De cela

あれからいろいろ、昔のアルバムから新しい発見まで

交通事情と加藤大尉(父の日記帳から)

2009-08-23 14:22:10 | 自分史エピソード
連合軍が進駐してくるということからか、電車の切符は移動証明書がないと買えないなど、戦後の交通には大きな障害が出てきたようである。八王子から我が家まで20km近い道のりをリュックを背負って歩いてきた人がいる。
父はこんな事情の中、加藤大尉との再会を果たすことができる。加藤氏から乗車証明書が届いて、小田急、東海道を乗り継いで湯河原に行く。実はこれは、米軍に供出せよという命令で牛を厚木まで歩いて引いていかねばならない事情が出て、その足で厚木から小田急に乗っているのである。当時高峰村から厚木駅までは15kmの道のり。それを母と牛を曳いて6時間かけて歩いている。
せっかく加藤大尉と再会しても、疲れ切った体でかえって気を使わせている始末であったようだ。俳句の集まりもあまり集中できていなかった風だ。それまでの疲れた体を、療養できると温泉につかっていたらますます体がなまってしまった。
湯河原に出発する前は、飛行機の解体に駆り出されて、なぜ今解体する必要があるのかともっともな疑問を日記にぶっつけている。まだ進駐軍の指示ではなく日本軍の命令である。飛行機のガソリンをドラム缶で近くのに配り、地中に埋めさせるなど、相当混乱していた様子がわかる。

写真は終戦の近い頃の写真と思われる。父の教え子か何かの人が厚木で写真館を開き、1年に一遍は必ず我が家にきて記念撮影をしていった。家族全員で写っている写真はこれ一枚しか見当たらない。

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