アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ゴールデンボーイ

2017-11-16 22:29:46 | 
『ゴールデンボーイ』 スティーヴン・キング   ☆☆☆☆

 『ミスター・メルセデス』が残念な出来だったため、昔のキングの輝きを味わおうと思って再読した。本書はもともと「恐怖の四季」と題された中篇集の春夏篇で、秋冬篇は『スタンド・バイ・ミー』として出版されている。全部一緒だと日本じゃ分厚くなり過ぎるということだろうか。本書に収録されているのは「刑務所のリタ・ヘイワース」と「ゴールデンボーイ」の二篇で、『スタンド・バイ・ミー』収録が「スタンド・バイ・ミー」と「マンハッタンの奇譚クラブ」の二篇。世間ではどちらかというと「スタンド・バイ・ミー」を含む秋冬篇の方が評判がいいようだが、私は「スタンド・バイ・ミー」をそれほど高く評価していないので、この春夏篇『ゴールデンボーイ』の方を好む。

 邦題からも朝倉久志の解説からも、本書の目玉は「ゴールデンボーイ」と位置づけられているのは明らかだが、私にとっては「刑務所のリタ・ヘイワース」である。とはいえ、今となっては映画化作品『ショーシャンクの空に』が名作として揺るぎない地位を確立しているので、私と同意見の人の方も多いだろうと思う。本書出版時はまだ映画化されていなかったのである。確かにボリューム的には「ゴールデンボーイ」よりずっと少なく、この原作には映画ほどの重量感はない。特にキング作品だと思うと短く、軽く、ホラーでもないし、舞台は刑務所だし、オマケ扱いされてもしかたがない地味さだが、映画に感動した人ならご存知の通り、噛みしめると実に味わい深い佳作である。キングにしては珍しく抑制のきいた、やりすぎ感のない、いぶし銀の如き作品だ。

 さて、映画『ショーシャンクの空に』は、数多いキング映画化作品の中でももっとも爽やかな感動作といって間違いないだろう。そもそもキングで爽やかな読後感というのが珍しいのだが、実はキングは怖がらせるより「泣かせ」がうまい作家であり、それは『デッド・ゾーン』『ファイアスターター』を読めば明らかだ。そしてその「泣かせ」は必ずしもホラーと組み合わせる必要はないわけで、それをキングがふと気まぐれに実践してみせたのがこの「刑務所のリタ・ヘイワース」、それに目をつけたフランク・ダラボン監督が「泣かせ」を最大限に膨らませて映画化したのが『ショーシャンクの空に』、といっていいんじゃないかと思う。とすれば、『ショーシャンクの空に』がキング作品中頭一つ抜けた傑作となったのも当然で、なぜならキングの恐怖感覚というのはなかなか映像化が難しい反面、キングの「泣かせ」はきわめて王道エンタメ的で、映像化に適していると思われるからだ。

 映画『ショーシャンクの空に』は原作にほぼ忠実に作られているため、大筋のストーリーと雰囲気は同じである。原作の語り手はレッドというアンディーの囚人仲間だが、映画ではこれをモーガン・フリーマン(もはや彼以外考えられないという適役)が演じていて、やはり要所要所に彼のナレーションが入っていた。これはそのレッドが語る、並外れた意志を持った一人の男の物語である。主人公は無実の罪で有罪となり、刑務所に送られたアンディ。今さらネタバレでもないと思うので書くが、これはアンディが脱獄する話である。

 そもそも刑務所というところは(特に人権意識がまだ低かった一昔前は)刑務所長や看守側が絶対的権力を持つ強者で、囚人は人間扱いすらされない圧倒的弱者であることは言うまでもない。その力関係の落差は現代社会の他のどんな場所より極端であろうことは容易に想像できる。そこに、無実の人間が囚人として放り込まれたどうだろうか。その理不尽と不条理は無限大である。まさにその立場におかれたアンディは、現代社会の最下層者である囚人としてあらゆる苦難を味わうことになる。絶望、暴力、レイプ、嫌がらせ、理不尽な懲罰、その他もろもろ。最初レッドの目にアンディは打ちひしがれた人間として映るが、やがて不思議な闘志とガッツを秘めた人間であることが分かってくる。元銀行家のスキルを活かして看守たちの信頼を勝ち取り、図書室を充実させる。小説の前半はこのように、アンディが徐々に刑務所内の空気を変えていくエピソードが続く。

 次に来るのが、刑務所長、つまりこの物語における絶対的権力者の卑劣な行為によってアンディが打ちひしがれるエピソード。無実のアンディが再審を受けるに足る証拠が出てくるが、保身のために握りつぶしてしまうのである。「ぼくの人生がかかってるんだ!」というアンディの悲痛な叫びがこだまする。ここで全ての読者が血管浮かせながら「この所長死んでよし」と思うこと必至である。さすがキング、エンタメのツボは外さない。そしてレッドたち囚人仲間はみな、アンディが自殺するのではないかと心配する。その心配が現実になったか、と思われたまさにその瞬間、物語は鮮やかに反転する。不可能が可能となり、アンディの姿が煙のように消え失せるのである。脱出王フィーディニもかくやの見事さ、刑務所内は阿鼻叫喚、所長は血圧が上がってぶっ倒れる寸前。読者は拍手喝采である。

 その後レッドによる謎解きが続くが、そこであらためて明らかになるのがアンディの超人的な忍耐力と意志力である。アンディの脱獄はあまりにも見事だが、その方法は並みの人間にはとても実行不可能、自由になれると分かっていても到底実行できないと思われる凄まじさだ。まあ詳しくは読んでくださいとしか言えないが、ここで読者はあらためてアンディという人間の非凡さと、人間がいったん意志を固めたらできないことなどないのだという事実を、感動的に思い知らされるだろう。

 そしてもちろん、ラストの余韻の素晴らしさ。エピローグはレッドが刑務所を出て社会に適応できず、自殺を考えるがアンディの置手紙を読み、再び生きる希望を取り戻す場面で終わる。映画ではレッドとアンディが海辺で再会するのがラストだが、原作はその前で終わる。私はこちらの方が余韻が残るいいラストだと思う。映画との違いはこのラストと、刑務所長、横暴な看守の末路。映画ではアンディを虐めたしっぺ返しとしてとことん悲惨な末路を迎えるが、原作ではあそこまで悲惨ではなく、もう少し微妙である。

 さて、もう一篇の「ゴールデンボーイ」は、元ナチの拷問者がアメリカの片田舎でひっそり暮らしているのを発見した優等生少年の話で、残酷な拷問や処刑に惹かれる少年の異常心理と、その転落を描く。優等生の白人少年がたまたま元ナチの老人を発見し、正体をバラすと脅してナチ時代の話をさせているうちにだんだん成績が落ち、親や学校に嘘をつき、やがて自分も弱みを握られ、とどんどんのっぴきならない状態へと追い詰められていく。「転落」好きのキングの本領はそれなりに発揮されているが、少年の異常心理の描写や直線的なプロットの展開は少々こけおどし気味で、今一つ食い足りない。「トワイライト・ゾーン」の一エピソード、といった雰囲気の一篇である。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿