村上原基の「出来た・出来ます体験」を紹介します。どうしても出来なかったことが何かのきっかけや工夫で出来た体験を広めたい

例えば英会話等出来なかったことが結果的に出来たという事例を紹介し、出来ないで悩み続け、具体的な話を聞きたい方に講師紹介

出来た・出来ます骨子Nо.63「ひいきチームの勝ち負けがどうでもよく、プレー自体を楽しむようになった」

2016-07-30 07:34:52 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
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テーマ
ひいきチームの勝ち負けがどうでもよく、プレー自体を楽しむようになった
     どうでもいいことにむきになる愚かさから早く卒業すべし
     勝ち負け・ひいき・他人・良し悪しより大事なのは自分自身のこと、本質のこと

概要
1.過去はどうだったか       周囲の人の影響で、ひいきを応援する癖を植付けられてきた
1)野球を観ていて、ひいきのチームやひいきの選手の結果に必死に一喜一憂していた
2)ドラマを観ていて、引き込まれてしまい、主人公になったつもりで、一喜一憂していた
3)家族や兄弟や子供や友人の幸不幸に一喜一憂していた
選手やチームやドラマの主人公がどうなろうと関係ないし、何の益害もないのに心配する
すなわち自分自身でないのに、単にひいきだというだけで飲み込まれてしまう自分だった

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       のめり込みも怖い
勝ち負けや成功失敗などをいちいち気にすることが愚かしく思ってきた
ドラマの架空の人物や他人の心配をする自分をあたかも自分のように考えるお粗末な癖
他人のことなんか心配している暇はないのだ、もっと自分自身の心配をせよ
でも世の中にはひいきの野球チームの応援に必死になり全精力をかける人が多い
そういうことをやているうちに、自分のことが疎かになり、くだらんことに埋没していく

3.どうしたのか、何をしたのか       山で都会のくだらんことから離れていった
テレビや新聞雑誌を観て、他人のことにファンと称して関心を持ち、麻薬のようにのめり込む
そういう雑音のような情報から一度すっぱり遮断してしまうことが大事なのだ
そういう雑音、ごみ、どうでもいいことを、まず、きれいさっぱり捨て去ることが大事だ
どうでもいいドラマの主人公の不幸を嘆き、心配することから離脱しないといけない
山の暮らしが長くなるにつれ、ひいきのチームや選手などが愚かしく感じるようになってきた
タイガースやタイガースの選手が勝った負けたが一体何だって言うのか?どうでもいいことだ
人生も総体的に本質的を追い求めるより、やれ遊び、やれ趣味、やれ彼女・・・となりがちだ

4.どうなったのか       人間はいかに本質以外のことを必死に追い求めているのか
ひいきのチームの勝ち負けがどうでもよくなった、プレー自体を楽しめるようになった
ドラマの主人公が不幸になろうと関係なく、冷静・平静にドラマを楽しめるようになった
自分が一喜一憂するのは自分自身についてだけで、他人のことはアドバイスする程度に
他人のことなど自分でどうなるわけでもない、応援したから勝てるというわけでもない
自分のことでも過剰に心配したり悲観することも同様に減らして行った
すなわちバーチャルなものを勝手に作り出し無用な心配や悲観をしないことにした
バーチャルなものを応援したり悲しんだりしない、競技スポーツは出来るだけ見ない

5.一体なにが原因で出来なかったのか       タイガースファンのように意味なく盲目の愛に陥る
1)意外なことだが、人間はひいきの選手や主人公やチームを真剣に応援してしまう癖がある
その癖はあまりに強くて、ひいきの選手やチームや主人公は自分以上のものとなってしまう
2)プレーを楽しんていない、ドラマを観ていない、選手やチームや主人公のことだけ観ている
3)本質より抹消なこと、どうでもいいことに注意が集中し、本質を観ない
本質よりもどうでもいいことに神経を集中する愚かさ、プロ野球で必死に応援する人は暇な人

6.何が良かったのか       偏見、好きなものを溺愛する癖をまず、すっぱり捨て去る
55歳で山の暮らしを始め、都会の娯楽や競技スポーツや文化と縁を少しづつ切って行った
まず都会的なことや、競技、芸術や演劇や音楽などそういうものから冷静にならないといけない
山の暮らしはそういう都会的なもから縁を切るよい場所だった、観光なども全くしなくなった
段々スポーツ競技での熱狂的な応援はなくなって行った、競技を本当に楽しめるようになった
ドラマの主人公がどうなるか心配して観なくなり、どんな場面も冷静に鑑賞できるようになった
彼女なんかもそうだが顔や一部を観て全体や彼女の本質を観たように勘違いしてしまう
本質を観る、本質だけを冷静、客観的観て、どうでもいいことに神経をすり減らさぬことだ

7.提言       より本質だけを観るようにする、本質以外でかっかして喧嘩なんかするなよ
    やたらに応援しない ⇒必死な応援を止める
1)ひいきのチームや選手が勝つことに拘らない   2)犬や猫を溺愛するのもそこそこに
2)ドラマで主人公をひいきして観ないこと   3)食べ物も美味しさだけで貪り喰わない
4)人を地位や顔かたちや金持ちや着ているものなど枝葉末節で判断しない
5)ドラマや競技を選手や主人公などに拘て観るのでなく、全体をしっかり味わって観ることだ
新居安曇川田中の小さな庭の野菜、キューり、トマト、ピーマン、ゴーヤも沢山なった

長年、長尾の山で野菜をやって上手く行かなかったが、田中ではすごい結果だ
野菜作りも些細なことにあれこれ拘るより、本質を見抜けば、そんなにあれこれしなくてもちゃんと育つ

出来た・出来ます骨子Nо.62「およそ縁のなかった女の会合、新たな社会に飛び込んでしまった」

2016-07-28 07:34:56 | 不可能を可能に
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およそ縁のなかった女の会合、新たな社会に飛び込んでしまった
      安曇川で健康推進委員になってみると参加者はほとんど女性だった、そこに入り込んだ
      一つの社会に長年暮らすと、狭い人になってしまう、進んでいろいろな社会に飛び込もう

概要
1.過去はどうだったか       昔はある社会の人が別の社会に入り込むことは、ありえなかった
人は昨日の続きは明日、明日の続きは明後日という風に単純に日が変わるだけだ
今日と明日の社会が異なるなんてことは滅多にない
暮らしたり働く場の社会が異なることは一生のうちに何回あるか、しかもそんなに変わらない
人が変わるには、自分自身で変わるか、変わった社会に飛び込むこと
変わった社会に飛び込むのは容易くなく、しんどい、面倒くさい、だから、やらない人がほとんど

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       
社会を変える、私の場合           1)戦後の貧しい時代から高度成長から豊な日本
2)東京から大阪、大阪から京都、大阪から滋賀、都会から山の中に
3)大企業から零細企業、零細企業からベンチャー企業、ベンチャー企業から自営へ     大企業から零細企業へなんてことは、日本の一流大学を出た人ややらなかっただろう
4)管理技術から製造から技術から生産管理から環境管理からコンサルタント
5)大都会から商業都市から古都から山奥から田舎町へ

3.どうしたのか、何をしたのか       異文化社会に入り込む習慣
事例1:都会から山奥から田舎町へ
都会は嘘誤魔化しの社会山奥は自然の世界、そしてその中間、田舎町へ
田舎町は中間的ではなかった、自然や畑や土はあるが、山奥の自然はない、人もややいる
事例2:男社会から女社会へ
昔は男社会だった、しかしインターネット時代になると女性社会に変化し始める
安曇川田中で健康推進委員になった、会合では、大半は女性で男は4名だけとか、こりゃ何じや
滋賀の女はパワフルで元気だ、女は明るい、女は行動する、そういう中で少ない男としてうごめく

4.どうなったのか       私は人よりタブーみたいな社会に入り込んできたが、でも、まだまだだ
違う世界に入る入り方は普通の人の場合
・旅行によって   ・別荘を持って   ・登山や海水浴や釣りで   ・町に繰り出して
・本を読んで   ・映画やテレビを観て   ・一日体験みたいなもので    ・友人を得て
・異文化を真似た道具を使って     スポーツすることで    ・サークルに入って
結果的に異文化に入り込んだようで、実は、さほど入れていない
私の場合は、異文化不感症なのか、ずーんずーん入り、長い間入ってしまって来た
その結果、幅や奥行きが広くなったような気がする、自信も持てたような気がする

5.一体なにが原因で出来なかったのか       入れない、入ってはいけないと決めつけ
よく世界を歩いてとか自転車で一周とかする人がいるが、見た目ほど大して役立たない
自転車で世界を走ることにこだわらず、もっといろいろな社会をより深く体験をすべきだ
海外放浪の人は意外にも日本各地で永年暮らしたことはなく、日本のことを知らなかったりする
ある一定の期間その社会にとどまり続けないと意味がない、世界一周は上面見学になり易い
私のように数年、関西に住む、京都の会社に勤める、山奥で暮らす、田舎町に移り住むがよい

6.何が良かったのか       男一人で、女の多い会合に参加したことがありますか
田舎町で健康委員になって驚くことにほとんど女の人、その中にまみれていろいろなことをする
会社時代は、こんな経験は全くなかった、73歳と歳とったからいいが若い時は苦痛だったろう
女の人は案外堂々としている、そしてさっさと行動する、男の場合はそうはいかないように思う
女の人は考え方が固まっている、だからいちいち迷わない、悪く言うと融通がきかない
女の人も私ごとき男に関心もないし、格別扱いもしてくれない、普段通りてきぱき行動している
そういう女性達の行動を観ているとすごく参考になる、大袈裟にいうと女の生態が観察できる
まあ、このようにふとした出来事だったが、こんな不可思議な体験をしているというわけである

7.提言       およそ一生しないような社会に飛び込む機会があったら進んで飛び込め
女性ばかりの中に男一人入って行動するなんてことはまずない、男は女と真に交わってない
東京人の私が京都に30年住み、京都の会社に一人就職したように、女の会合に入り込んだ
まだまだ自分が何らかの理由で入り込まない虎穴があるのだ、そういう穴に進んで入ってみよう
必ずや、旅行や読書などより、今までにない大きな驚きや発見があるはず

高島市の女性パワーを浴びています

出来た・出来ます骨子Nо.61「老人ですが、草むしり・掃除・草木剪定などを運動としてこなしている」

2016-07-26 09:31:07 | 不可能を可能に
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テーマ
老人ですが、草むしり・掃除・草木剪定などを運動としてこなしている

概要
1.過去はどうだったか       都会っ子だったから、草むしりには縁がなかった
戦後間もなくを除き、高度成長期以降、都会では身体を使うことと言えば部屋の中に限られている
雑草も少なく他人の家の雑草を無断でとるわけにもいかない
都会で多いのは道路に散乱する吸い殻やごみだが、ゴミ拾いは惨めで、面白味がない
都会には日常的の戸外で作業する対象がない、だからお金払ってジムに通う、無駄だ
都会にも戸外で楽しい雑用が気軽に出来たら健康増進にも良いのではと思う

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       
55歳で山暮らしをすると、山では戸外でやる作業が無限にある、無限ですよ
だから終わりがない、きりがない、いくらでも戸外の仕事があるので妙うな安心感もある
絶対に退屈することがない、問題は、その人が、そういう雑用を喜んで出来る人かどうかだ
田舎の地元の人は高齢でも戸外作業に慣れている、戸外で仕事をするのが日課なのだ
彼らは仕事だから、長年、腰が曲がり、腰痛や神経痛など職業病にも悩まされるのも事実だ

3.どうしたのか、何をしたのか       草むしりが腰痛を悪化させたが、腰痛を改善することに
私も当初若かったために、山の暮らしが楽しくてのめり込み、ひどい腰痛になっていった
66~69歳腰痛でやれ医者だ薬だ整体だとお金も時間も使うようになった
しかし腰痛は全く良くならなかったし、それどころか、元気なくなり、どんどん老人化して行った
ところが71歳から自転車・ストレッチ・小山登山・歩きなどをとりまぜ身体は回復していった
その中で腰痛の原因でもあった草むしりは続けている、私にとって草むしりは役立つ運動なのだ
最近の高齢者としての運動哲学、いろいろな運動をバランスよく少しづつとりまぜる
その中で草むしりは、健康的で、金もかからず、地域貢献にもなり三方良しの身近な運動なのだ

4.どうなったのか       草むしりが運動や戸外作業のあり方や老人の生き方を教えてくれた
数種類の運動をとりまぜるという改善は思い付きだったが、目覚ましい効果が出ている
空き地に雑草が汚らしく生え放題なのを、毎日図形をイメージして少しづつ抜いていく
恰好のカンバスの空き地を草むしりし、ちょっとした空き地ガーデニングとなり、マイ絵画になる
草むしりでも一回は長くても20分くらい、ときどき姿勢を変える、ストレッチも織り込む
腰痛にならないように注意はするがむしろ適度に足腰や腕に意識的に負荷をかけるようにした
最初は変人に思われがちだが、私がいないと草が茂ると、価値をやっと認めてくれる人も増えた
夏の暑い日に草むしり、心配して声かけてくれる人もいるが、自分なりにきちんと対策しているのだ

5.一体なにが原因で出来なかったのか       都会というお粗末な、愚かな場所
都会ではむしるべき草が周辺にない、もっと空き地や小庭を造り老人にボランティアさせるべき
老人ホームでも園内や周辺の林などで、庭いじりや雑草抜きの場所を確保すべきだ
日々の戸外作業をしない老人はどんどん老化していく、老人ホームは老人放置ではいけない
老人は腰痛や神経痛が起きると戸外作業をしなくなる、無理しなくなるが、大きな間違いである
痛い場所があるということはその周辺の筋肉や骨が弱っていることを訴えているのだ
老人の冷や水とも言うが、老人に怠け癖を教えてはいけない、一生働け・動け老人

6.何が良かったのか       都会を出る、一日中じっと座っていない、とにかくあれこれ動く
老人は戸外作業をしない、あまりに過剰な懇切丁寧な介護を提供するのは、むしろマイナスになる
元気な老人だけでもいいから老人が隊列を作って道を行進なんて姿をtとり戻すべきなのだ
80~90歳の老人でも意外に山登りをする人が多い、これは何を物語っているのか?考えよう
山には元気な老人がいるのに、老人ホームに行くと元気を置き忘れた老人で溢れている
栄養バランスと同様に、年齢に関係なく幾つかの作業や運動をバランスよく少しづつやろう
老いということをもっと真剣かつ深く理解しないといけない   老い=諦めることではない

7.提言       何事も少しづつ分散しバランスよく行動することが大事
老人に運動や戸外作業をやらせる経験ある元気な老人インストラクターを登録し指導させよう
少なくとも元気老人は今すぐに私のようなやり方で戸外作業や運動をやって欲しい
老人だから、歳だから、腰痛がひどいから・・・と諦めるのはまだ早い、諦める=高齢化なのだ
一日中老人ホームでじっとしている、一日中座っている、一日中喫茶店やパチンコ屋は最悪

老人3人で小雨の中安曇川岳山に登って来ました。石だらけのきつい山でした

出来た・出来ます骨子Nо.60「知らぬ間に自分にびっしり纏わりついた嘘誤魔化しからの脱出」

2016-07-19 06:50:49 | 不可能を可能に
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知らぬ間に自分にびっしり纏わりついた嘘誤魔化しからの脱出
     何故こんなに争いがあるのか?
     何故、豊になったのに自殺やノイローゼが増えるの?
     何故いい加減な政治家や指導者が多いのか? 
     確かなことは、現代は、ますます嘘誤魔化しで動いて行くことだ
     嘘誤魔化しが更なる嘘誤魔化しを生んで行く
     正々堂々とした争いでなく、見苦しい・馬鹿げた・お粗末な、実りのない争いにハマっていく


概要
1.過去はどうだったか       都会に憧れ、欲にかられて、嘘誤魔化しにまみれて悩み、苦しみ
東京⇒大阪⇒京都と大都会を移るだけその中で、今思えば嘘誤魔化しとの闘いの日々であった
都会に憧れ、都会こそ人が楽しく生きがいをもって元気で暮らせる町と信じていた
多くの都会人は都会を最善の住処と信じてはいるものの、他方多くの不安不信を抱いている
都会を離れて一体どこに行くというのだ?都会以外に住みたいところなどないと思い込んでいる
いざ田舎暮らしをしようと田舎に行くが、人がいない寂しい・虫がいる・遊びも店もないのに驚愕

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       傲慢な自分に気づけ
東京⇒大阪⇒京都から55歳で、偶然に滋賀県の安曇川の山中に別荘を買う
自然豊かな山中に18年住み続けて思ったことは、都会の人間の嘘誤魔化しだった
人のいない山で18年目で自分は嘘誤魔化しから脱出しようと試みてみた
何故かというと都会人には見えない都会の嘘誤魔化しがあまりに鮮明に見えてきたからなのだ
我慢出来ないほど、都会の嘘誤魔化しが見えて来た
    でもそのおかげで嘘誤魔化しを切り捨てられるようになった

3.どうしたのか、何をしたのか       あまりの都会の嘘誤魔化しの事実を観てしまったこと
嘘誤魔化しが鮮明に見えて来たことで、迷いなく嘘誤魔化しを嫌悪し、嘘誤魔化しをつかなくなった
万一嘘誤魔化しをついても、それらははっきり嘘誤魔化しと見えているので翻弄されることはない
悪いことほど見える化をしないといけないのだ、見えればどうにか真っ当に対処できるのだ
山の中暮らし相手は人間でなく自然、人のせいには出来ない、一人で何でも責任を持ってやってきた
       ⇒横綱相撲をせないかんようになった、はたき込みや体をかわすなど誤魔化せなくなった
嘘誤魔化しのつきようがない、ところが都会に帰ると人々は当然のように平然と嘘誤魔化しをしている
今更ながらびっくりしたのだ、「そうか、人は沢山の嘘誤魔化しをついて、しかも堂々としている」
何しろ全てが嘘誤魔化しなのだ、「嘘誤魔化しではない」なんて例外は全く存在しないのだ

4.どうなったのか       全くの偶然に山の中にひっそり暮らし続けた(神のお告げみたいだ)
当初はあまりのギャップ、格差に驚愕し、どうしていいのかさえもわからず狼狽えるありさま
18年経って私も73歳にもなると、嘘誤魔化しがはっきり見え、どう処してすべきか理解出来てきた
それほど都会は嘘誤魔化しで汚染されている、まるでひどい中国の環境汚染同様だ
あたかも、外見だけはきれいに、かっちりしているように見えて、実態はおぞましい限りだ
都会は嘘誤魔化しで充満している、嘘誤魔化しでないものは拒否され、入り込む隙間すらない
山から都会に出て私はそういう思いを持ちながら、おどおどと山に速足で逃げ帰るだけだった
でもやっと、その状況がはっきり観えて来た、嘘誤魔化しなんか微塵も許容してはならないのだ
少しぐらいの嘘誤魔化しはしかたない、そんな思いが人間を知らぬ間に嘘誤魔化しに引きづり込む

5.一体なにが原因で出来なかったのか      都会に住んでいること自体が原因なのだ 
都会が嘘誤魔化しで満ちていることを自覚していない、その様を客観的に見えるようにしないといけない
それどころか都会こそ、嘘誤魔化しこそ、生きがいの元と思い違いしている
嘘誤魔化しがとことんまで行くと、過去の歴史物語るがように、悲劇に襲われることになる
悪魔は「つらいけど、我慢せい、頑張れ、お前が行くべきところなど都会以外にない」と言い続ける
文化も芸術もスポーツも皆嘘誤魔化し、都会で生活の糧を得ることは嘘誤魔化しに耐えること
    毎年生み出されているものは多くは嘘誤魔化しなのだ、文化とは嘘誤魔化しのゴミの山なのだ
    ひとまず、都会や人から離れ、出来るだけ自然な環境で普通の暮らしに根を生やすことだ

6.何が良かったのか      山に長く暮らし続けてみることだ、原点に戻ることだ
18年間の長い山の暮らしを通じて偶然に嘘誤魔化しのない生き方を取り戻せた
山は嘘誤魔化しの余地が全くない、田舎に都会を持ち込むな、都会や田舎の真逆な世界なのだ
嘘誤魔化しで充満した都会を知ったムクイ:人がいると争う、相手のせいにする、自分を正当化する
都会の何とも空虚で愚かな、悲しい生き方をする人々に出会い、つきあってしまったムクイ
現実を振り返ると、都会の人間は麻薬患者のようであり、そこから脱出することは不可能に見える
嘘誤魔化しを捨て去るのでなく嘘誤魔化しに依存していくようになってしまう悲しい都会の人間
まあなんと多くの嘘誤魔化しで充満し、日々嘘誤魔化しが増加していることか、私は毅然としている

7.提言       都会の汚れを落とし、都会の暮らしから隔絶すべきだ
私の体験では人のいない山に15年は暮らし続けることでしょうか
      何故争うか?⇒答え:他人のせいにするから
「嘘誤魔化しつくな」と他人に言う前に、自分が朝から晩まで嘘誤魔化しをしていることに気づけ
麻薬患者で言えば、牢獄か専用隔離室で嘘誤魔化しから遠ざかり15年暮らすことでしょうか
完全に治るまでそこを抜け出さない、中途半端で出てしまえばむしろ前より悪化してしまうだけだ
現代の都会に住む僧侶、先生、指導者は堕落しているが、彼らこそ率先して手本を示すべきだ
  ・一見して尤もらしいことに、多くの嘘誤魔化しがある
  ・嘘誤魔化しの中には嘘誤魔化ししかない
  ・嘘誤魔化しをつかないようにするには嘘誤魔化しのあり得ない世界に一人で赴くことだ
  ・嘘誤魔化しの世界において、嘘誤魔化しがあるのないのと論じることは何の意味もない
  ・嘘誤魔化しの世界にいて、嘘誤魔化しがないことを求めることも何ら意味がない
  ・都会の人間の論争を聴いていると、嘘誤魔化し同士の一騎打ちの感があり笑ってしまうのだ
  ・およそ肩書などというものも嘘誤魔化しを尤もらしく見せる一種の手品道具に過ぎない

  真実なんてものはない、あるとすれば、自然か不自然か、不自然は嘘誤魔化しだ
  人間は嘘誤魔化しをする、人間同士は駆け引きをする
  自然は、駆け引きも称賛も融通・・・などは一切ない
  嘘誤魔化しから離脱するには一人で暮らす、自然を相手に暮すことだ

  楽は、人は大いに喜ぶが、嘘誤魔化しであることが多い、逆に
  苦や苦難は嘘誤魔化しでない、真実なことが多い、すなわち
  苦や苦難に立ち向かうことは嘘誤魔化しから遠ざかる一つの道かもしれない


売り出し中の長尾の山荘をリフォームしています、今後更に快適で美しく変身予定です
安曇川長尾のログハウス売り出し中
土間の棚を撤去作業場を狭くし、椅子机の部分にサッシを取り付け庭に出入りできます