De cela

あれからいろいろ、昔のアルバムから新しい発見まで

終戦 剣道の行方 (父の日記帳から)

2009-08-26 23:54:02 | 自分史エピソード
剣道講師
 県内では、旧県立厚木中学(現在の厚木高校)や相原農産(現在の相原高校)で剣道の講師をしているが9月から授業が始まり、時々出勤する。厚木行きのバスは中津までしか来ない。そこまで歩いて行っても、今日は運休等と云う状況。その時は厚木まで歩くことになる。

 厚木中学での剣道の授業。剣道も禁止されて道具や竹刀も取り上げられるかもしれないがそんなものは無くとも立派に剣道の精神は鍛えられるという話をしている。ラジオや新聞で刀剣は武器とみなすと言っている。剣道はこれから棒きれでやるという。

 現実に父は、剣道の時間に「打ち込み」はやっていない。教室に生徒を集めて俳句の話ばかりをしている。職業は剣道家だが俳句はその鍛錬の上に身に付いたものと自負している。剣道と俳句を結び付けようと腐心している様子がわかる。
その後、学校での剣道の授業は禁止される。それに伴って父の学校講師の仕事はなくなる。厚木中学の剣道の道具はすべて我が家に預けられる。進駐軍が来て没収されるのを防いだものだろう。その大量の胴や面、道着が私が厚木高校に入学するころ(昭和30年)まで我が家においてあった。返却の要請が来なかった。実は剣道が解禁になったころは学校は真新しい道具をそろえたり、個人がもつようになったために回収する要が無くなったのだろう。無理に引き取らせたような感じだった。

写真はこのころの厚木中学のものと思われる。この景色は私が通い始めたころの厚木高校の通用門の近くの景色そのものであるから。


  

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