HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

統一への思い

2018-02-23 06:18:05 | 新しい希望に向けて!

かつてよく歌った「統一の歌」

最近とんと聞かなくなったような気がする。南北統一の動きの激しかった、1990年代、北でもこの歌を歌っていた。指導者を賛美し、国民を鼓舞する歌の多い北の人たちもこの「統一の歌」には統一に向けての熱い思いを感じたのだろう・・・しかし、今では脱北者の「自由の歌」として歌われていると、最近のネット記事で目にした。

 

先日、ある二世の青年と話をしていたら、最近の統一家の分裂にかんして、「自分は何とかわかれてしまった三派を一つにしていく働きをしたい」との思いを聞かせてもらった。

本来「統一」を標榜してきた統一家(家庭連合)が分裂していてはお話にならない。これでは神のみ旨どころではない。

「別れ争う国また家は立たず!」と福音書にもある。

だのに、韓半島の南北は相変わらず分断したままであるし、統一家も分裂状態が続いている。

 

日本の国にも南北朝時代があった。明治維新の時代にはやはり討幕と佐幕の二派に分かれて戦った。

韓半島の歴史でも古代には三韓三国の間で争った。古代の三国は最後に新羅が唐と結んで高句麗と百済を滅ぼす形で統一したが、結果は唐の属国のような立場が待ち構えていた。  もしやこの時、高句麗、百済、新羅の三国が固く同盟していて倭国とも提携していたら唐やその後の中華の王朝の侵入を食い止めて、かつて高句麗が支配していた満州も含めて強大な国家として韓民族の国家が続いていた可能性は大きい。

お父様もこの時の新羅のとった統一策には否定的な発言をしておられたのをおぼえている。

ともかく同じ家の中、同じ国の中で争っていてはその家もその国も成り立たない。家は破綻し、国は滅びるのが目に見えている。

主義主張は様々あるだろう。全く反対の意見や見解も家の中でも国の中でも、同じ同族でもあるはず。それでも同じ血を分けた兄弟の意識が根底にあって、最後は和解して一つになればそこからその家や、民族は発展して行く。

イスラエル民族は、ヤコブが故郷のカナンのエソウを訪ねて和解したところから始まった。この、エソウとヤコブの和解無くしてはイスラエルの歴史は無かった。但し、エソウとヤコブの両家がその後も手を取り合って共に生きて行っていたらイスラエルの歴史はもっと強大なものになって行っていたに違いない。さらにはイサクとイシマエルの家庭が一つなっていたらいまのイスラエルとアラブの争いも無かったはずである。

 

お父様は韓国と日本の交叉祝福をされながら、韓日は一つだ「韓日國」と言う表現もされていた。

韓国と日本が本当の意味で一つになっていたら、両国ともに東アジアでさらには世界的にリーダーシップをとることが出来る立場になって行っていたはずである。それが、反日ー謙韓の空気で、その分いまだ共産党独裁を続け、世界に覇権主義を輸出している中国の横暴をゆるす結果となっている。

 

統一(一つになること)を阻害する要因は様々にある。しかしその要因を突き止めそれを克服したところに、共存共栄の道が待っている。

意見を交換することは重要である。しかし、暴力的強硬な力で相手を阻害するものは排除して行かなければならないだろう。やはり深い情愛をいかに育てるかにかかっている。恨みや憎しみを増長するのではなく、愛と許しと寛容の心が大切である。それとともに豊かさも必要である。人々はともに満ち足りた生活ができる時に平安を感じることが出来るものでもあるからだ!