欺瞞的善人の悲哀

欺瞞は汚いので消します。カレーはポークです。 この世の「最良の精神たち」よ さあ共に闘おう!

検証:福島原発暴発:20日間の経緯

2011-06-13 00:56:37 | 日 本
福島原発放射能:超まとめ:その影響と対策:更新中




3月11日14時46分18秒 東日本大震災開始 マグニチュード9.0の地震により、場所によっては波高10メートル以上、最大遡上高38.9mにものぼる大津波が発生。 福島原発の「海岸沿いに設置されていた」緊急炉心冷却システム(ECCS)が、当然流された。そして原発の暴発が始まった。 不在の清水正孝社長らに代わって対策本部の指揮を執る藤本孝副社長は、補助電源で薄明かりがともる第1原発の中央制御室から、第1、第2原発の全基停止を知らされた。 「電力需要が少ない週末はなんとかできても、週明けは大混乱するかもしれんな」。。。


この野郎
∴手をつないで 行こう

怒りを禁じえないのは、東電の震災直後の対応。 「足場が倒れたら危ない」。3人の同僚と声をかけ合っていると突然、照明が消えた。暗闇の中、危険箇所を示す電池式の警告灯だけが赤く点滅している。 頭が混乱して方向感覚がない。「はぐれたら大変だぞ。手をつないで行こう」。警告灯を懐中電灯代わりに、4人は一列になって1階に向かった。 30分後、命からがら外に脱出すると、「こんなに人が居たのか」と驚くほどの作業員たち(6~7000人)がパニック状態に陥っていた。しかし東電社員からの指示は一切無し。それどころか、「社員たちは建屋内に作業員たちを残し、真っ先に避難」していた。コレが東電である。 最も安全と言われる「免震練」へ行くと、社員やガードマンが大勢居た。 そもそも、現場の下請け作業員たちは、常日頃から東電の欺瞞に気付いていた。「原発の寿命は30年と言われているのに定期点検の回数が減らされている。 設立当初は10ヶ月毎に行っていたのに現在は13ヶ月毎。さらに間隔を広げようとする計画もあった。建屋内でも、配電盤がショートする事故が時々あったが、原因究明はされなかった。 社員たちは建屋内で作業せず、外で数値を読んでいるだけ。実際に作業するのはメーカーと下請けの作業員たち。7次下請けともなれば、日当は5000円程度だ。 下請けは、原発のお陰で成り立っているので、作業内容や環境に対する不満も言うことは出来ない」(週刊文春 3/31 P27)

∴支援は要らないと最初に言ったのは 誰?

この段階で、菅首相は米国政府からの支援を断っている。 「日本のことは、まずは自衛隊に頼む。それが国家というものだ」 よくも言う。国旗国家法案に反対して国家さえ歌わないこの韓国人首相。 米国は、当初からグローバルホークを原発上空で数10回以上飛ばし、詳細なデータを集め、この原発事故が容易に収束するものでないことを察知していた。米国のクリントン国務長官は地震発生直後、ホワイトハウスでの会合で原発事故に触れ、「日本の技術水準は高いが冷却材が不足している」と懸念を示した。 事故後、大量の冷却材等を素早く運び込み、日本側へ支援を申し出たが、政府はこの申し出を断わった。 大量の冷却材は、アメリカ軍横田基地に山積みされている。 じつはこの時、米国側は重要な「警告」を行っている。原子炉冷却のために「海水を使うべきでない」と指摘している。プルトニウムが海水と化学反応を起こし、放射線濃度が高まる恐れがあったからである。 結局、12日になって福島第一原発1号機で水素爆発が発生し、東電は海水とホウ酸の注入に踏み切った。 その後政府は、収集がつかなくなってから助けを請うたが、ヒラリークリントンも「支援は要らないと最初に言ったのは誰?」と 名指しさえしなかったが、菅直人を厳しく批判した。

15時30分 東電武藤栄副社長がヘリコプターで福島原発へと飛ぶ。 まだ冷却系統は作動していたが、危機感が広がり始める。 15時42分 福島原発の全交流電源が失われる 東電本店対策本部は電源車をかき集める作業を始める。 16時36分 「炉心溶融」を防ぐための冷却システムがダウン、冷却水注水不能。

∴バッテリーは7、8時間は保持される 原発は大丈夫。

東京・霞が関の経産省で原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官が記者会見。「蒸気タービンで駆動する冷却系が働いている。バッテリー(蓄電池)は7、8時間は保持される」 会見を終えて中村審議官が席を立とうとした17時前、血相を変えた保安院職員が「東京電力から15条事態と判断したと連絡が」と会見室に飛び込んだ。 原子力災害対策特別措置法(原災法)に基づく15条通報は、「原子炉内に注水できず冷却機能を失うことに代表される重大な緊急事態の発生」に適用される。 官邸の緊急災害対策本部は、直接東電と直接やり取りせず、経済産業省の原子力安全・保安院を通じて対応。 「東電→経産省原子力安全・保安院→首相官邸」という流れで、首相はもっぱら保安院から「原発は大丈夫です」との報告を受けていた。

19時3分、首相は冷却系が機能不全に陥る危険性を指摘し、初めて原子力緊急事態宣言を発令。 20時30分、ついに隔離時冷却系が止まり、炉心の冷却ができなくなる。 20時50分、福島対策本部が、官邸の指示を待たず半径2キロの住民に避難要請。 電源車をバッテリーが切れる7~8時間以内に福島第1原発に集めなければならない。 電源喪失が15時42分。タイムリミットは23時前後から12日午前0時前後。

21時9分、電源車が福島に到着するが、「必要な低圧ケーブルが無く!」無駄足に終わる。 21時23分、首相が半径3キロ圏内の住民に避難指示を出す。12日早朝には10キロ、同夕には20キロと範囲が拡大していく。 22時、原子力安全・保安院は、原子炉内の水位が下がった2号機で何が起こるのかを予測、官邸に報告、翌12日15時20分には格納容器内の圧力上昇が予測されていたため、弁を操作して高温の水蒸気を外部に逃がす「ベント」作業が必要と分析した。 22時50分、炉心露出(予測) 23時、首相や海江田万里経産相、班目(まだらめ)春樹・原子力安全委員長、原子力安全・保安院幹部を交えて対応を協議。ベントを要請するが、東電が拒否。 23時20分、保安院の記者会見で山田知穂原子力発電安全審査課長は「電源車は接続されず、電源は回復していない」と認めた。 政府高官は「東電のオペレーションは準備不足で、行き当たりばったりのようだった」と振り返る。 23時50分、燃料被覆管破損(予測) 24時50分、燃料溶融(予測)

翌12日、原発は地震で自動停止したものの、原子炉内の圧力が異常に上昇した。東電は格納容器の弁を開放して水蒸気を逃がし、圧力を下げる作業(ベント)を前夜から迫られていた。 ベントは、格納容器の破損を防ぐためとはいえ、意図的に放射性物質を外界に放出する「最後の手段」とも言える荒業だ。 1時30分、官邸は海江田万里経産相名で正式にベントの指示を出すが、保安院は実際に行うかどうかについて「一義的には東電が決めること」とした。 「東電はなぜ指示を聞かないのか」。当たり前である。 国が電力各社に文書で提出させている重大事故対策は「事業者の自主的な措置」と位置づけられている。つまり、法的に、管理者(保安院)が管理せず、「事業者側に責任を持たせる構造」になっている。 そして班目(まだらめ)春樹・内閣府原子力安全委員会委員長 は「震災に対する備えが足りなかった」と言う。これが、我が国の原発管理者のお言葉である。

6時、原発敷地内では放射線量が上昇し、保安院は、1号機の中央制御室で通常の約1000倍の放射線量が計測されたと発表。原発正門付近でも通常の約8倍を記録した。今回の東日本大震災で初めて放射性物質の漏えいが確認された。 6時すぎ。菅直人首相は陸自ヘリで官邸屋上を飛び立ち、被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かう。秘書官らは「指揮官が官邸を不在にすると、後で批判される」と引き留めたが、決断は揺るがなかった。 「総理、原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」。機内の隣で班目委員長が伝えた。班目は「視察の前に、作業は当然行われていたと思っていた」と振り返る。首相は、官邸に戻った後、周囲に「原発は爆発しないよ」と語った。 

6時50分、政府は原子炉等規制法に基づき、東電にベントをするよう命令。 7時過ぎ、未明に指示したベントはまだ実施されていなかった。 「そんな悠長な話か。早くベントをやれ」同原発に着いた首相は再度ベントを促す。現場を熟知する 吉田昌郎福島第1原発所長は実施を約束。この後、官邸は東電本店よりも吉田所長に信頼を置くようになる。

事態は、冷却機能が働いていたはずの1号機でも深刻化していた。 徐々に水位が下がり、燃料棒が最大90センチ露出し、原子炉格納容器の圧力が上昇。損傷の危険性が高まった。 断続的に保安院で開かれた会見で「この事態を想定していなかったのか」と質問が記者から相次ぐ。保安院は苦しい弁明に終始した。 東電の原発事故時のマニュアルには、ベントの手順が書かれているが、放射性物質を含んだ水蒸気を原発の外部に出すという初の事態に「福島の現場も東京の東電本店も緊張した」(保安院幹部)。しかも、停電で原子炉から水蒸気を放出するための圧力弁は自動では作動せず、放射線量が高い格納容器周辺に作業員が行き、手で弁を開く必要があった。停電で真っ暗な中での準備作業は難航。首相の視察後もなお現場は「ベントを開始できるまで、どれだけ時間がかかるか分からない」という状況だった。 1号機の格納容器内の圧力は4時半には、通常の2倍超の8.4気圧に達し、核燃料が溶けるメルトダウン「炉心溶融」がいつ起きてもおかしくなかった。

9時4分、東電がペント作業に着手。 10時17分、1号機でようやくベントが始まった。 ベントには2つの弁を開く必要があるが、備え付けの空気圧縮ボンベの不調で1つが開かなかった上、代替用の空気圧縮機の調達に約4時間を費やし、排出が行われたのは14時半だった。 14時49分、セシウム検出 セシウムは、核分裂する際にできる物質であるので、これが検出されたということは、炉心溶融(メルトダウン)が起き、それが格納容器から漏れ出たことを示すが、枝野官房長官は、「東京電力から、格納容器は破損していないと報告を受けている」と言い切った。

∴結局 水素爆発

しかし15時36分、間に合わず、原子炉建屋が水素爆発で吹き飛ぶ。対応の遅れによる人災である。
 官邸には東電からも保安院からも情報は入っておらず、問い合わせにも東電は「建屋から煙が出ている タービン建屋に保管しているガスボンベが爆発した可能性がある」というだけだった。 ※ 水素爆発とは、放射性燃料棒を包むジルコニウムと冷却水が反応して水素が発生し、それが建屋の上部に溜まり、それが何らかの火気と反応して起きる爆発

16時17分、原発付近で 500マイクロシーベルトを超える。 20時20分、海水による原子炉への注水を開始。 福島原発は、稼動から40年が経ち、減価償却を終え、「金の卵を生む鶏」だった。「海水を使用すれば廃炉となるため」東電は、当初実施を躊躇していた。 首相周辺は「東電も保安院も原子力安全委も(深刻な事態から目を背けようと)ぐるになっていたとしか思えない」と批判。一方、保安院を傘下に持つ経産省幹部は「事態が最悪の方向に動いたため、官邸は東電や保安院をスケープゴートに仕立てようとしている」と漏らした。 15日6時14分、2号機も水素爆発に至る。 9時、正門付近にて、約「12ミリシーベルト」が観測される。

16日、燃料プールが沸騰し冷却水が枯渇するのを食い止めるため、政府は自衛隊ヘリによる空中からの放水を決めたが、上空の放射線が強すぎるため、この日の散布は断念。警察庁は同日、警視庁に対し、機動隊の高圧放水車を出動させ、地上から注水を試みるよう指示した。

被ばく覚悟の放水 自衛隊員「国難、やるしか」(2011年3月18日) 17日、効果確証ないままヘリによる空中からの放水が開始されるが、これは菅首相による諸外国へのパフォーマンス以上の効果は無かったと言われる。 警視庁の高圧放水車による使用済み燃料プールへの放水も始められる。 「自分がやれと言われたら、最悪の場合は命がないと覚悟して行く」ある自衛隊員は「危険があるのは分かっているが、国難だから命令があればやるしかない」と悲壮感をただよわせた。投下作戦は同日午前、同原発3号機の使用済み核燃料プールを冷やすため、4回にわたって実施された。 防護服は身動きが取りにくく、操縦に危険が伴う。投下した水と過熱した使用済み核燃料が反応し、急激な上昇気流が発生すれば、ヘリコプターが制御不能になる恐れがある。最悪の場合、原子炉に墜落する事態も。 彼らは、菅首相によるパフォーマンスのために、命を賭けなければならなかった。

18日、東京消防庁は東京電力の福島第1原発への地上からの放水作業に、東京消防庁のハイパーレスキュー部隊などからなる緊急消防援助隊139人を派遣。 同日未明、菅直人首相から石原慎太郎都知事に派遣要請があった。援助隊は同日午前7時半ごろ、福島県いわき市に到着した。自衛隊の消防車両と合流して福島第1原発に向かい、午後にも放水作業に入る。 援助隊の車両は計30台。海や河川から取水し、2キロ先まで送水できる「スーパーポンパー」や、放射線測定装置を搭載した特殊災害対策車などで構成。毎分5トンの放水ができる大型化学車などの特殊車両やノズルが最大22メートルの高さまで到達する屈折放水塔車などが参加する。

∴言われた通りにやらないと 処分する

その前日17日、都知事に総理側近の民主党議員から電話があり、「警視庁の放水車を出して欲しい」とのこと。「もうとっくに現地に向かっている」といった具合でさっぱり要領を得ない。 待っていると菅総理から直接電話がかかってきて、要するに「東京消防庁に出動要請をして欲しい」ということだった。 消防総監を呼んで質してみたら、「とんでもない。すでに消防庁本庁からも要請を受けて、消防車を揃えて派遣した。ところが、電発近くに着いても現地の対策本部と連絡がつかず 待ち合わせ場所にも相手が来ない。2時間待っても誰も来ないので、仕方なく引き返してきた。総理はそのことをご存じないのか」と言う。 再び総理に電話したら、案の定まったく知らなかった。。。

18日になって東京消防庁のハイパーレスキュー隊が今度こそ現地に到着、いよいよ放水作業が始まるという段になって再び官邸から連絡があって「夕方5時半から放水するはずなのになかなかしてくれない。約束通りに放水するように命じてくれ」という。 「現地には色々事情があるだろうし、その判断は現場に任せたら」「いや、一刻を争う」と譲らない。 恐らくこれも、管政権が、「マスコミ受け、世界に対するアピールのタイミングを考えてのこと」だろう。 現地に問い合せてみると、付近は津波による瓦礫の山で車が走れない。やむなく外に出て人力でホースを延ばし、海から取水して放水するための準備をしているため手間取っているという。 消防車の外に出れば「大量の放射線を浴びる危険性がある」そんな決死の作業を行っている方々に、「とにかくはやく放水を始めろ」と言う。 ・・・とにかく?何だ?とにかくって。




続けてハイパーレスキュー隊の第2隊が派遣されたのと入れ替わりに帰ってきた第1隊の佐藤康雄総隊長らの報告を聞くと、現地ではもっとひどい有り様だった。 「とにかく時間通りにやれ」と矢の催促で、「4時間以上連続して放水するとモーターが焼き切れてしまう。いったん中断しなければ無理だ」と訴えても、「何がなんでも7時間連続してやれ」と。しまいには、「言われた通りにやらないと処分する」(梅江田大臣)と、脅かされた。 結局消防車のうち1台は本当にモーターが壊れて使い物にならなくなった。 「そんな無茶な命令を誰がしてきたのか」と聞くと、「よく分からないが上の方から来た」という。 現地まで来て「早くやれ」と催促するならともかく、自分は安全なところに身を置いて、現地の事情も知らずに無謀な命令をして、「言うことを聞かないなら処分する」というのは、制空権も失い、一機の飛行機の援護もない中、戦艦大和を出撃させて多くの隊員を殺してしまった昔の大本営と変わりない。 そんなやり方で消防隊員の生命を危険にさらすわけにはいかない。 だから都知事はすぐ官邸に出かけ、菅総理に直接抗議した。その後、梅江田大臣が「私の発言で消防の方が不快な思いをされたのであれば申し訳ない」と謝罪したが、むしろ「オマエが処分されろ」という話だ。 これこそが、民主党の「政治主導」の実態である。 主導能力が無いチンピラが政治をやるとこうなるわけだ。


19日、23時半、車両やホースの設置のため、40人で原発敷地内に突入。毎分3トンの放水を続けた屈折放水塔車を3号機まで2メートルの至近距離まで接近させた。 出動命令が出た時、高山幸夫・第八方面消防救助機動部隊総括隊長は、勤務中だった。妻に「帰ってくるから安心しろ」とメールを送ると、「信じています」と返ってきたという。 佐藤部長の妻は、夫のメールに「日本の救世主になってください」と返した。 冨岡隊長は「家に帰ったら家族と酒を飲みながら反省会をしたい」と笑い、佐藤部長は「恐怖心を克服し任務に当たってくれたことに敬服の念を抱いている」と隊員らをねぎらった。

20日、東京電力は、2、5号機の配電盤への電力供給に成功。炉心の冷却ポンプや中央制御室の機器を動かすには点検が必要で、復旧は先になる見込み。 5、6号機は、非常用発電機を使った冷却で、20日夜までに炉内の温度が100度未満の冷温停止状態になった。

21日、東京消防庁の連続放水は未明まで続いた。東京電力は、責任や、放射能漏れで被害を受けた農家への補償などを問われると「1日も早く原子炉を安全な状態にするのが大事。最大限の努力をしている」と繰り返し、明言を避けた。 会見は一時間ほどで、武藤副社長は終始、小さな声であいまいな受け答えを繰り返した。報道陣から何度も「もっと大きな声で」との声が飛んだ。 この会見で、東電は「一日も早く」を、「15回!使用した」が、これについて石原都知事は、「せめて14回にすべきだった!」と述べた。(週刊ギマン6月緊急特大号 より)

「言葉にできない」石原都知事、消防隊員に謝辞 21日、原発事故で放水活動を行って帰京した東京消防庁ハイパーレスキュー隊員らの活動報告会が東京都渋谷区の消防学校で行われた。 石原慎太郎知事は参加した115人を前に感極まり、何度も言葉を詰まらせながら感謝を述べた。 「みなさんの家族や奥さんにすまないと思う。…、言葉にできません 本当にありがとうございました」。隊員からの活動報告を受けた石原知事は、涙を隠さず、深々と礼をした。 石原知事は、被曝(ひばく)覚悟の活動を「まさに命がけの国運を左右する戦い。生命を賭して頑張っていただいたおかげで、大惨事になる可能性が軽減された」と称賛。さらに、「この荒(すさ)んだ日本で、人間の連帯は在り難い、日本人はまだまだ捨てたもんじゃないということを示してくれた。これを踏まえて、これに縋って、この国を立て直さなければいかん」と声を震わせた。 活動報告会に参加した隊員の一人は「あの強気の知事が涙を流して礼を言ってくれた。上から物を言うだけの官邸と違って、我々のことを理解してくれている。だから現場に行けるんだ」と話した。

∴用意は一切 無かった

22日、放水作業に、高さ58メートルの「ドイツ・プツマイスター社製の生コン圧送機」が投入された。 同社日本法人の元社長で、泊、浜岡などの原発工事現場で技術指導の経験がある会社社長出口秀夫さん(65)=埼玉県春日部市=「圧送機が放水に使える」。 被ばくの危険のある現場には、十分な放水能力のない警視庁の車両までもが投入されていた。それを見て「居ても立ってもいられなくなった」。すぐに使えるように具体的な方法をまとめ警察、東電、市役所などに提案。当初はつれない対応もされたが、最終的に官邸が導入を決めた。 一方で、官邸には事故発生から間もなく、「汚染水を出さずに原子炉を冷却する方法」も進言されていた。 佐賀大学元学長の上原春男氏は、外付けの交換機による冷却を提案していた。上原氏はそのための機器を確保し、首相に電話で説明した。 ところが-「今仰った装置はどこにどう取り付けるんですか」「その場合はどこに穴を開けるんですか」・・・・・首相は質問を重ねた。 この切迫した状況下、総理は「大局的な判断」をすることこそが大事で、技術的な細かい点は、専門家に任せればいいはずである。。。そして結局、この案は判断されないまま「放置」されてしまう。 そして4/4、放射能汚染水は海へと放出される。  さらに信じられない話がある。 民主党議員に国交省から電話が入った。「原発作業員の線量計と防護服が足りず作業できない」 本来なら危機管理センターに連絡すれば済む話であり、しかも、実際には既に、「仏国から20000セット」届いていたので当然足りていた。民主党政権では、「震災から1ヶ月経過時でも」この有様だった。 仏国や米国にはあるものが、日本には、放射線を遮る防護服も、線量計も、ロボットも、一切、用意は無かったのである。 (週刊文春 4/28 P32-33 より)

同日22日、埼玉県川口市では、採取した水道水から、1リットル当たり120ベクレルの放射性ヨウ素131が検出された。 ちば野菊の里浄水場(同市)では220ベクレル、栗山浄水場(同)では180ベクレルの放射性ヨウ素が検出された。 東京都の金町浄水場では、都が24日に再調査した結果、放射性ヨウ素は79ベクレルまで下がり、乳児の暫定指標値100ベクレルを下回った。 また、東電によると、敷地内5カ所の土壌から、プルトニウム239、240を検出した。このうち、2カ所で238が土1キログラムあたり、0.54ベクレルと0.18ベクレルを検出した。国内で通常検出される土壌の238は最大で0.15ベクレルで、今回の事故で放出された可能性が高いと指摘。ただ、レベルが低く、人体に影響はないと思われる値。 ※<プルトニウム> 原子炉でウラン燃料を燃焼させると生成され、天然にはほとんど存在しない放射性物質。鉛より重い重金属で、水の約20倍の重さがある。代表的なプルトニウム239の半減期は約24000年と極めて長い。ウランよりも少量で核分裂反応を起こすことができ、高速増殖炉「もんじゅ」の核燃料となっている。

24日、3号機のタービン建屋内で同日午前、20~30代の男性作業員3人が173~180ミリシーベルトの放射線量を浴びて被ばくした。いずれも東電の協力会社の社員で、このうち20代と30代の2人が「両足の皮膚に放射性物質が付着したため」ベータ線熱傷の疑いと診断され、福島市の福島県立医大病院に運ばれた。東電は、事前に「水のある場所だ」という指示をしなかった。 現場の放射線量はこの日、高い放射線量が出ていたが、東電は事前チェックをしないまま、長靴ではなく普通の作業靴を履かせ作業をさせていた。現場は深さ15センチほどの水たまりがあり、足がくるぶし付近までつかった状態で4、50分作業をしていた。 被ばく後、調べたところ、空気中で毎時200ミリシーベルト、水たまりの表面は倍の毎時400ミリシーベルトあった。 さらに、東電社員が立ち会っていないことも判明。東電は、「3人とも防護服やゴム手袋などを着用し、線量計も20ミリシーベルト超でアラームが鳴るよう設定した」と説明しているが、線量計は20ミリシーベルトでアラームが鳴ったが、1人は「故障したのではと思った」と話したという。 原発の作業員は通常、被ばくの上限が年間50ミリシーベルト(5年間で100ミリシーベルト)で、緊急時は100ミリシーベルトと定められている。 厚生労働省は今回の事故に限り上限を250ミリシーベルトに引き上げている。 福島第一原発の復旧作業で100ミリシーベルト以上の被ばく作業員は、これで17人となった。 

この水が含む放射性物質は、1立方センチ当たり約390万ベクレル。通常の炉心にある水の1万倍という。核燃料の中にしかないはずのヨウ素131やセシウム137を高濃度で含んでいた。 東電も25日未明の会見で、「水に含まれた放射性物質は核燃料から漏れ出したと考えられる」と認めた。 東電によると、「2日前に調べたときは水がなかった」という。小林圭二・元京都大原子炉実験所講師(原子炉物理)も使用済み核燃料プール内の燃料溶融の影響が考えられるとして「あれだけ放水すれば、放射性物質を大量に含む水があふれ出るのは容易に想定できる」と話す。

∴下請け 作業員の悲哀

「なぜちゃんと安全を確認しない」「『死にに行け』と言うのと同じだ」。 作業員3人が被ばくした福島第一原発3号機の復旧工事。原発で働く下請け作業員からは東京電力の杜撰な安全管理を批判する一方、「上から言われればやむを得ない」とあきらめる悲哀も口にした。 震災当時、5号機の原子炉建屋近くにいた男性作業員(62)は「まさか事前の現場チェックをしていなかったなんて」と驚く。別の配管工事の男性(51)は「未曽有の事故で情報が混乱したため、注意が足らなかったのではないか」と推測する。 彼らは「原発ジプシー」と呼ばれ、定期検査ごとに全国各地の原発を渡り歩く。 その1人で、25年近く働いた男性(74)は「原子炉内のように放射線量が多いところでは、線量計を外して仕事をした。上に『できません』と言いたくないから」と話す。「危険な目には何度もあったけれど、怪我がばれたら仕事が回らなくなる」とも。

∴屋内退避から一転、自主避難へ-。

政府が福島第一原発の半径20~30キロ圏内の住民に自主避難を促したのを受け、福島県内の自治体は25日、急きょ戸別訪問や防災無線で避難を呼びかけた。屋内退避の患者のために区域内にとどまる医療関係者は、住民に判断を丸投げする政府に対し「責任逃れだ」と憤る。 「ふるさとを離れられない患者さんがいる以上、私も離れるわけにいかない」。福島第一原発から約25キロにある南相馬市の原町中央産婦人科医院。院長の高橋亨平さん(72)は25日も2人の妊娠を確認するなど、高血圧や糖尿病の患者ら50~60人の診察を続けた。 高橋さんは、職員の避難を促そうと、一旦は同県猪苗代町に避難したが、「医者としての人生を総括するのは今だ」と思い直し、22日から診察を再開した。患者から「先生、よく帰ってきてくれた」と握手を求められ、嬉しさが込み上げた。

25日、枝野幸男官房長官は記者会見で、巨大な自然災害などの場合に電力会社を免責(責任を問わない)する原子力損害賠償法(原賠法)の例外規定が福島第一原発の事故で東京電力に適用される可能性について「社会状況からありえない」と明言した。 国による補償は国と東電の契約上の上限の1200億円にとどめ、上限を上回る賠償責任は原則として「東電が負う」ことになる。

27日、2号機タービン建屋地下のたまり水の表面から、毎時1000ミリシーベルト超の極めて高い放射線量を測定した、と発表した。30分浴びるだけで体内のリンパ球が減少し、3時間以上で50%が死亡するとされる量で、事故後に測定した線量の中では最大。線量計が振り切れて測定を中断したため、さらに高い線量になる見込みだ。 一方、第一原発の放水口近くの海水から濃度限度の約1250倍の放射性ヨウ素131が検出された問題で、保安院は、同約1850倍の放射性ヨウ素131を26日にも検出したと発表。海で拡散されるため「健康への影響はない」としている。

∴御用学者が「ボケ」連発

29日、米エネルギー省のライヨンズ次官補代行(原子力担当)は、復旧支援策として原発内で作業できるロボットを日本に送る準備を進めていることを明らかにした。 4/17 フジテレビMr.サンデー2時間拡大特番より:宮根誠司:なんでこのような事態に、マンパワー・人海戦術でしかできないのか、我々素人は愕然とするんですが 文部省・原子力安全技術アドバイザー・中島健京都大学教授:10年前のJCO臨界事故のあと、ロボットの準備を色々とやってはいたが、その後なかなか続かなくて、運用できていなかった。海外から、米国仏国独国から持ってきて使われるようだ 宮根:いやしかし木村さんね、先進国日本が用意して無かったのか、バックアップのシステムが無かったのか、ホントビックリしたんですけど 木村太郎:ビックリしたのは外国なんですよ 日本だから、ロボット大国だから、と思っていたのが、「1台も原発事故用のロボットが無かった」 中島教授:造ってはあったが、運用できるようになっていなかった 宮根:福島にロボットはあるのか 中島教授:福島には無いが、ある場所にはちゃんと準備してあった・・・・・・・。  準備を色々とやってはいたが・・・運用できていなかった・・・海外から持ってきて・・・ある場所にはちゃんと準備してあった・・・。 これではまるで、漫才の「ボケ」だ。

∴政府と東電の 企み

東電は、学術会(東大)や各企業と癒着し、集票力もあるので政党も頭が上がらない巨大企業である。 現時点で、世論によって東電を徹底的に叩かせてスッキリさせ、「原発の保障は電気料金や税金で国民に負担させよう」というのが、こいつら東電と政府の企みである。  30日、東京電力は、清水正孝社長が体調を崩して入院したことを明らかにした。 清水社長に代わり、勝俣会長が復旧作業の指揮を執る。 勝俣はかつて「カミソリ勝俣」と異名を取り、切れ者で知られる。 ところが彼は、2007年の柏崎刈羽原発の不祥事により社長を辞任している。(週刊文春 4/14 P27) 「原発問題で辞任したはずの会長が、原発事故で復帰する」??? これではまさに、民衆を小馬鹿にした民主党の手口そのもの。日本人はもう呆けているので、こういうことも「見過ごす」ことになる。 結論:このような人災に至ったのは 福島の被災者も含め、呆けた我々日本人の「自業自得」である。



真如苑 東日本大震災 KARA最新情報 口蹄疫 都市伝説 sengoku38 GHQ 管直人 在日 斎藤佑樹 ルーピー 鳩山 蓮舫 仕分け 中国共産党 侵略 チベット 尖閣義士・sengoku38 ウイグル 民主党 口蹄疫 虐殺 尖閣諸島 テロ 管直人 AKB48 千葉景子 福島原発 人災 韓国 ぺ・ヨンジュン アグネス・チャン
人気ブログランキングへ ← 1クリック毎に、カルト組織や中国共産党に バズーカ砲弾が打ち込まれます。


にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村



最新の画像もっと見る

1 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2012-03-16 20:28:17
海江田ノート・一っ風呂浴びに帰宅していた班目春樹・原発事故との闘い
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32058

海江田万里・元経済産業相(63)。彼は事故直後から、原発を管轄する担当大臣として、誰が、どこで、何を語り、事態がどう推移したかについて克明に記録してきた。 今年に入って、原子力災害対策本部など政府の震災関連組織で議事録が作成されなかったことが明らかになり、政府の情報管理の杜撰さが厳しく批判されています。しかし、私はそこに参加していました。このメモの中には、公になっていない場面で誰がどんな発言をしたのかを記してあります。

話し合わなければならなかった議題は、1号機に注水している真水が切れた後、どうやって炉心を冷やせばいいのか、でした。 しかし、ふと見渡すと、班目委員長の姿がなかったのです。私は周囲に問い質しました。『班目委員長の姿が見えないようだが・・・・・・』。すると、こんな答えが返ってきたんです。『総理と現地視察をした後、(東京都)文京区内の自宅に帰ったようですが』。頭から血の気が引くような感覚に襲われました。

私は、『すぐに呼び戻してくれ! 着替えに帰るくらいならいいが、家でのんびりされでもしたら困る』と声を荒らげました。閣僚や事務方の役人で、事故発生後から自宅に帰った者などおらず、着の身着のまま、食事も満足に摂らずに事態収拾に当たっていました」 班目氏が首相官邸に姿を現したのは、約1時間後。髪やひげがさっぱりした様子から、一見して一っ風呂浴びてきたということが分かる格好で、悪びれもせず、官邸の応接室のソファにどっかり腰を下ろしたというのだ。しかし、班目氏が会議に戻って間もなく、事態は暗転する。3月12日午後3時36分、1号機で水素爆発と思われる爆発が起きたのだ。

「この水素爆発を予測できなかった班目氏は、自信を喪失したのでしょう。その直後、菅首相から『海水を入れて、再臨界しないと言い切れるのか』と質問された際、周囲に聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で、『しないとは言い切れません』と返答し、注水中断を指示する事態を招いてしまったのです」

人類は〝怪物〟への「反撃」を試みていく。この頃の原発を語る上で、東電トップに逆らい、独断で原子炉への海水注入を続けた福島第一原発の吉田昌郎前所長(57)の存在は極めて大きい。

「私の頭の中からは、周辺諸国への事前通知が抜け落ちていました。海洋への影響を正確に把握できるよう、モニタリングポストを増やすことは考えていたのですが・・・・・・。
返信する

post a comment