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隠れオタクな会社員の買い物や感じた事

幕末の銃器の話

2012-08-24 22:54:12 | Gun
江戸時代末期、それまで火縄銃一辺倒だった日本に各国から雑多な銃器が持ち込まれました。
理由としては各藩が独自に武装強化として洋式銃を買い漁った事や政治的に不安定だった点、
それらに目を付けた外国商人の活躍が挙げられます。
アメリカも南北戦争が終結し、中古の銃器が余っていた、という話もありますね。

個人的な勉強を兼ねて各種資料からまとめて見る事にします。
緒元も書きたいのですが、ごちゃごちゃするので名称と特徴だけ。

・ゲベール銃(=インハンテリ・ゲベール?)
オランダ製。
発火方式は燧石式(フリントロック)だったが後に雷管式にも。
弾丸は先込め(前装)式。
俗に言うマスケット銃。
同系統の物が国産化されたり、大量に輸入されたため安かったようだが、
燧石式で滑腔銃身であったため命中が悪かったとされる。

※各国で火縄式(マッチロック)から燧石式にシフトしていく中、
 日本で火縄式が続いたのは燧石(火打石)が国内で入手困難だったこと、
 燧石式の発射の際のブレが大きく、命中精度が悪かったからとされている。

・ヤーゲル銃
ゲベール銃にライフリングを施したもの。
当初丸弾、のちに椎の実弾を使用したようだが、
先込め式のため弾丸の装填が大変だったようだ。

・ミニエー銃
ゲベール銃をもとに銃身にライフリング(施条)を施す方法がフランスで開発されたもの。
それまでの球形の弾丸からドングリ(椎の実)型の銃弾を使用することにより
一挙に射程・命中精度が向上した。
ヤーゲル銃と異なり弾丸が銃身よりも小さ目のサイズとなっているが、
弾丸の後方が窪んでおり、発射の際にガスの圧力で膨らむことでライフリングに密着するようになっており、
装填が容易で命中精度・威力が得られるようになっていた。

・エンピール銃(エンフィールド銃)
イギリス製。
ミニエー銃の一種。

・スプリングフィールド銃
米国製。
ミニエー銃の一種。
南北戦争終結とともに余剰分が日本に入ってきていたと思われるが、
南北戦争中は生産が追い付かずにイギリス製のエンフィールドを輸入して使っていたことから比率は少なかったのではないかと思われる。

・スナイドル銃(シュナイダー・ライフル)
イギリス製。
エンピール銃を改造し元込め(後装)式としたもの。
銃身後部に米国人、ヤコブ・シュナイダーの開発したブリーチブロックを装着した。
撃鉄を起こし、ブリーチブロックを右側に回転させて開くことで弾丸を装填する。
底部だけであるが真鍮製の基部を使った薬莢を使用し、
現在の弾薬同様ボクサー雷管を使用する。
後に技術の発達とともに全金属製の薬莢を使用するようになり、
西南戦争では政府軍の主力小銃となる。

※それまでの先込め式と異なり、
元込め式銃は伏せた姿勢のままでも弾薬の装填が可能(当時は基本的に単発銃だった)であり、
洋式銃と共に入ってきた銃剣を装着していても問題なく弾込めができる利点がある。

・スペンセル銃・スペンセル騎兵銃(スペンサー)
米国製。
南北戦争後、余剰となった分が少数国内に入った。
金属製薬莢を使うレバー式の連発銃であるが、高価であるため少数が国内に入っただけだったようでだ。

・レカルツ銃(リシャール銃、ウェストリー・リチャーズ)
英国製(だったはず。資料少ないです)。
後装式で遊底後部のレバーを操作して紙巻(?)の弾薬を込める方式だが、
別途雷管を装着しなければならない。

・ドライゼ銃(ツンナール銃)
プロイセン採用の銃。
世界で初めてボルトアクション式閉鎖機構を採用した銃。
これまでのサイドハンマー式の欠点である撃発時にブレるという現象を
直動式にすることで回避したが、
紙巻の薬莢内部に収められた雷管を針状の撃針で突いて発火させるため
撃針が焼損して折れやすく、また発射ガスが後方に漏れて射手の顔を真っ黒にするなど未完成ともいえる部分もあった。

・シャスポー銃
フランス製。
ドライゼ銃を参考に改良したボルトアクション銃で、
紙巻薬莢の底部に雷管を備えているため撃針の焼損・折損を回避し、
遊底の一部にゴム製の部品を用いることで発射ガスの吹き出しを防いでいる。
ナポレオン3世から江戸幕府に大量に提供されたため、
江戸幕府のフランス式軍隊「伝習隊」が使用したとされている他、
一部は西南戦争でも使われた。

・マルチーニ・ヘンリー銃
英国製。
金属薬莢を用いるレバーアクション式元込め銃。
単発式。
明治政府の下、日本海軍の制式銃となったはずですですが、
イマイチ資料この記述が見当たりませんね…。


以上、私の知っている名前の物を羅列してみました。
ここで紹介した以外にも外国製あるいは国産の雑多な銃器が入り混じっており、
修理のみならず弾薬の補給に苦労する始末。
後に国産の村田銃で統一される(最初の十三年式村田銃も数が揃ったわけでは無い)まで
少なからずこの状況が続くことになりました。

以前行った靖国神社の遊就館にはこの時代の銃があれこれ展示してあった気がするのですが、
知識が薄かったため曖昧…。
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4 コメント

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Unknown (のきば)
2012-08-27 21:43:17
これは古式銃コレクションに走る前兆ですかな?
1年1丁計画立てれば、結構納得いくコレクションになるんでない?
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Unknown (doorgunner)
2012-08-27 22:39:13
10年に1丁が怪しいラインですね…。

スナイドル銃とか以前テレビで見た事あるんですが、あれって美術品で通るのかとか気にはなります。
モデル品だったのかな?

シャスポーはかなり惹かれるんですが…。
残る手段は東京マ〇イ広報さんに無茶ブリしてみるとかですかね。
「シャスポー銃を次世代電動ガンで製品化することは可能ですか?」とか。
(いい子はマネしちゃダメだぞ☆)
返信する
わからないことも多い (日干しレンガ)
2013-10-05 23:21:52
はじめておじゃましたものです。
マルチーニ・ヘンリーは、東郷隆の
「香水」
で活躍していましたね。なつかしいです。ふるい銃砲史の本が、大昔の未熟な工業でどうして精密なライフリングができたのか?謎だーーーーーと語っていました。きっと腕の良い鉄砲鍛冶が多かったのでしょうね。
返信する
Unknown (doorgunner)
2013-10-06 09:16:46
>東郷隆の「香水」

講談社の「銃士伝」としてまとめられてますね。
私も読みました。
「狙うて候」共々名著だと思います。

火縄銃と同時に日本にねじが伝わったのは有名な話ですが、
武器・銃器の発達と工業技術のそれは関連性が深くて興味深いです。

ヤーゲル銃のライフリングもどうやって加工してたんだろう…。
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