アブソリュート・エゴ・レビュー

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小さな恋のメロディ

2010-06-01 20:07:22 | 映画
『小さな恋のメロディ』 ワリス・フセイン監督   ☆☆☆★

 日本版DVDで再見。私の世代の日本人は大体子供の頃に観たことがあると思う。私もテレビで観て、やはり胸をときめかせたクチである。これはイギリスの映画だが、本国のイギリスやアメリカでは全然ヒットせず、なぜか日本でだけ妙に人気が高いらしい。特に日本人受けする要素があるのだろうか。

 今観てみると、なんてことない話である。子供たちが遊んだり喧嘩したり恋したりし、その日常が淡々と描かれる。あまりにも他愛ないためドラマ性という点では物足りないが、それでもやっぱりこの映画には不思議な輝きがある。その理由はいくつかあるが、まず第一に徹底して子供視点で作られているということ。ダニーとトムが街に出て遊びまわる場面や、ダニーとメロディが海辺で遊ぶ場面、それから校庭で遊ぶ子供たち、運動会など、どれも「子供ってかわいい」という大人目線でなく、子供目線で、つまりその世界の内側から描写されている。ダニーとトムが小さな諍いをしたり、運動会でひがんだりする。それらのエピソードはあまりに他愛なく、大人のオーディエンスを興奮させることはできないかも知れないが、子供時代へのノスタルジーは充分にかき立ててくれる。

 この映画の中で、子供たちは大人が理解できない。特に、大人の時間の感覚が理解できない。メロディは墓場で夫婦の墓石に刻まれた言葉を読み、「50年も愛することができる?」と驚く。子供たちにとって、50年という時間は永遠に等しい。彼らは自分がやがて大人になることを信じていない。大人たちはもうそのことを忘れてしまっているが、この映画を観ると、かつて永遠の子供時代を生きていた自分を思い出すことができるかも知れない。

 この映画のメイン・プロットはもちろんダニーとメロディの恋愛だが、この可愛らしい恋愛に真実味を与えているのはあのバレエのシーンだと思う。ダニーはガラス窓ごしに、踊っているメロディを見る。その瞬間、世界から音が消え、ダニーは恋に落ちる。この場面のメロディはとても大人びていて、はっとするほど美しく、子供時代の初恋が持つ魔法をうまく体現していると思う。

 終盤、ダニーとメロディが「結婚します」と宣言することでこの映画の牧歌的世界は大きく動揺する。大人たちは反対し、メロディは涙を流す。ここでこの映画がもしリアリティ重視の幼年期ノスタルジー映画ならば、ふたりの淡い恋は破れなければならないところだが、この映画では子供たちだけで結婚式をあげ、同時に子供たちが大人に対して反乱を起す。しかもその反乱はあっさり成功する。あり得ない展開だ。ここで物語はフェアリーテイルの域に突入するが、この願望充足的エンディングにマジカルなポエジーを与えているのが、CSN&Yの「ティーチ・ユア・チルドレン」とあのトロッコだ。

 この映画はビージーズの「メロディ・フェア」「イン・ザ・モーニング」「若葉の頃」などのノスタルジックなナンバーがフィーチャーされ、全体に音楽映画の様相を呈しているが、その白眉はクライマックスで流れる「ティーチ・ユア・チルドレン」である。物語の内容と完全にリンクした楽曲と甘美なハーモニーが、この夢のようなクライマックスを更に夢幻的に彩る。そして、あの唐突に出現するトロッコ。ダニーとメロディは互いに向き合い、シーソーのように上下しながらトロッコを漕ぐことで原っぱを疾走し、物語の外へと遠ざかっていく。カメラが上空へ舞い上がり、トロッコがどんどん小さくなる。あのトロッコのエンディングがなければ、この映画の余韻は五割減になったことだろう。他のどんな方法でも(たとえばバスに乗る、汽車に乗る、自転車に乗るなど)、この映画の印象は弱まってしまったに違いない。
 
 最後になったが、この映画を魅力的にしているもう一つの要素としてトムを演じたジャック・ワイルドをあげたい。個人的にはマーク・レスターやトレーシー・ハイドより印象が強い。ダニーと違って貧しい家庭のトムは不良少年のたくましさと微妙な劣等感を持っていて、ダニーに友情を感じながらもむら気なところを見せる。マーク・レスターのダニーは優等生的で何を考えているのかよく分からないが、ジャック・ワイルドのトムは生き生きしていて、本当に魅力的だ。


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