狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

「絶対的」では無く「相対的」に、周りの人達の顔色や反応を基準・規範にするのが世間の人達・・・「『空気』と『世間』」を読んで

2014-06-28 18:58:42 | 世間・空気
 総タイトル:【「絶対的」では無く「相対的」に、周りの人達の顔色や反応を基準・規範にするのが世間の人達・・・「『空気』と『世間』」を読んで】

 世間からはみ出している私自身は、今後とも世間に属さず孤独に、世間の暗黙のルールにも従わず、束縛されず、空気も読まず、思想の上等で独立して自由を持ち続けようと思います。その為に世間から嫌われても一向に構わず、世間の欲望を満たす為の行動をするつもりは全く有りません。そんな私であるので、大きな会社や組織・グループは大の苦手で、その様な中にいるだけで却ってストレスが溜まってしまいます。
 「『空気』と『世間』」(著者:鴻上尚史氏、出版社:講談社、出版日:2009/7/20)
 本書を読みました。
 「こんな事をしたら笑われるわよ」と親が子供に叱る様に、「絶対的」な基準や規範を持たずに、周囲に存在する人達の顔色や反応を基にして、「相対的」に物事の判断や行動の決断をする人達が世間の人達である様に思います。
 何が本当に正しくて何が本当は間違っているのかを子供を育てる親が解っていないのに、同様に学校の教師が解っていないのに、どうして子供を養育し教育する事が出来るのでしょうか。
 自分を信じない、つまり自分に自信が無い世間の人達は、他人を信じる、他人の顔色や反応をあたかも神として崇めるかの様にして、自分の考えでは無く周囲の考え・流行・傾向・時流・空気に乗って行動しているに過ぎない様に思います。
 空気を読むばかりで、笑われない様にしようとか嫌われない様にしようとかの「世間体」を気にするばかりで、自分の中に思想・自分の考えが無いのが世間の人達である様に思います。
 永遠では無い「空気」は空虚で実体が無く、残らずに消えて無くなるもの。マスコミの作る世論や思想の傾向等は一時的なもので、何年か後でそれらを振り返って見てみると、ばかげていておかしなものが多いものです。
 最近は通勤・通学の電車やバスの中でも携帯電話やスマートフォンをいじる人達が多く、特に学生は本を全く読まない様です。新聞すらも読まないその様な学生達の話の内容は、テレビのバラエティー番組と同様に軽薄な言葉ばかりを並べて中身の無い無意味で空虚な話であり、その様な話は私にとってはただの雑音にしか聞こえず、騒音としてしか感じません。
 その様に空虚で無意味な言葉を発しながら口ばかりを動かしているので、考える事が無い。ものを考える時には、気持ちを沈めて黙する事が必要で、前ばかり見て反省もせず、時々立ち止まって後ろを振り返り沈思黙考する事が世間の人達には欠けている様に思います。
 本当は唯一の神であるはずなのに、この世の中には様々な神や仏等が一応存在してると世間一般では言われています。そしてその一つだけが真実で他は全て間違っている宗教のその良し悪しはともかくとして、その信者達はそこで言われている事や教典をほぼ絶対視して自分の考えや物事に対する捉え方・判断、行動等に繋げています。
 しかし、無神論者達の場合は自分にとって絶対視する事が出来るものを持っていない事もあって、前述の通りに周囲の顔色や反応を神として崇める様に見ている訳で有る様に思います。
 キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の神は、旧約聖書の創造主・唯一神「ヤハウェ」を共通として「絶対的存在」です。世間と言う分野に属する様な人達の場合は、常に他人と比べて「相対的」に判断し、行動を決め、勝った・負けたと一喜一憂しているに過ぎない様に思います。そういう意味で私は最近は勝ったとか負けたとか気にする事自体が虚しく思え、そんな事はどうでもよいとさえ思っています
 因みに本書に書かれている、特にアメリカにおいてのキリスト教における福音派とリベラル派の違い福音派の場合は聖書に書かれてある事は全て真実であるとし、中絶の禁止、同性婚の禁止、結婚まで純潔(処女・童貞)を守ると言う古き良きアメリカを取り戻そうと努めています。しかし一方のリベラル派は科学的な知見を基にして聖書に書かれてある事の中には真実では無く歴史的事実で無い神話や寓話が含まれていると主張し、且つ進化論を認めています。そしてそのリベラル派はマリアの処女懐胎やイエス・キリストの復活をもその科学的知見によって否定しようとしており、そうなるとリベラル派はエホバの証人(ものみの塔)やモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)、統一教会(世界基督教統一神霊協会)等の新興宗教と同じで正にキリスト教紛い(まがい)で偽物であると思います。
 エホバの証人やモルモン教がイルミナティ・フリーメーソンによって設立された様に、キリスト教リベラル派も同じではないかと思います。キリスト教の破壊を企むユダヤ・エージェントのマラノの侵入も考えられます。
 人間が作った科学が最高のものでは無く科学を超える自然や宇宙が存在し、その自然や宇宙をも超えるのが「絶対的存在」である創造主・唯一神であるのです。人間には到底不可能と思える様な事、人間の常識では考えられない事、不思議な事を、創造主である唯一神ならば出来る訳です。
 周囲の顔色や反応を信じるのは最もレベルが低い人達。その人達よりもレベルが高いのが自分を信じて自分の考えで行動する人達。しかしそれよりももっとレベルが高いのは、神を信じて神に委ねる人達
 世間や空気を日々批判的に見て捉えている私にとって、本書には共感する事が多く書かれています。
 世間の特徴として、根拠・理屈の無い神秘性、呪術的しきたり、差別的で排他的、集団主義的で個人の不在、多数派の意見に迎合、変革が不可能、儀式・形式重視、権力性、議論を拒否する空気の存在、抑圧としての存在、等々・・・・・・。

 
「空気」と「世間」 (講談社現代新書)「空気」と「世間」 (講談社現代新書)価格:¥ 864(税込)発売日:2009-07-17