好きなことにぞっこん

花に癒され、永井龍雲の歌声に癒されています

新学期が始まっています

2016-09-09 10:34:57 | 日記

 小、中、高、大学と長い夏休みが終わって、9月、しばらく会わなかった級友と顔を合わすのが少し恥ずかしかった感覚がありました。久しぶりに会う友達の生活が、家庭中心だったことで距離を感じてしまっていたのでしょう。けれどもまた学校が始まるというのは新たな気持ちになって嬉しかったものです。 

 今、学校が始まってほしくない子供がいるという。イジメられているから、またあの忌まわしい学校生活が始まるかと思えば耐えられなくて、とうとう逃避することを選んでしまうという。

 私の通っていた学校ではそういう事があったのかしら。私はそういう情報に鈍感でしたが、おそらく集団でイジメることはなかったと思います。対タイで好き嫌いはあったでしょうが、追い詰めるほどではなかったと思っています。

 田舎の一学年120人弱くらいの小学校で、転校生が珍しく、転校生をイジメるどころかむしろ、休み時間にはその転校生を取り囲んでちやほやしたくらいです。私は転校生が羨ましくて、家でお引っ越ししたい、とよく言ったものでした。そしたら祖母が、家どうするの、というので、家なんか放っていったらいいのに、なんて思ったものでした。小学校2~3年生くらいまでのことでしょうか。

 ただ今でも思い出すとかわいそうだったなと思う子がいました。今では考えられないようなお話ですが、担任が毎日、宿題をしてこない、とある子をイジメるのです。教室を出ていけと力ずくで教室から引っ張り出そうとするのです。その子は机の脚にしがみ付いて泣くのです。それが毎日です。

 小学3年生の私たちはなすすべもわからず、ただ見ているだけでした。あれだけ怒られてるのになぜ、次の日にも宿題をしてこないのだろうと不思議に思ったものでした。

 今考えれば宿題をする能力がついていなかったのでしょうね。それをフォローするのが初等教育を担う小学校教諭の仕事ではなかったのではないでしょうか。それを毎日毎日、もう見るのが嫌なくらい、授業はじめの行事のようにいじめるのです。

 その子が不登校になったかどうか覚えていませんが、毎日教室の隅っこの椅子に腰かけていたようにも思います。同窓会で見かけたことはありません。

 時代はすすんで、今は教師も親も意識が変わってきてはいますが、家庭の事情も複雑で、劣悪なケースもあるようです。小学校教諭をしている知人の話では、子どもを探して駆け回ることも少なくないようです。少し前になりますが、携帯電話料金の負担をぼやぐ人もいましたよ。

 あまりに複雑になった社会。

 二度とこんな悲しい事がないようにと、会見している姿を何度見たことか。

 

 

 

 

 

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