アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

愛しあう

2010-06-11 22:59:50 | 
『愛しあう』 ジャン=フィリップ・トゥーサン   ☆☆☆☆☆

 美しい表紙とタイトルに惹かれて購入し、一気読み読了。非常に良かった。これまで読んだトゥーサン本の中で一番気に入ったかも知れない。

 トゥーサンといえば読者をはぐらかすようなとぼけた発想とオフビートなユーモアが特徴だが、本作ではちょっとイメージが違う。訳者があとがきで書いている、「夜に響くサックス・ソロのような」という形容が実に言いえて妙である。つまり沈痛、メランコリック。いつもの軽やかさのかわりに、苦さ、そして痛ましさ。愛の始まりではなく、愛の終わり。トゥーサン自身も、前作の『テレビジョン』がそれまでのトゥーサンの集大成的な内容だったので、トーンを変えて重さがあるものを書こうとしたと言っている。

 日本人の読者として嬉しいのは、今回はずっと日本が舞台になっているということ。新宿と京都が出てくる。トゥーサンが描くホテルのロビーや美術館、新宿の夜景などはエキゾチックで繊細で、とても美しい。やはり日本人作家が描く日本の情景とは違い、日常性の垢が払拭された、まるで現代美術のオブジェのようなきらめきが感じられる。新幹線で聞く売り子の声や弁当の中身までが、どこか不思議だ。
 
 小説の構造は例によってミニマリスム的な情景描写主体で、ストーリーの起伏は最小限に抑えられているが、物語の状況設定が非常にうまい。別れようとしているフランス人のカップルが、デザイナーである女の仕事で一緒に日本にやってくる。これが基本設定。彼らがなぜ別れようとしているのか、詳しい事情は分からない。ただ、別れようとしているという状況だけがある。彼らはあちこちで愛しあう、つまりセックスをするが、それでも距離は埋まらない。この状況の中で、主人公の「ぼく」はホテルにチェックインし、無人のプールから夜景を眺め、夜の新宿をさまよい歩き、ロビーで日本人のビジネスマンたちと会い、美術館に行き、突然思い立って京都に行き、京都在住のフランス人の友人に会い、また突然東京に戻り、マリーを探しに美術館に行き、持ち歩いている塩酸を花の上に注ぐ。

 要するに起承転結など何もなく、行き当たりばったりにうろうろしているだけなのだが、終わり間近の愛という状況が持つメランコリーと、静謐なミニマリスム描写の美しさがすべてに独特のリリシズムを投げかける。そしてその静謐な日常描写の中に、効果的なスパイスのように投入された非日常的なエレメントが、主人公の男性が持ち歩く塩酸の小瓶と、突発的に発生する地震である。地震という大規模なカタストロフを予感させるいわば大事件は、この小説のミニマリスム性と相容れないように見えるが、トゥーサンはそこを実にうまく処理している。新宿の情景の中に突然地震が出来し、人々を動揺させるが、おさまると同時にまた忘れられる。地震はトゥーサンの文体の力で一種夢幻的な出来事と化し、カタストロフにはならず、ただ小説にカタストロフの予感と不安だけを残して過ぎ去っていく。うまいなあ。

 この日常と非日常のコントラスト、さじ加減が絶妙だ。そして結局最後になっても、このカップルに結論は出ない。要するに何も進展せず、何も起承転結しないのである。結局何だったんだ、と読者に呟かせるトゥーサン・マジックは健在である。わけが分からない、しかし確実に美しい。わけがわからないからこそ美しいのかも知れない。


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