アブソリュート・エゴ・レビュー

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海炭市叙景

2012-01-22 13:00:23 | 映画
『海炭市叙景』 熊切和嘉監督   ☆☆☆☆☆

 日本版DVDを購入して鑑賞。これは良い。心に刺さってくる映画だ。この監督さんは知らなかったけど要チェックだな。

 夭折した作家の連作短編の映画化ということだけれども、原作は読んだことがない。まあ、暗い話ばかりだ。造船所をリストラされた兄妹。一人暮らしの老婆と猫。プラネタリウム技師の家庭不和。事業がうまくいかず不倫するガス会社社長とその妻の児童虐待。東京に出て行った息子と父親の再会。

 エンタメではないので、暗い話が最後は逆転してすっきりするということもなく、最後まで暗いままフェードアウトしていく。こういう暗い映画の場合はひたすら陰々滅々となってしまうか、あるいはメランコリックな中にもきらりと光る何かがあるかが重要な分岐点だと思うが、この映画は後者である。前者だと思った人は、もう一回見直すべきである。舞台は寒い、みぞれまじりの木枯らしが吹く架空の沿岸都市。主人公はそこで生きる市井の人々。セリフを極力排した作劇が独特だ。映画が始まってしばらくは全然セリフがない場面が続くので、ひょっとして全部これで通すつもりかと不安になった。人々の無言の動作、そして凍てつくような北国の光景がこの映画の文体である。

 画面にみなぎる寒さ、情景描写の繊細さ、そして人々の表情のニュアンスの深さが、キェシロフスキの『デカローグ』を思い出させる。実際、この映画のムードはあれにかなり近い。センチメンタルではなく瞑想的、神秘的だ。世界のどこかに神がいる感覚。邦画では珍しい。キェシロフスキが好きな人は観た方がいいと思う。

 市井の人々の日常の重さと、その痛みを描いているところも似ている。そしてある時、その厳しい現実の中にふと、美しい瞬間が訪れる。それは必ずしも救いではない。おそらく希望でもないだろう。ただ吹けば飛ぶような、一瞬の幻かも知れない。しかしそれはまぎれもなく人生に与えられた美なのであって、それが失われるか否かは私たちの人生にとって一大事なのである。ミラン・クンデラによれば、人は芸術作品を、現実の人生には存在しない美を与えられているといって非難するのではなく、むしろ現実の人生においてそのような美が見過ごされ、気づかれないまま失われていくことをこそ嘆かねばならない。そしてそれを発見することがおそらくは、芸術の役目なのである。これだけ映画が氾濫していても、そのことに気づいている映画は少ない。救いのない話ばかりであるにもかかわらず、この映画の後味が決して悪くないのはそのせいだと思う。

 最後に登場人物たちの人生が一瞬ニアミスする瞬間があるが、そこにもわざとらしい仕掛けなどなく、ただ淡々と通り過ぎていく。その、話をいじり過ぎない匙加減がいい。だから余韻が広がる。

 プロの俳優さんたちにまじって素人も多く出演しているそうだが、ほとんど違和感を感じない。特に強烈なインパクトがあったのはガス会社の社長(加瀬亮)の妻だったが、あれが素人さんだと知って驚愕した。素人恐るべし。加瀬亮も繊細なイメージだったが、こんなやさぐれた役もできるんだと感心した。谷村美月と竹原ピストルの兄妹も切ない。みんないい顔している。TVドラマじゃなく、映画の中に棲む人々の顔だ。



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