アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

トルネイド・アレイ

2012-02-13 21:10:47 | 
『トルネイド・アレイ』 ウィリアム・S・バロウズ   ☆☆☆☆☆

 バロウズの短編集、というか掌編集をご紹介する。これはもともと朗読用のテキストを集めたもののようで、どれも非常に短い。最初から最後まで通して読んでも数十分で読み終えてしまう。物足りない。もっと欲しい。

 これは私がバロウズにはまるきっかけになった本で、だから非常に思い入れと愛着がある。最初に『裸のランチ』を読んで、やたら強烈だけれども読むのが億劫な作家というイメージを持ってしまったバロウズの良さ、面白さを、この上なく端的に、かつ直裁に示してくれたのが本書だった。なんてすごい作家なんだ、とショックを受け、目からぼろぼろと鱗が落ちた。だから他のバロウズ・ファンは何と言うか知らないが、私はこれがバロウズ入門には最適だと思っている。ただし、バロウズって全部こんなのかと思われても困るのだが。

 もしかすると人によっては、こんな片手間に書きとばした断片の何がいいのか、と言うかもしれない。バロウズの本領はもっと腰を据えて濃密に書き込んだ大作にあるのだと。だからこの薄っぺらい小冊子の魅力をしっかり説明しておきたい。

 本書収録のテキストは、いわば「一筆描き」ばかりである。どの掌編もバロウズ特有のイメージ、原風景とでもいうべきものがさくっと書かれているだけで、特に意図してストーリーを組み立てた形跡はないし、文章をじっくり練ったなんてこともなさそうだ。非常にスピード感がある筆致で、ある意味「書きとばし」に近い印象すら受ける。バロウズの読者ならどの掌編を読んでも「ああ、これか」という既視感を抱くだろう。バロウズを楽器奏者とするならこれは彼の「手クセ」集といってもいいかも知れない。

 しかしだからこそ、その「原風景」的スケッチの中にバロウズのエッセンスが凝縮されている。ごちゃごちゃした作為や装飾を剥いだ、核心的なものだけがシンプルに呈示されている。その直裁さ、笑い出したくなるほどのざっけない感じが実に心地よい。それからさっき「書きとばし」と書いたが、脳裏にひらめいては消えていくイメージを何の配慮も斟酌もなく(つまり読者に分かりやすくするためにもうちょっと説明しなくちゃとか書き換えなくちゃとか考えず)そのままタイプライターに叩きつけたような、「書く」行為のもどかしさをあっさりすっ飛ばしてしまったような、そんな文章がまた気持ちいい。たとえば別の場所にいる数人の、かつ時間差のあるセリフが何の説明もなくただカギ括弧に入れて並べられていたりする。それでもちゃんと分かるのである。もちろん、一つ一つの言葉がシャープに研ぎ澄まされていなければこうはいかない。
 
 もともと私には好きな作家や画家の「一筆描き」的作品を好む傾向があり、たとえばマチスやピカソみたいな独創的なスタイルの画家の場合、「一筆描き」的スケッチにこそそのエッセンスがピュアに顕れる気がして、それが快感なのである。本書も同じことだ。もちろん、オリジナルなスタイルがない作家がこれをやっても駄目である。ただゴミのようなきれっぱしになってしまう。その点本書におけるバロウズは見事で、ほれぼれしてしまう。ほぼプロットなし、しかも時々意味不明であるにもかかわらず最後には見事に「終わる」。イメージ展開と文体の運動能力だけで一つの世界を作り出している。そこがすごい。

 バロウズというと意味不明の言語実験(カットアップやフォールドイン)をやる作家ということで敬遠する向きもあると思うが、その点も大丈夫。プロローグである最初の「感謝祭」も含め、ほぼちゃんと意味があるテキストばかりだ。各掌編の内容はストーリーというより断片的スケッチであるのは先述の通りだが、どれもバロウズ的な刺激と感性に満ちている。すなわち黙示録的荘厳と破天荒なグロテスクのミックス、時に虚無的な抒情性が漂う。

 少し個別の掌編に触れると、本書で描かれるバロウズ的光景とは次のようなものだ。発作を起こした最中に予言を口走る知恵遅れの少年。殺人犯である患者をオフィスの中で射殺する精神分析医。実験室で発生した植物とムカデの中間生物を殺す研究者たち。癌のために死を宣告され、復讐を開始する老ガンマン。被害者を間違って射殺し偽装工作をする警官たち。死と戦いと暴力と犯罪が主要なテーマであり、どの短編にも炸裂する閃光のような激しさと虚無が刻印されている。

 先に書いた通り、こうした「一筆描き」で見事な創作物を生み出すのは簡単に見えて一番難しい。才能ある作家にしかできない技だ。その点本書はそのイメージの特異さ、強烈さ、展開の自在さ、醸し出すムードの複雑さ、どれをとっても飛びぬけていて、バロウズの異能を示すものばかりである。特に言葉のイメージ喚起力の高さ、つまり言葉がダイレクトにイメージを生成していくそのやり方はまったく尋常ではなく、読むたびに感嘆してしまう。そういう意味で、バロウズはまぎれもなく詩人である、と思う。


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