21日、観世会館にて能の素人会『青嶂会』がありました。
素人会といえど、シテ以外の人はみなプロなので、なかなか豪華でお腹いっぱいになれる会なのです。
朝一番の飛行機で関西に乗り込んで会場に急いだら、なんとか11時前に到着できました。
見たかった舞囃子を2番ほど見逃したものの、あとは大体拝見することができました。
能は『清経』と『羽衣』の二番。
『清経』を舞われた方は、お稽古歴5年とは思えないほどしっかり舞われてました。
『羽衣』シテを舞われたのは、稽古場でよくお世話になっているムッシュT氏。
以前、「三月に能を出したいんやけど、曲は何にしたらいいかなぁ?」と何げなく訊かれ、
「例えば羽衣だったらそんなに長い曲ではないし、柔らかで上品な雰囲気はTさんに通じると思いますよ」と申し上げたところ、「ホンマ?? じゃあ羽衣にしよ。先生に伺ってみよ」と仰ってくださり、今回の選曲となったのでありました。
申し合わせの時にムッシュT氏が「あかん。全然できてへん。」と言っていたので「大丈夫かなぁ…」と自分ごとのように心配していたのですけれど、なかなかどうして見事な羽衣でした。
舞も優美でしたし、謡いも伸びやかでええ声でした。
さて、私の出番は本当に番組最後の方。
『龍田』の扇を先生にお借りすることになっていたので、楽屋に入ってまず扇の柄を見てみたら、水色の観世水に紅葉を配した、大変可愛らしい扇
。
能には秋の曲が多いので、紅葉ををあしらった柄の扇はたくさんありましょうが、水模様にもみじ葉を散らした扇は見たことがありません。
まさに『龍田』のために作られたような扇だなぁ~、打ち上げの時に先生とお話する機会があったら、お借りした扇がいかに素敵で私がどんなに気に入ってしまったかをお伝えしようと想い、舞台に臨みます。
2週間前の申し合わせでもプロの方に演奏して頂いているので、今回は二度目となりますが、
やはり本番は囃子の音がさらに気持ち良く感じます。
張りつめた舞台の空気の中を一足一足歩いていると、私は本当にこの場所が好きなんだと改めて実感。
地謡には5人ほどのプロの先生方に入って頂いているのですが、やはり一人だけ耳の奥に届いてくるのは、普段から聞き馴染んでいる師匠の声。
この先生に教えて頂くことができて、本当に幸せだとしみじみと感じました。
20分間、思いっきり楽しませて頂きました。
気持ち良~く舞い終えて切戸から退出し、囃子と地謡の先生方にお礼の挨拶をしていると、
すぐ傍らで「2、3カ所、オリジナル入ってたで??」と師匠の声。
あらら、間違ってましたか。…ぜ、全然気付かなかった
。
「あうっ
後で直しお願いします
。」と一礼し、その場を去りました。
さて、会が終わった後の打ち上げは、ウエスティンホテルの“四川”という中華料理屋さん。
薬膳風味のスープや魚の蒸し料理など、脂っこくない食べやすいお料理が頂けました。美味しかったです。
師匠が各テーブルを回ってきて下さって、「あ、ダメ出しされる」と私が身構えた後の師匠の第一声は、「扇、良かったやろ?
」でした。
時折、「この人はエスパーではなかろうか
?」と思うほどに、私の心の内をズバリと先に言われてしまうことがあるのですが、今回もそのパターン。
「やっぱりこの師匠は最強だよなぁ~」と感じながら、扇について気持ち良く語っていたら、
「え~と、今回違ってたのは…」と、いきなりダメ出しタイム。
師匠曰く、右足から進むべきところを左足から出てきたそうです。そういったのが3カ所ほどあった様子。そんな細かいところ、謡いながらよくチェックできるもんだよなぁ……と改めて尊敬。
“四川”での打ち上げの後、先斗町の“卯月”さんで二次会を終え、一日が終わりました。
長くて、短い一日でした。
この青嶂会を機に、私はしばらくお稽古のお休みを頂くことになりました。
京都へもなかなか行く機会は減ってしまうと思います。
師匠とお能に出会って12年ほど。
その中で、大学卒業後に地元に戻って、京都までのお稽古通いをしたのが8年間くらい。
本当にあっという間だったなぁ……。
12年間、お能に触れてきて、私は少しでも上達できたんだろうか……。
月に一度の稽古通いは本当に楽しみでした。
これから自分の生活の中にその時間がなくなると思うと、とても淋しくて、哀しい。
たぶん大丈夫、きっと平気、辞めるわけじゃない、お休みするだけだもの…と思っていたのだけれど、終わった後には物凄い喪失感。非常に哀しかったです
だけれども、きっとまた数年後にこの場所に戻ってこれると信じております。
それまで我慢、我慢……。
それでも我慢できなくなったら、なんとかして京都に遊びに行こうっと
。
先生、青嶂会のみなさん、どうかお体に気をつけてお元気で…。
皆さんと、後ほどまた笑顔でお会いできますように。