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【霊告月記】第五十四回 輝く" 夜明けのスキャット "から煌めく" Agape "へ

2020年05月01日 10時00分00秒 | 霊告月記51~55

【霊告月記】第五十四回   輝く" 夜明けのスキャット "から煌めく" Agape "へ

              ヴァイオリニスト    Ayasa

解題:私のブログは動画とエッセイの組み合わせから成っているのが特徴です。北一輝をテーマの記事に由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」を添付した際の韃靼人さんとの対話を掲載します。これは<詩と革命>を主題とする対話でした。輝く"夜明けのスキャット"から煌めく"Agape"へ。当ブログは、この二曲の掲載とその批評によって、あるひとつの至高点に限りなく近づいたと自負しております。ダンボールの部屋:管理人

輝く"夜明けのスキャット" Scat in The Dark    由紀さおり

 

夜明けのスキャット (播磨國住人 韃靼人)  2014-05-12 01:19:03

由紀さおりの「夜明けのスキャット」は1969年に流行しましたが、夜中にそれを聞きながら、つまり人々が寝静まった非日常的な時間帯にそれを聞きながら、「革命の時代は終わるのだ」という予感がしました。

それより数年前(1964年ごろ)に大学の同級生達に「社会主義国で革命が起こって社会主義国は崩壊する」と私は宣言していましたので、その予感は当然のことでした。甘美な歌だと思いました。

それから2年後、実相寺昭雄が日本ロマン派批判を行ないました。

その映画は面白いけど失敗作だと思ったのですが、朝日新聞に掲載された実相寺昭雄の原稿を読んで、「時計は止まるの」を批判しているのだと感じました。

そして今でも実相寺昭雄のロマン派批判が私の頭の中にあります。

私が批判されていると感じています。

この曲と共に。

今回、ダンボールさんのブログを読んで、私はさっぱり内容を理解できないのですが、この曲が提示されていることについて何か非常に不吉なものを感じます。

           播磨國住人 韃靼人

 

夏の日のランボー (ダンボール) 2014-05-12 05:07:21

播磨國住人 韃靼人様

私の未熟な未熟な文章に、素晴らしいコメントを付けてくださり、本当にありがとうございます。期待していた、むしろ切望してたと言ってもいいほどのコメントが登場したという感想を、私はいま抱いています。

といいますのも、このダンスポは、あるいは政治小説、ネット選挙を素材に採ったメタフィクション、または動画付き連続テレビ小説、。なんとでも言えますが、しかし全編一曲以上の音楽を付けている以上、ディスク・ジョッキー小説という言い方もかなり本質的な意味で言えるからです。

音楽は生の全体性に関わる体験として享受されることがあります。韃靼人様はご自身の生の全体性に関わる体験として、「夜明けのスキャット」を論じて下さいました。私が切望していたのは、要するにそういうことでした。それに韃靼人様は応えて頂けたのです。

あるひとつの曲が、ある時代の記憶を蘇えさせることがあります。韃靼人様は、この「夜明けのスキャット」を革命の終焉のメロディとしてお聴きになっているようです。

それには勿論然るべき時代的根拠があります。その時代を生きた韃靼人様の生の体験が、この曲によって蘇る。そのような内実を持ったエッセーをコメントとして頂いたと私は受け取りました。だからこそ感謝に耐えないのです。

いま私が韃靼人様へのレスポンスを書いている時刻は、手元の時計を見ますと、午前4時45分です。外はすっかり明るみました。夏の夜明けがやってきました。

さて、私が、「夜明けのスキャット」という曲を聴いて、まず想起するのは、アルチュール・ランボーの「夏の夜明け」という詩です。ランボー16才の時に書かれた詩です。

「夏の夜明け」のモチーフは、ランボーの代表作『地獄の一季節』の中でも再現しております。それが有名なこの一節↓です。

 ところで、まだ前夜だ。生気と真の愛情の流れ入るのをくまなく受入れよう。夜明けに、おれたちは、焼けつくような忍耐で武装して輝く町へ入っていこう。(アルチュール・ランボー『地獄の一季節』高橋彦明訳)

夜明けの時刻とは、夢と現実の境であり、肉体と精神が、そのもっとも強力な潜勢力を自覚する時間帯です。しかも夏である。初夏、美しい五月の夜明け。その時間帯に流れる「夜明けのスキャット」。

このような意味を担って鳴り響く曲が、私にとってどうして「不吉なもの」であったり致しましょう。

この曲が孕む情調は、私にとっては記事の中で紹介した文言通りなのです。すなわち、

ーー期待に満ちて過ごす今日というこの日にふさわしい曲は、これ(=「夜明けのスキャット)しかありません。

言葉足らずで意を尽くせませんが、いったんこれでレスポンスは終わりとさせて頂きます。最後までお読みいただき、ありがとうございました



Unknown (播磨國住人 韃靼人) 2014-05-12 23:28:03


ランボーからきているとは思いもしませんでした。

何か、これで安心して「夜明けのスキャット」が聞けるような気がしました。

ありがとうございました。

 

         播磨國住人 韃靼人

 

究極の詩人アルチュール・ランボー (ダンボール)  2014-05-13 09:43:10

こちらこそ、どうもありがとうございました。

そうですね。私の場合、ランボーなんですね。「夜明けのスキャット」が呼び出す幻影の正体は。私はもう何年も前のことですが、「究極の詩人 アルチュール・ランボー」という拙い評論を書いたこともあります。

下の括弧の中に、そのエッセーのURLを貼り付けておきますので、お暇な時に開いてみて下さい。( ☛ 究極の詩人アルチュール・ランボー  )

私が韃靼人様の「夜明けのスキャット」評を読んで感じましたのは、いい曲というのは、それを聴く人にとって、たとえ一時的にせよ全身全霊を預けられるような大きな器であるということです。

そして全身全霊を預けるその人は思想・心情が異なっているため、時にはその同じ曲がまったく正反対の解釈を受け入れて動じないような不思議な器となることがある。この不思議さ!

韃靼人様にとって革命の終焉のメロディであるその同じ曲が、私などにとては夢見る力を失わないまま覚醒すべきことを教える真の革命待望の序曲であったのです。私にとっては、いまもそういう曲です。

こういういろんな人の矛盾した視点を同時に受け入れて平気な「夜明けのスキャット」は、なんという名曲なんだろうという思いが致します。

これからも聴かれ続ける永遠の名曲でしょうね。「夜明けのスキャット」は。

韃靼人様。ありがとうございました。これからも私がチョイスした曲に関して感想を頂けることを期待し、お待ち致しております。

     輝く" 夜明けのスキャット "から煌めく" Agape "へ 

               



】 霊告 【 ポストコロナ禍の世界に天啓のごとく煌めく曲は〝Agape〟



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