好きなことにぞっこん

花に癒され、永井龍雲の歌声に癒されています

医者の大ごと、大工の小ごと

2016-09-29 17:04:00 | 日記

 明治生まれの祖母が言っていた言葉です。

 お医者さんはことさら病状を大そうに言って、薬や今なら点滴を処方するが、それ程でもなかったり、大工さんにリフォームで見てもらった場合、ああここちょっとだけね、と言ったのでお願いしたら、ついでにあっちもね、こっちもちょっとね、と拡大していって、結局高くつく、というのです。

 素人には分からない目に見えないことを、ご自分たちの都合で丸め込むことが今も昔もまかり通っているんですよ。

 東京五輪のはじめの新国立競技場の選択のやり直しにしても、施設整備費が当初の計画費用の何倍にもなるということも、費用の水増しとしか思えない。

 予算設定の甘さを言うけれど、3倍5倍7倍なんて数字、アンビリーバブル!!請負というものは当初の契約で決まるのが普通なんじゃないですか。止むに止まれない状況変化で変更するにしても、数倍になるものか!どうせ税金から出るんだから、この際しこたま儲けてやろうと思ってるんじゃないのか、とゲスの勘繰りを入れたくなる。<`ヘ´>

 払う方ももらう方もどうせ税金だもの・・

 安倍さんは外交であっちこっちの国に大盤振る舞いで援助金出す約束してきたし、この国の先行き、心配です。

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熱心です

2016-09-28 17:39:05 | 日記

 最近はボランティアオーケストラに執心です。基本月1回の集まりですが、秋から年末にかけて演奏依頼が何件もあります。何かと出かけることになり、月に4回は下らないでしょう。

 楽しみなんですよね、こんな私達に演奏依頼が引きも切らず来るなんて、嬉しいな。とは言っても音大の器楽課を出た人もいますが、ほとんどが好きでウン十年も続けている素人です。好きで合奏するために集まっているだけでも楽しいのに、拙い演奏を聞いて喜んでくれたり唱和したり、涙する人もいるなんて、こちらこそ有り難いことです。

 いくつになっても違う世界の人と接するのは刺激になるものです。

 指揮者がいる時は指揮者の言うことに従うのは当然ですが、自主練の時、たま~にできる人同士がぶつかることがあります。どちらの言う事が正答かなあ、いやーそれは感性の違いだから、正答はなjでしょう、がどちらかに纏めないと合奏できないしねぇ、どんなもんじゃろの~。当人同士、しばらく言い合った後、いい大人同士、片方が引く形に収まります。主張できるものを持っている人だからこそですね。

 でもそんな意見の応酬を見ているのも、正直刺激的です(ごめんなさい、他人事で)。

 今日も慰問に行ってきました。このお天気に?だってずっと前からの約束だし。

 好きで演奏させてもらってるんだから・・

 

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星野道夫さんの写真展

2016-09-27 15:32:33 | 日記

昨日、なんば高島屋で開催中の星野道夫さんの没後20年の写真展に行きました。

わざわざそのためだけに出かけるのはもったいない精神で、ついでに行こう行こうと、ずるずる最終日になってしまいました。用件が二つあって、どちらが本命でも二番手でもなく、カップリングの意味でのついでのつもりでしたが、二兎追う者~で、ついに最終日になってしまい、やっぱり単体でも行こう、と行ってきました。

生前からテレビでの話題でお見受けしておりましたので、亡くなられたニュースには驚いたものです。

有言実行、行動的な方でしたね。大判の写真パネルに引き込まれて見ているうちに、行ったこともないアラスカの空気を感じたような気になりました。北極圏の自然の生物を被写体に収めるのにどれほど辛抱強く待たなければならなかったか。生物のありのままの姿を留めるために、彼は本当に命を懸けていたんですね。

人間の手の施しようのない大自然に包まれている現実を、今更ながらに思い起こされてきます。こんなでっかい地球相手に人間は何ができる?

いえいえ、地球上の自然発生的(進化論に基づいて?)に生息してきた人間が、大自然相手に人間の都合で徐々ではあるが形を変えつつあることは、昨今の異常気象で感じている。気付いている。

あの北の大地は、50年後、100年後も姿を変えないでいてくれるだろうか。  

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人の記憶

2016-09-26 11:19:09 | 日記

自分がどういう性格か、人にどういう風に見られているか、そのことを異常に気にするかしないか、その自覚があるかないか。

長年生きてきて感じることは、有名人はともかく、人はそれほど他人の一挙手一投足をつぶさに見ているわけではないし、もし目撃していてもその場限りで、長く記憶にとどめていないと言う事です。

異常に恥しかりがり屋さんの人がいます。おそらく人の見る目におののいているからかでしょうか。誰もあなたの事、そんなに見てないわよ。

とは言っても恥のかき捨てはいけません。反対に感動や感激を与えるくらいのワンポイントの善幸をしたのなら、長く記憶にとどめておいてもらえるかもしれません。

おそらく難儀なのは悪いことの記憶でしょうね。昂じてトラウマとなり長年苦しめられていることは誰しも少なからずあるでしょう。けれどもそこは今まで体得した防御技術として、開き直ること。終わったことを考えても仕方のない事を考えるだけのことは止めておきましょう。

改善策を取れるのなら行動すること。どう考えても行動できないようなら諦めること。思い出さないようにする事。

SFに出てくる脳内のトラウマを消す技術が現実にできるかも知れません。また新たな記憶に書き換える技術も真剣に取り組んでいる研究者もおられるようですが。

 

それにしても時々言われるんですよね、同窓会で。あなたあのとき、こんなこと言ったよね。

ウッソー、記憶にございません。

 

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少し気温が下がりましたね

2016-09-19 16:18:01 | 日記

 とは言っても台風がよどんだ日本列島の熱気団を吹き飛ばしたことで、吹き飛ばす風力や太平洋上の雨雲を従えての迷惑の方が、気温が少し下がったことと比べて、迷惑さにおいては割に合わない。

 わずかな庭の叢で虫が鳴いています。秋の気配は感じるものの昔から慣れ親しんだコオロギの声ではなくやたらめったらうるさいのです。声(羽音)が大きいのです。それに気付いてからもう10年以上になるでしょうか、どうやら帰化生物のアオマツムシの鳴き声のようです。

 その実、コオロギとキリギリスくらいしかなき声の識別はできていませんでしたが、あまりに大きくうるさくて気になったので調べたのです。それがアオマツムシらしいことを突き止めたのです。

 以来、この庭に卵を残しているのでしょうね、必ずこの時期になると夕刻からに一晩中鳴くのです。正味うるさい。秋の風情もぶち壊しだ。

 そうはいっても生きとし生ける虫けらも否定できない。うるさいけどしんぶするしかないか。そうだ、鈴虫の鳴き声も知ってたわ。20年くらい前の、その頃は鈴虫の養殖が流行ってなかったように思うけど、鈴虫をいらん?と聞かれて、んなまあと虫籠ごと一式もらって一夏飼ったことがあったよなあ。

 十数匹いたでしょう夏の夜に近所にも聞こえるくらい賑やかに鳴いて、確かに涼やかにしてくれました。エサはキュウリやナスを楊枝に突き刺して親子ともども楽しんだものです。しか~し、気温が下がって来るとそろそろ冬支度するのでしょう。 

 湿った黒い土の上で羽を持ち上げて一生懸命鳴く愛らしい鈴虫の姿が一匹一匹と消えてゆくのです。天寿を全うしたならそれはそれで自然で、亡骸の一つも土の上に転がっていそうなものを、羽の脚の一遍たりともどう土をひっくり返しても見つけられないのです。私の家族は彼らの生態を調べて飼うほど熱心な愛鈴虫家ではありませんでしたから、見つけられなかったかもしれませんが。

 やがてすべて姿を消しました。不気味でした。

 

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新学期が始まっています

2016-09-09 10:34:57 | 日記

 小、中、高、大学と長い夏休みが終わって、9月、しばらく会わなかった級友と顔を合わすのが少し恥ずかしかった感覚がありました。久しぶりに会う友達の生活が、家庭中心だったことで距離を感じてしまっていたのでしょう。けれどもまた学校が始まるというのは新たな気持ちになって嬉しかったものです。 

 今、学校が始まってほしくない子供がいるという。イジメられているから、またあの忌まわしい学校生活が始まるかと思えば耐えられなくて、とうとう逃避することを選んでしまうという。

 私の通っていた学校ではそういう事があったのかしら。私はそういう情報に鈍感でしたが、おそらく集団でイジメることはなかったと思います。対タイで好き嫌いはあったでしょうが、追い詰めるほどではなかったと思っています。

 田舎の一学年120人弱くらいの小学校で、転校生が珍しく、転校生をイジメるどころかむしろ、休み時間にはその転校生を取り囲んでちやほやしたくらいです。私は転校生が羨ましくて、家でお引っ越ししたい、とよく言ったものでした。そしたら祖母が、家どうするの、というので、家なんか放っていったらいいのに、なんて思ったものでした。小学校2~3年生くらいまでのことでしょうか。

 ただ今でも思い出すとかわいそうだったなと思う子がいました。今では考えられないようなお話ですが、担任が毎日、宿題をしてこない、とある子をイジメるのです。教室を出ていけと力ずくで教室から引っ張り出そうとするのです。その子は机の脚にしがみ付いて泣くのです。それが毎日です。

 小学3年生の私たちはなすすべもわからず、ただ見ているだけでした。あれだけ怒られてるのになぜ、次の日にも宿題をしてこないのだろうと不思議に思ったものでした。

 今考えれば宿題をする能力がついていなかったのでしょうね。それをフォローするのが初等教育を担う小学校教諭の仕事ではなかったのではないでしょうか。それを毎日毎日、もう見るのが嫌なくらい、授業はじめの行事のようにいじめるのです。

 その子が不登校になったかどうか覚えていませんが、毎日教室の隅っこの椅子に腰かけていたようにも思います。同窓会で見かけたことはありません。

 時代はすすんで、今は教師も親も意識が変わってきてはいますが、家庭の事情も複雑で、劣悪なケースもあるようです。小学校教諭をしている知人の話では、子どもを探して駆け回ることも少なくないようです。少し前になりますが、携帯電話料金の負担をぼやぐ人もいましたよ。

 あまりに複雑になった社会。

 二度とこんな悲しい事がないようにと、会見している姿を何度見たことか。

 

 

 

 

 

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横殴りの雨の中を仕事に出かけた

2016-09-08 09:14:05 | 日記

 日本列島に相次ぐ台風襲来でも、大阪南部には影響が少なかった。けれども13号はすざましい雷雨をもたらしている。自転車で仕事に出かける子供に30分くらい遅れていけばと提案しても、そんなわけにいかない、と玄関を開けるや否や降り込む雨の中、傘一つで出かけて行った。

 高台のこの地方で水害の危険性はないものの、この殴りつけるような雨では、会社に着いた時には頭や顔以外、ずぶぬれになっていることに間違いないはず。

 テレビに、こんな風雨にまで出かける用事があるの、と思うような映像が映し出されることがありますが、まさにその映像を地で行く子供に、とても賛辞を送るわけにはいきません。

 かつて雨が降ったら休む、という数学教師がいましたが、そんな無気力は人間は横に置いといて、危機感を感じるほどの気象なら、遅れてもいいという選択も許されてもいいのではないでしょうか。でもそれも後になってから悟ること。渦中にいるときは判断できないもの。無理からぬことなんでしょうね。

 何が何でも出かけなければならないような用事に追い立てられる生活から切り離されて久しいなあ。懐かしくもあり、ちょっと言ってみたいな・・”私、今日とっても忙しいんです。午前中。お昼、午後と違う人に会う約束があるんです”

 

 

 

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