のあちこちにちりばめられた象徴的な生と死のモチーフによる部分が大きいと思われる。フランケンシュタインの映画が始まり、前置きとしてこの映画は生と死がテーマになっています、というようなアナウンスがあるが、それはこの『ミツバチのささやき』自身のことでもある。
よみがえった死人=フランケンシュタイン(の怪物)。「どうして殺したの?」というアナの魅入られたような問いかけ。遊び半分に猫の首をしめるイザベル。毒キノコ。アナの前で死んだふりをするイザベル……。あどけなく、愛らしく、柔らかい生命力に満ちた二人の子供をメインに据えたこの映画は、その二人が否応なく死というものにひきつけられる姿を描くことによって、生と死のきわめてデリケートな境界線を私達に見せてくれる。この映画が「愛らしい子供の映画」などでは絶対にない緊迫感をたたえているのはそのせいである。とはいえ、その描写は決して過剰にならず、だからブラックでもショッキングでもない。そこにあるのはつつましく静謐な、日常の光景である。この映画では日常がそのまま神秘の深淵と化すのである。
それからまた、この物語の背景には戦争がある。アナの母親は遠い誰かに向かって手紙を綴る。「すべては変わってしまった、もう元に戻ることはできない……」手紙を出しに行くと、汽車の窓から見知らぬ兵士が彼女を見つめる。彼はこれから前線に行くのだろうか。彼女も見つめ返す。この映画では、こういうさりげないシーンの一つ一つが実に素晴らしいのである。
さらにこの映像の美しさ。黄色を帯びた室内の光、青みを帯びた庭園の外光。地平線まで延びる道。蝋燭の光。なんというか、すべてが名画の趣を放っている。最近の映画では、非常にクリアな画面に鮮やかな色彩を配して美しい映像を作る作家も多いが、そういうのとはまた違う、微妙にひなびた感じの、物悲しさを感じさせる美しさである。鮮烈というより、たそがれどきの滲んだ光。殺菌消毒されたグラフィックアートではなく、年季の入った絵画という印象。
映画の前半は、ひなびた田舎町のさりげない情景の数々が染み入るような美しさで描かれ、淡々としているが、脱走兵が現れてから物語は一気に緊迫感を増し、観る者を画面に釘付けにする。とにかくアナの表情が素晴らしい。そしてアナの前にフランケンシュタインが現れる幻想的なシークエンスで神秘の物語は頂点に達する。
映像、物語、役者、演出、世界観、手法、すべてにわたって非の打ち所のない、ほとんど奇跡のような映画である。手法の点でいうと、とにかくこの謎を謎として描き出すセンスというか、説明し過ぎない、過剰にならない抑制が凄い。秘すれば花、というが、すべてがギリギリまで抑制されていて、それでいて映画全体を稀有な幻想美が包み込んでいるというこの矛盾。この豪奢な矛盾こそが真の芸術だと思わずにはいられない。
至宝という言葉はこのような映画のためにある。ビクトル・エリセ監督のデビュー作、『ミツバチのささやき』。私は以前に日本版DVDを購入したのだが、Amazonで見るといまや製造中止、中古品が定価の5倍以上の値段で取り引きされている。いやーホントに買っといて良かった。しかし、こういうタイトルがすぐ製造中止になってしまうというのはどういうことなのか。まずいのではないか。
これは神秘と静謐の映画である。その深さは計り知れない。舞台は1940年、スペインはカスティーリャ地方の田舎町、主人公は少女のアナ。アナとイザベルは幼い姉妹だが、ある日村にやってきた映画『フランケンシュタイン』を観にいく。画面を喰いいるように見つめるつぶらな瞳。アナは囁く、「イザベル、どうして(フランケンシュタインは)女の子を殺したの?」アナの質問に答えられないイザベルは嘘をつく。「あれは精霊なの。だから友達になれば、いつでもお話ができるの」
森や野原を無邪気に駆け回るイザベルとアナ。ある日アナは廃屋(農作物用の倉庫みたいなところ)の中で傷ついた脱走兵を見つける。彼を精霊(=フランケンシュタイン)だと思ったアナは食べ物や服を持ってきて、かいがいしく看護をする。やがて脱走兵は見つかって射殺される。空っぽの廃屋にやってくるアナ、そこに現れる父親。アナは父親の制止を振り切って森に逃げる。捜索隊が編成される。夜。月の光のもと、水のほとりで、アナはフランケンシュタインを幻視する。夜明けに発見されるアナ。口もきかず、食べもしない。「あの子はまだ子供だ。そのうち忘れますよ」という医者。夜になって家族が寝静まった頃、アナは起き出して月の光に、精霊に向かって念じる。「私はアナ、私はアナよ」
この作品の持つ神秘性はほとんどめまいを覚えるほどだが、それは映画のあちこちにちりばめられた象徴的な生と死のモチーフによる部分が大きいと思われる。フランケンシュタインの映画が始まり、前置きとしてこの映画は生と死がテーマになっています、というようなアナウンスがあるが、それはこの『ミツバチのささやき』自身のことでもある。
よみがえった死人=フランケンシュタイン(の怪物)。「どうして殺したの?」というアナの魅入られたような問いかけ。遊び半分に猫の首をしめるイザベル。毒キノコ。アナの前で死んだふりをするイザベル……。あどけなく、愛らしく、柔らかい生命力に満ちた二人の子供をメインに据えたこの映画は、その二人が否応なく死というものにひきつけられる姿を描くことによって、生と死のきわめてデリケートな境界線を私達に見せてくれる。この映画が「愛らしい子供の映画」などでは絶対にない緊迫感をたたえているのはそのせいである。とはいえ、その描写は決して過剰にならず、だからブラックでもショッキングでもない。そこにあるのはつつましく静謐な、日常の光景である。この映画では日常がそのまま神秘の深淵と化すのである。
それからまた、この物語の背景には戦争がある。アナの母親は遠い誰かに向かって手紙を綴る。「すべては変わってしまった、もう元に戻ることはできない……」手紙を出しに行くと、汽車の窓から見知らぬ兵士が彼女を見つめる。彼はこれから前線に行くのだろうか。彼女も見つめ返す。この映画では、こういうさりげないシーンの一つ一つが実に素晴らしいのである。
さらにこの映像の美しさ。黄色を帯びた室内の光、青みを帯びた庭園の外光。地平線まで延びる道。蝋燭の光。なんというか、すべてが名画の趣を放っている。最近の映画では、非常にクリアな画面に鮮やかな色彩を配して美しい映像を作る作家も多いが、そういうのとはまた違う、微妙にひなびた感じの、物悲しさを感じさせる美しさである。鮮烈というより、たそがれどきの滲んだ光。殺菌消毒されたグラフィックアートではなく、年季の入った絵画という印象。
映画の前半は、ひなびた田舎町のさりげない情景の数々が染み入るような美しさで描かれ、淡々としているが、脱走兵が現れてから物語は一気に緊迫感を増し、観る者を画面に釘付けにする。とにかくアナの表情が素晴らしい。そしてアナの前にフランケンシュタインが現れる幻想的なシークエンスで神秘の物語は頂点に達する。
映像、物語、役者、演出、世界観、手法、すべてにわたって非の打ち所のない、ほとんど奇跡のような映画である。手法の点でいうと、とにかくこの謎を謎として描き出すセンスというか、説明し過ぎない、過剰にならない抑制が凄い。秘すれば花、というが、すべてがギリギリまで抑制されていて、それでいて映画全体を稀有な幻想美が包み込んでいるというこの矛盾。この豪奢な矛盾こそが真の芸術だと思わずにはいられない。
この話と続くのかどうかは忘れてしまったけれど、アナ・トレントとその娘のお姉さん役の娘が出ていた『エル・スール』(だったかな?)とかいうタイトルの映画があって、次の週に放送されたせいもあり、登場人物も同じだったから勝手に続編なのかと思っていました。
部屋の中に蜜蜂の巣網があるのね。
父親が誰か他の女性が好きだったのかな、ストーリーはすっかり忘れてしまったけど。
繰り返し流れる曲が印象に残っています。
あの。すみません。
こんな古い日記にコメント書いても、たぶん 気付かないでしょうね。
全部は読んでないけれど、気になった所だけ拾い読みをしています。
『エル・スール』もいいですね。女の子も出てくるし、続編的な雰囲気はありますね。ずっと前に一度観たきりなのでまた観返してみよう。