天照の独り言

つれづれに思った事を書き綴るブログへと変更(2019年1月1日より)
以前は「某宗教団体の欺瞞を世に知らしめるブログ」

芸能界の暴力団除去だけの問題でいいのか

2011-08-26 06:21:45 | Weblog
思い返してみたらすっかり失念していました。
前回の日記で「島田紳助氏」のことを書きましたが、彼は芸能人ですが芸能人ということで大変まずいと感じ引退を宣言した。

ところがこれが「いち宗派の教祖」が暴力団や右翼と関係があった、となればやはり紳助さんと同じく道義を問われるのではないか?と思ったのです。

失念していたのは毎度批判活動をしていて自分が麻痺していた(慣れてきた)のと、別個に考えていた脳があったためです。
でもよく考えてみれば芸能人も宗教人も人前に出てきて影響を及ぼす立場の人です。
尚かつ宗教人は人に教えを説くという立場の人ですから、紳助さんよりも道義を問われる度合いが大きく強くなるのではないでしょうか。

そうなると「こういうヤバイ教祖ってどうよ」となりませんか?
そういう教祖が居る教団ってどうなのか?と感じませんか?

そこに気が付いたのです。

今は教祖はヨレヨレですし以前ほど表立って暴力関係者との交際はみえないにしても過去にそういう交際の事項があったとされた報告があるので調べれば出てきますよ。

そういうわけで今巷は紳助さんの話題に集中していますが、まだまだ表に出ないだけで
どこかそういう暴力関係とかのしがらみがある人はいると思います。

A宗がそういう話題の的になると、とってもいいんですがw
などと思ったりしている自分でした。

今朝のMixiをみて

2011-08-24 06:29:07 | Weblog
何気なく今朝のMixiのニュースを見て驚き。

あの「島田紳助氏」が引退とあるので、何だろうと見たら暴力団関係者とのメールのやり取りが有ってそれの引責での引退、とありました。

心中複雑ですね。私的にはもっと深く関わっていてよく聞く「抜き差しならないほどの関係」だったら分からなくもない。だが、浅い付き合いのようなら「多少はいいんじゃね?」と思うんですが、氏は芸能人で超有名人ですからねえ・・・。

以前も色々な問題で自粛とかありましたが、これでENDですか。
しかも急なのでなんだか突然バケツで水を掛けられたような感じですね。

島田さんは個人的には好きか嫌いか?といえば好きなほうではないですね。
ただ、世間的に需要があるのと面白い面があるんで「いいんじゃない」と見ていた人です。ですが、この今回のいきなりはさすがに個人的に好きと言う感情が無い自分でも「いきなりすぎるなあ」とは感じましたね。

でも何らかのケジメはつけないといけないんでしょうけど、大きすぎる責任ですね。

これからプロデュースなどの仕事でやってゆくとかするんだろうかなあ・・・。
とにかく今のままの継続はできないでしょうね。

まずはご自身で責任取るための引退をしました。
後はゆっくり考えて何かいい案で生活をされるといいでしょうね。

そんな風に思った自分でした。

人の命

2011-08-05 05:23:16 | Weblog
昨日サッカーの選手である松田直樹さんの訃報が流れましたが、本当に惜しい人材でしたね。
松田直樹さんのご冥福をお祈りいたします。

この松田直樹さんの事で思い出すのはジャイアンツの木村拓也さんです。
木村さんもグランドで倒れお亡くなりになりました。
自分の中では違うスポーツ(サッカーと野球、という意味)ですが、状況が似ている・近い
のでなんだか思い出したりしていました。

私のような不摂生&一般人から見れば、スポーツ選手は日々身体を鍛えトレーニングしている
のでなんだか急に運動などをすれば私の方が倒れてしまいそうな気がしますが、このお二人
のようにスポーツ選手で身体を鍛えていた、といえどもやはり寿命には敵わない、というのを
感じてしまいます。

特に宗教的なもので読み聞かせるようなこういう文言があります。(蓮如上人の言葉だそうです)
「朝に紅顔ありて夕べに白骨となれる身なり」
その言葉のように、いつ自分がそうなるかもしれない。また命はつい無限にあって長く保てる、と
思ってしまいます。明日は黙っても自動的にやってくる、という気持ちになっているわけです。

災害などもそうです。3月の震災のときもそうでした。
ついさっきまでなんでもなかったのが、数分後には大変な事になっていました。
そして愛する人を失った方がたくさん出ました。

人の命や将来というのは本当に分からない。つくづくそう思います。
なので釈尊は「今日を大事に生きなさい」といわれたそうです。
毎日毎日を大事に生きる。これすらさえも精一杯な自分ですが、それが肝心なようです。

A宗では先祖の霊障やら己の持つ悪因縁。また家系にあるといわれる様々な悪因縁をあるという
概念を植え付け不安にさせて、それを取り除けるのがA宗だ、としています。
こういうようなデタラメなことを言って信仰をさせるのが目的です。
信仰をさせて信者から様々なものを搾取するのが目的だからです。

本当の仏教はそのようなことを言いませんしやりません。
むしろ釈尊は人間的で実際的なことを言っています。それが先ほど言った「今日を大事に生きなさい」
なのです。脅迫概念など微塵も言わないのです。

人の命や人生は本当に分からない。例えで葉っぱについた「露のしずく」が命である、ということを
言っているほどです。たらっと葉っぱから滑り落ちるかのように儚くて脆い、ということです。

ならばその儚い人生を大切に生きる。それしか方法は無いわけです。それが釈尊の教えです。

私たちは幸い生きています。いつ何時亡くなるか分からない。
日々を大切に生きて悔いの無い人生を送れるようにしたいものです。

私のジレンマ

2011-08-01 05:18:37 | Weblog

先日私の弟の三回忌で実家に行ってきました。
本当は行きたくなかったし参加したくなかったのですが、親が乞うので参加しました。
(去年は無理やり避けたのですが、さすがに連続は何なので)

なぜそうなのか?とこのブログをいきなり見た、または過去ログを見てない方のために
概略で説明しますと私は過去にA宗という宗教団体に居りました。
そこでは「本当の仏教団体」だとのたまうので信用して20数年信仰をしていました。
ところが今から約4年前に2chの掲示板でA宗批判スレをみてそこに参入。
ある程度の論をし、考察しました。そしてA宗の欺瞞を知り退会したわけです。

A宗というのは嘘とインチキとデタラメで固められた「偽仏教」だったのです。
そしてそれを知ると同時に日本にある「在来仏教」の欠陥も把握認知したというわけです。
つまりA宗が偽仏教なのは勿論ですが、ではA宗以外の日本にある「本当の仏教」というのを
しらべたらこれが無いんですね。

私の家の宗派は「浄土真宗」です。ここでは本尊は「阿弥陀如来」です。
ですが、阿弥陀如来というのは存在しません。またお釈迦様も阿弥陀様の存在を説いてません。
なのに「阿弥陀如来を本尊に祀り先祖供養を謳う」のが浄土真宗(浄土宗も同じ)です。

もっと分かり易く言うと、お坊さんがやってきて仏壇でお経を唱えますが、それで先祖が
成仏するわけでもなく喜ぶわけでもない。生きている人間が先祖を供養していただいている、
という植えつけられた観念の元に行ってもらっている行為なのです。
ぶっちゃけて言えば「何の意味も無い行為」にお金を払ってやってもらっているのです。
だから私はそれに「参加したくなかった」のです。

葬式もそうです。あれをやったから死者が成仏するのではないし浄土に行けるのではない。
死んだ方を懇ろに葬りたいという生きている人間の観念と間違った観念を教えた(作った)
人の意図が仏教に混ざりこんでそれが主流になっている、ということなのです。

私個人はそれが分かっているので親が生きているうちはある程度従うことをしなければ家族
不和になりますから時々避けるぐらいしか出来ませんが、親が亡き後は今の世間にある仏教
の示唆は行いません。無駄だからです。

墓は必要なのでそのまま継続しますが、仏壇は廃棄します。抜魂して廃棄です。
回忌も不要です。

自分としては釈尊が説かない風習をなぞるのが嫌で仕方ないですね。
先祖供養を謳って我らから金銭や供物を頂いている行為に他ならない。
ことA宗に関して言えば、普段の供養から始まり様々なものを要求します。
決して強制ではないですが観念を与えますからやはり従おうとなってしまう。

これに対し本当の仏教や釈尊の言葉を学べば別段振り回されることは無い。
自分はそのようになりましたね。

親が払う・行う事項だからそれは勝手ですが自分に於いてはやりません。
そういうジレンマと数年戦うのか、と思えばなんだか・・・ですね。
これもある程度仕方ない、という感じで行くしかないのでしょうね。

そんな自分の8月初日の日記でした。