出来た・出来ます骨子掲載開始 ⇒指導や講演を依頼出来ます 村上原基
京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
骨子について指導や講演を依頼したい場合⇒依頼ホームページへ
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安曇川長尾のログハウス売り出し中
テーマ
ひいきチームの勝ち負けがどうでもよく、プレー自体を楽しむようになった
どうでもいいことにむきになる愚かさから早く卒業すべし
勝ち負け・ひいき・他人・良し悪しより大事なのは自分自身のこと、本質のこと
概要
1.過去はどうだったか 周囲の人の影響で、ひいきを応援する癖を植付けられてきた
1)野球を観ていて、ひいきのチームやひいきの選手の結果に必死に一喜一憂していた
2)ドラマを観ていて、引き込まれてしまい、主人公になったつもりで、一喜一憂していた
3)家族や兄弟や子供や友人の幸不幸に一喜一憂していた
選手やチームやドラマの主人公がどうなろうと関係ないし、何の益害もないのに心配する
すなわち自分自身でないのに、単にひいきだというだけで飲み込まれてしまう自分だった
2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵) のめり込みも怖い
勝ち負けや成功失敗などをいちいち気にすることが愚かしく思ってきた
ドラマの架空の人物や他人の心配をする自分をあたかも自分のように考えるお粗末な癖
他人のことなんか心配している暇はないのだ、もっと自分自身の心配をせよ
でも世の中にはひいきの野球チームの応援に必死になり全精力をかける人が多い
そういうことをやているうちに、自分のことが疎かになり、くだらんことに埋没していく
3.どうしたのか、何をしたのか 山で都会のくだらんことから離れていった
テレビや新聞雑誌を観て、他人のことにファンと称して関心を持ち、麻薬のようにのめり込む
そういう雑音のような情報から一度すっぱり遮断してしまうことが大事なのだ
そういう雑音、ごみ、どうでもいいことを、まず、きれいさっぱり捨て去ることが大事だ
どうでもいいドラマの主人公の不幸を嘆き、心配することから離脱しないといけない
山の暮らしが長くなるにつれ、ひいきのチームや選手などが愚かしく感じるようになってきた
タイガースやタイガースの選手が勝った負けたが一体何だって言うのか?どうでもいいことだ
人生も総体的に本質的を追い求めるより、やれ遊び、やれ趣味、やれ彼女・・・となりがちだ
4.どうなったのか 人間はいかに本質以外のことを必死に追い求めているのか
ひいきのチームの勝ち負けがどうでもよくなった、プレー自体を楽しめるようになった
ドラマの主人公が不幸になろうと関係なく、冷静・平静にドラマを楽しめるようになった
自分が一喜一憂するのは自分自身についてだけで、他人のことはアドバイスする程度に
他人のことなど自分でどうなるわけでもない、応援したから勝てるというわけでもない
自分のことでも過剰に心配したり悲観することも同様に減らして行った
すなわちバーチャルなものを勝手に作り出し無用な心配や悲観をしないことにした
バーチャルなものを応援したり悲しんだりしない、競技スポーツは出来るだけ見ない
5.一体なにが原因で出来なかったのか タイガースファンのように意味なく盲目の愛に陥る
1)意外なことだが、人間はひいきの選手や主人公やチームを真剣に応援してしまう癖がある
その癖はあまりに強くて、ひいきの選手やチームや主人公は自分以上のものとなってしまう
2)プレーを楽しんていない、ドラマを観ていない、選手やチームや主人公のことだけ観ている
3)本質より抹消なこと、どうでもいいことに注意が集中し、本質を観ない
本質よりもどうでもいいことに神経を集中する愚かさ、プロ野球で必死に応援する人は暇な人
6.何が良かったのか 偏見、好きなものを溺愛する癖をまず、すっぱり捨て去る
55歳で山の暮らしを始め、都会の娯楽や競技スポーツや文化と縁を少しづつ切って行った
まず都会的なことや、競技、芸術や演劇や音楽などそういうものから冷静にならないといけない
山の暮らしはそういう都会的なもから縁を切るよい場所だった、観光なども全くしなくなった
段々スポーツ競技での熱狂的な応援はなくなって行った、競技を本当に楽しめるようになった
ドラマの主人公がどうなるか心配して観なくなり、どんな場面も冷静に鑑賞できるようになった
彼女なんかもそうだが顔や一部を観て全体や彼女の本質を観たように勘違いしてしまう
本質を観る、本質だけを冷静、客観的観て、どうでもいいことに神経をすり減らさぬことだ
7.提言 より本質だけを観るようにする、本質以外でかっかして喧嘩なんかするなよ
やたらに応援しない ⇒必死な応援を止める
1)ひいきのチームや選手が勝つことに拘らない 2)犬や猫を溺愛するのもそこそこに
2)ドラマで主人公をひいきして観ないこと 3)食べ物も美味しさだけで貪り喰わない
4)人を地位や顔かたちや金持ちや着ているものなど枝葉末節で判断しない
5)ドラマや競技を選手や主人公などに拘て観るのでなく、全体をしっかり味わって観ることだ
新居安曇川田中の小さな庭の野菜、キューり、トマト、ピーマン、ゴーヤも沢山なった
長年、長尾の山で野菜をやって上手く行かなかったが、田中ではすごい結果だ
野菜作りも些細なことにあれこれ拘るより、本質を見抜けば、そんなにあれこれしなくてもちゃんと育つ
京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)
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台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
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ひいきチームの勝ち負けがどうでもよく、プレー自体を楽しむようになった
どうでもいいことにむきになる愚かさから早く卒業すべし
勝ち負け・ひいき・他人・良し悪しより大事なのは自分自身のこと、本質のこと
概要
1.過去はどうだったか 周囲の人の影響で、ひいきを応援する癖を植付けられてきた
1)野球を観ていて、ひいきのチームやひいきの選手の結果に必死に一喜一憂していた
2)ドラマを観ていて、引き込まれてしまい、主人公になったつもりで、一喜一憂していた
3)家族や兄弟や子供や友人の幸不幸に一喜一憂していた
選手やチームやドラマの主人公がどうなろうと関係ないし、何の益害もないのに心配する
すなわち自分自身でないのに、単にひいきだというだけで飲み込まれてしまう自分だった
2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵) のめり込みも怖い
勝ち負けや成功失敗などをいちいち気にすることが愚かしく思ってきた
ドラマの架空の人物や他人の心配をする自分をあたかも自分のように考えるお粗末な癖
他人のことなんか心配している暇はないのだ、もっと自分自身の心配をせよ
でも世の中にはひいきの野球チームの応援に必死になり全精力をかける人が多い
そういうことをやているうちに、自分のことが疎かになり、くだらんことに埋没していく
3.どうしたのか、何をしたのか 山で都会のくだらんことから離れていった
テレビや新聞雑誌を観て、他人のことにファンと称して関心を持ち、麻薬のようにのめり込む
そういう雑音のような情報から一度すっぱり遮断してしまうことが大事なのだ
そういう雑音、ごみ、どうでもいいことを、まず、きれいさっぱり捨て去ることが大事だ
どうでもいいドラマの主人公の不幸を嘆き、心配することから離脱しないといけない
山の暮らしが長くなるにつれ、ひいきのチームや選手などが愚かしく感じるようになってきた
タイガースやタイガースの選手が勝った負けたが一体何だって言うのか?どうでもいいことだ
人生も総体的に本質的を追い求めるより、やれ遊び、やれ趣味、やれ彼女・・・となりがちだ
4.どうなったのか 人間はいかに本質以外のことを必死に追い求めているのか
ひいきのチームの勝ち負けがどうでもよくなった、プレー自体を楽しめるようになった
ドラマの主人公が不幸になろうと関係なく、冷静・平静にドラマを楽しめるようになった
自分が一喜一憂するのは自分自身についてだけで、他人のことはアドバイスする程度に
他人のことなど自分でどうなるわけでもない、応援したから勝てるというわけでもない
自分のことでも過剰に心配したり悲観することも同様に減らして行った
すなわちバーチャルなものを勝手に作り出し無用な心配や悲観をしないことにした
バーチャルなものを応援したり悲しんだりしない、競技スポーツは出来るだけ見ない
5.一体なにが原因で出来なかったのか タイガースファンのように意味なく盲目の愛に陥る
1)意外なことだが、人間はひいきの選手や主人公やチームを真剣に応援してしまう癖がある
その癖はあまりに強くて、ひいきの選手やチームや主人公は自分以上のものとなってしまう
2)プレーを楽しんていない、ドラマを観ていない、選手やチームや主人公のことだけ観ている
3)本質より抹消なこと、どうでもいいことに注意が集中し、本質を観ない
本質よりもどうでもいいことに神経を集中する愚かさ、プロ野球で必死に応援する人は暇な人
6.何が良かったのか 偏見、好きなものを溺愛する癖をまず、すっぱり捨て去る
55歳で山の暮らしを始め、都会の娯楽や競技スポーツや文化と縁を少しづつ切って行った
まず都会的なことや、競技、芸術や演劇や音楽などそういうものから冷静にならないといけない
山の暮らしはそういう都会的なもから縁を切るよい場所だった、観光なども全くしなくなった
段々スポーツ競技での熱狂的な応援はなくなって行った、競技を本当に楽しめるようになった
ドラマの主人公がどうなるか心配して観なくなり、どんな場面も冷静に鑑賞できるようになった
彼女なんかもそうだが顔や一部を観て全体や彼女の本質を観たように勘違いしてしまう
本質を観る、本質だけを冷静、客観的観て、どうでもいいことに神経をすり減らさぬことだ
7.提言 より本質だけを観るようにする、本質以外でかっかして喧嘩なんかするなよ
やたらに応援しない ⇒必死な応援を止める
1)ひいきのチームや選手が勝つことに拘らない 2)犬や猫を溺愛するのもそこそこに
2)ドラマで主人公をひいきして観ないこと 3)食べ物も美味しさだけで貪り喰わない
4)人を地位や顔かたちや金持ちや着ているものなど枝葉末節で判断しない
5)ドラマや競技を選手や主人公などに拘て観るのでなく、全体をしっかり味わって観ることだ
新居安曇川田中の小さな庭の野菜、キューり、トマト、ピーマン、ゴーヤも沢山なった
長年、長尾の山で野菜をやって上手く行かなかったが、田中ではすごい結果だ
野菜作りも些細なことにあれこれ拘るより、本質を見抜けば、そんなにあれこれしなくてもちゃんと育つ