4年前、
近くの団地の朝顔の花の写真を携帯電話で撮って、ブログでアップして、ツイッターで朝顔のことをつぶやいていました。
ツイッターは、誰かと誰かをつなげてフォローし合う仕組みになっていて、誰かが、
「ツイッターの中で朝顔が今頃咲いているというのが話題になっています」
「 今朝のツイットでは、○○さんちではまだ朝顔が咲いているとのことですよ」
「こっちでは、こんな朝顔が咲いていました」「うちのの近くで見つけたあざ顔です」
朝顔の画像が、秩父や広島、三重県から、九州、新潟、富山、東京~から送られてきました。
ある日の朝、台風でどしゃぶりの雨が降っていました。朝顔の場所まで徒歩5分。
どうせ、このどしゃぶりだと咲かないから、そう思って、朝顔を見に行くのをやめました、
部屋の窓から、ドシャブリの雨風の様子を眺めていました。
駅の入り口のところで、演説をしている男性の姿が。
その周りをバスに乗りもうと突っ走る人、人。
演説の男性は、雨しぶきの中、もくもくと演説をしています。
どうせ、誰もきいてくれない・・・。
どうせ、投票したって、世の中変わるわけでないから、投票しない人がたくさんいますが、演説する姿は、そんな考えが少しもないようです。
わたしはすぐ、朝顔を見にいくことにしました、
どうせこのドシャブリじゃ咲かないから・・・・。朝顔に対して失礼だ・・・
・・・・
ドシャブリの雨に打たれて、朝顔の花がテッシュペーパーがべとべとに濡れたような姿で咲いていました。
写真を撮って家に戻り、ブログでアップして、ツイッターでツイート(つぶやき)しました。
すぐ、タイムラインでリツイート( あるつぶやきを皆に知らせる機能)がありました。
「どうせ、客がこないと思って店のシャッターを閉めましたが、すぐ、シャッターを空けます」(自営業)
「どうせ、生徒さんが休むと思って、教室を休んで花の仕入れをしませんでした。すぐ、花の仕入れをします」(フラワーアレンジメント講師)
「どうせ、試験に出ないと思って飛ばしたところを、これから暗記します」(高校生)
「どうせ、私なんか・・。ずっと、自分を卑下してきました。誰かにわかってもらえなくていい。そう、思える人間になりたいと思いました」(OL)
「どうせ、こんな世の中だから、夢ということばに:嫌悪さえ抱いていました。どうせは、自分を放棄したと同様」(大学生)
「子どもたちがいうことを聞かなくて、どうせ、言ったってわからないとあきらめていましたが、子どもたちを信じます」(主婦)
・・・
このことがあってから、わたしは「どうせ」という考えをしなくなりました。
さて、9月もそろそろ終わりです。
わたしのブログをふり返ると、朝顔の花の観察を、11月7日が最後になっています。
朝顔の観察をはじめた時は、まだ、ブログをやっていなかったので(ブログを始めたのは2010年7月30日)、朝顔の観察を始めたのはたぶん7月上旬だったので、それから11月7日まで約三か月半、一日も休まず霜が降りるまで朝顔を観察しました。