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【霊告月記】第六十回 この国の女たちはいったいどうなってるんだ?!

2020年11月01日 10時00分00秒 | 霊告月記56~60

【霊告月記】第六十回 この国の女たちはいったいどうなってるんだ?!

         
    レディ・ムラサキ       シェイクスピア

】 霊告 【 To be, or not to be(跳ぶべきか、跳ばざるべきか), that is the question(それがモンダイだ)。  by  シェイクスピア(翻訳・ アンゴラ隊長 )


凄すぎる! 面白すぎる! 
この国の女たちはいったいどうなってるんだ?! 

思うにこの事態は、昭和20年の8月以来この国がずっと戦争をしていない、戦争をやめたことが背景にある。根本原因はそこにあった。

徳川三百年の平和はペリー来航によって破綻した。黒船に積み込まれた大砲がドンと一発威嚇の音を立てて以来、ニッポンは戦争が出来る国に向かってまっしぐらに突き進んだ。明治維新以来この国は戦争ばかり一所懸命やってきた。男性原理の支配する時代が続いた。戦争=男性原理が支配する時代はヒロシマ・ナガサキに原爆が投下されてようやく終息したのである。

ニッポンは生まれ変わった。男たちは挫折したけれど女たちは希望を失わなかった。以来75年の歳月が流れた。ニッポンには平和=女性原理が支配する時代が続いている。平和が続けば女にも活躍の舞台が提供される。だからね、こんなに面白い人、たとえばアンゴラ隊長や、こんなに凄い人、たとえばシイナ・リンゴなんかが現われたんではないでしょうか。

ぼくはそう思います。まるっ。   1ねん1くみ かわばた ひでお
   
】 霊告 【 あらっ?  六条御息所の生霊が舞い踊っているのかと思ったわ。 お美しい!   by  レディ・ムラサキ


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【霊告月記】第五十九回 大魔王観音北一輝

2020年10月01日 10時00分00秒 | 霊告月記56~60

【霊告月記】第五十九回 大魔王観音北一輝  

                
   宋教仁       北一輝       子安宣邦著書   宮嶋繁明著書

】 天使の霊告 【 さあさ、みんな寄っといで。ダンボールさんのお話が始まるよ。
お題は〝大魔王観音北一輝〟だよ。おもしろいよ。寄っといで。 by オルゴールの中に潜む天使



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   大魔王観音北一輝

   ▼第二回社会批評研究会 (於:本郷会館A会議室 2020/09/19)
   ▼ダンボール(=川端秀夫)
の報告要旨

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第二回社会批評研究会(於:本郷会館A会議室 2020/09/19)
■報告者:川端秀夫
テーマ:「 北一輝と紫式部   副題:世界思想と世界文学 」
■報告書作成:村尾望 
<報告の発表の要約>
「 」内の・・・は途中省略したことを示す。
参照ブログは右クリックすると別画面でリンク先にとびます。   

▽前口上。この報告は三部構成で、第一部「純粋北一輝」はすでにテキストがWEBに公開済み。第二部「大魔王観音北一輝」は本日の報告であり、第三部「紫式部のDNA」は次回に報告したい。本日の報告は肉声による表現の可能性を追求したい為、レジュメなしとし資料はホワイトボードに貼り付ける。日本語で
つづられた思想と文学の可能性を追求し、さらに世界思想と世界文学のありうべきヴィジョンを描いてみたい。本日はその第一歩としたい。

▽前奏曲として1933年のオーストリア映画『未完成交響楽』で歌われている「シューベルトのセレナーデ」をまず聴いて頂きます。
※注:☛ ブログ記事の最後のところにこのセレナーデをリンクした。


▽宮嶋繁明『橋川文三 野戦攻城の思想』が弦書房より8月に刊行された。この本のチラシの紹介文に、「橋川を知ることは、丸山真男、柳田國男、吉本隆明、鶴見俊輔、三島由紀夫、竹内好らの精神を考えること」「独学者として野戦攻城を続けるごとく思索の旅を続け、きわめてオリジナリティーが高い精神史を紡いだ」とある。橋川文三の決定的な伝記であり完成度が高い。宮嶋氏の20年に及ぶ橋川文三研究の到達点が記されいる。

▽「純粋北一輝」は三年前の夏に草稿は書きおえていたがこのたび決定稿として仕上げた。北一輝に関しては大学生の時に橋川文三の北一輝論に触れて衝撃を受けて以来ずっと関心を抱き続けている。今後とも北一輝研究の旅は続けたい。

  △▼管理人よりのお知らせ▼△

  《試論「純粋北一輝」への川畑泰氏からの質問に回答する》
  上記回答文書が本日付けでちきゅう座に掲載されました
  北一輝の天皇論と対外政策の二点に絞って詳細解説。

  ※こちらで参照可☛ http://chikyuza.net/archives/106075

▽ブログでは最初に北一輝碑の大川周明撰による碑文を紹介した。「・・・歴史は北一輝君を革命家と伝えるであろう。然し革命とは順逆不二の法門その理論は不立文字なりとせる北君は決して世の革命家ではない。・・・後半生の二十宥余年は法華経誦持の宗教生活であった。一心不乱に慈悲折伏の本願成就を念じ・・ 人間界の縄墨を超越して仏魔一如の世界を融通無凝に往来して居た・・・かくして北君は生前も死後も一貫して正に不朽である」。北の判決後の一句は「若殿に兜取られて負け戦」で、天皇に軍隊をとられたために負けたと2・26事件を総括している。そこで「酋長に兜取られて負け戦」という替え歌を作った。酋長は愚人島のトップという意味で使った。
2013年6月に参院選があり【霊告】を創作した。「憲法違反の選挙で選ばれた国会議員に憲法を改正する資格なし、正義と人権の至上価値を掲げ平成の維新革命を断行せよ、次は最高裁、その次は最高祭。 北一輝」とした。
(注:霊告は北一輝と妻が毎日の読経中に得た神のお告げを書き留めたもの。1987年に松本健一編で『霊告日記』」として復刻出版された)

(右ブログ参照)☛維新革命の本義は実に民主主義にあり=北一輝氏建碑式

▽次に死刑判決の時に冷凍保存されていた北が復活し参院選に立候補したという掌編小説を書いた。立候補演説の第一声~「革命とは然り然りか、それとも否否か、ふたつにひとつである!ほかに選択肢はない!・・・すると聴衆から然り然りの声が沸き上がる。・・・北は、そこで「余興として、アルチュール・ランボーの詩をひとつ紹介しておこう。余興じゃないな。じつはこれが本論だ。なぜなら革命とはエラン・ヴィタール(生命の飛躍)なのだから。詳しくは言うまい。一語で覚れ。・・なぜなら革命とは順逆不二の法門その理論は不立文字なりが真実だからだ・・」と言って、北はランボーの「夜明け」という詩を朗読する。
(右ブログ参照)☛「日本改造法案大綱」根本見直し……北一輝氏の獅子吼

▽立候補した北一輝にインタビューする中で北がももクロのファンであるというフィクションを描いた。(注:ももクロは、ももいろクローバーZ。「Z伝説~終わりなき革命~」を歌っている)
(右ブログ参照)☛ 維新・北一輝氏、ももクロを激賞  

▽小説の続き。バーチャル空間を自在に泳ぐ北一輝。時空を簡単に超えるその才能に困惑する時代遅れの自称左翼と右翼と政治家たち。これらの有象無象をしり目に北一輝は特異な選挙戦を展開する。〝魔王〟北一輝の面目躍如。
(右ブログ参照)☛北一輝氏選挙戦に「協力したい」…複数アイドルが応援

▽ここまでの北一輝へのアプローチは文学的なものであるが、これ以降は思想史的ないしは社会科学的分析を加味していく。
北一輝の思想の柱は、生物進化論と国体論批判である。北の革命思想の根底には生物進化論からくる「性愛原理主義」(=私の造語)がある。キーワードは雌雄競争で、『国体論及び純正社会主義』より引くと、「類神人は神人に進化せんがために激烈な雌雄競争をなす。・・・生物はこの雌雄競争の為めに異性の中
より自己の最も善にして最も美なりとしてする者を選択して獲んと望み、而して其の望みを達せんが為めに同性中に於て自己を最も善く最も美ならしめて他の競争者に打勝たんとするの努力を生じ、其の努力の為めに異性各々自己をより善により美ならしめて、其の生れたる子なる新らしき自己を遺伝と出生後の教育とによりてより善なるより美なる自己となす。・・・」(北一輝『国体論及び純正社会主義』第三篇第六章)
フィクションの霊告1「私のかんがえる真の戦いとは、歌うことである、あるいは同じことだが歌うがごとく語ることである。・・・師の抱いた信条であるところの「野戦攻城」の志を忘れるな。」
霊告2「これまでにもさまざまな時代があり、さまざまな反逆があった。戦いには勝利の時もあれば敗北の日もある。順風の朝もあれば逆風の夜もある。風に左右されてはいけないさ。どんな場面に遭っても固く自らを持せ。そしてひるまず進め我らが友よ。」
(右ブログ参照)☛ 北一輝の性愛原理主義、そして】霊告【

▽大正8年6月、いとこの星野すえ宛て上海からの北の手紙は感動的である。婿取りの相談にきっぱり断るよう勧めるもの。
「・・・二十四歳は決して婚期に遅れたのでハなくて・・・是れからが人生の門出である・・・亡くなられた叔父叔母に対するお前の悲しみ、誠に思ひやります。しかし・・人並みすぐれた人になると云ふことが何より両親に対する孝行なのだから極度に悲しんでハなりませぬ。・・・人の道徳的行為にも厳然たる因果律といふものがある。・・・御前の宝ハ御前の其の清き情深き人格である・・・凡ての幸福は此の打ち出の小槌より出るのことを信じなさい。人格の低きものは錦衣王食するも乞食より下等なものである。御前は・・・此の宝を持って生ま・・・磨くことができたのだから、御前こそ千万金の富豪より貴き女であるのだ。・・・」
(みすず書房『北一輝著作集』第三巻508~509頁)

(右ブログ参照)☛ 「橋川文三の文学精神」第12回 北一輝の性愛原理主義

▽次いで「アジア主義の生誕=美しいアジアの私たち 宋教仁の日記」という作品を掲載した。私のブログの文章中では最高の出来ではないかと自負している。
宋教仁の日記は橋川文三が翻訳した。1906年12月2日の日記では、民報一周年記念大会に行き、孫逸仙、章炳燐次いで日本人来賓の池学吉、北輝次郎、萱野長知、宮崎滔天らが順次演説したことを記している。ここでの北一輝の初めての公開演説の内容はどのようなものであったか。「かれは『民報』の主張する君主専制政体の打倒に期待をよせ、「世界革命」をねがうがゆえに中国の革命にのぞみを託する、とのべて聴衆をわかせた」のである。(狭間直樹著『中国社会主義の黎明』岩波新書)。
(ブログの一節)「アジア主義は空虚な理想ではない。アジアが獲得すべき唯一の生産的で価値ある思想である。アジア主義の理念が生誕し、美しいアジアの私たちという概念が実質を獲得した記念すべきその日を、宋教仁はヴィヴィッドに描き出している。我々は皆この日に戻って再出発すべきなのだ。」
「アジアは美しい。アジアのもっとも美しい日が、このように宋教仁によって記録され、橋川文三によって日本語に翻訳された。ここに出現したのはまばゆいばかりに美しい言葉のつらなりである。中国語も日本語も、アジア主義の理念の前では、その異なる存立根拠を解消されてしまっている。いや、むずかしいことは言うまい。議論は無用だ。美しい日本の言葉、いやアジアの美しい言霊がここに在る。この言霊こそ「アジア主義」なのだ。」
<宋教仁の葬式を取り仕切った時の北の写真を提示>
このエッセーには私の伝えたかった中心的なメッセージが含まれている。
(右ブログ参照)☛ アジア主義の生誕=美しいアジアの私たち

▽北一輝の最後の霊告は「大海ニ波立ツ如シ」である。(2・26事件で警視庁に出頭当時の写真提示)。北は、中国人に会う時は洋服を着るが、日本人に会う時は中国服、欧米人に会う時は和服だった。逮捕の際に北が中国服を着ていたのは〈異界〉の人であるというメッセージを含んでいると思う。
(右ブログ参照)☛【霊告月記】1回  北一輝の霊告「大海ニ波立ツ如シ」

▽1911年11月5日の北一輝の手紙は重要である。『支那革命外史』には辛亥革命への深い歴史的洞察が示されているが、その著書のエッセンスが込められているのがここに引用したこの手紙である。【霊告月記】の第31回(2018.5)で私は次のように書いた。
「日露戦争後に出現した天才思想家北一輝は日本と中国のありうべき将来を大胆に予言した。その言葉は霊告と呼んでさしつかえない洞察力に満ちたものであった。もし日本人が北一輝の忠告を受け入れて王道のアジアを築くことを試みていたならば、日本の歴史はいや世界の歴史は、いまよりも
ずっとましなものになっていたはずである。アジア主義が勝利した20世紀の世界を思い描いてみよう。それはなんと素晴らしい絵であることか。だが日本は北一輝の霊告を聞き逃した。これは痛恨の一事と云っても過言ではない。日本は道を失ったのだから。はっきりと知るべきことがある。いまなお北一輝の肉声は失われてはいない。21世紀の東アジアを我々はいかに構想すべきか。南北朝鮮が握手を交わし歴史の転換が刻まれようとする今こそ北一輝の霊告を傾聴する意義あることを私は強調したい。そこからのみ道の回復はなされるであろう。」
長いので朗読は省略するが、この手紙は北一輝書簡中もっとも重要で資料的価値が高いものである。  
(右のブログ参照)☛ 【霊告月記】第三十一回 北一輝の霊告「日本は革命党の父である」

▽フェイスブックで矢田部氏と「来たるべきアジア主義」というテーマで対話を交わした。その時の対話の総集編をブログに転載した。ここでの霊告は「連帯を求めて孤立を恐れず。我らみな実存的ロマン主義に徹すべし!」で、欅坂45の傑作「不協和音」にリンクを掛けた。    
(右ブログ参照)☛ 【霊告月記】第四十一回  来たるべきアジア主義   欅坂46&北一輝&宋教仁

       『現代日本思想大系 9 アジア主義 竹内好 編』  
       近代日本の歴史認識を根底から問う名著。 版元:筑摩書房 初版刊行:1963年8月

▽西郷隆盛は維新革命の体現者であるが、西郷がいまもし生きていたらどういうことを言ったかと考えて、「西郷隆盛の霊告」を創作した。
「日本を罵る中国人は醜い。中国を罵る日本人も同程度に醜い。隣国を非難して止まないこうした下等人類は日中双方に同程度の比率で存在する。かつその比率は年々増加している。アジアの道徳的堕落が進行しているのだ。だが絶望するには及ばない。日本に中国にそして南北の朝鮮にアジア主義は生き続けている。 西郷隆盛」
 
<西郷洞窟の写真提示> 「城山の洞窟を出て自決し、・・・敬天愛人の思念はこの洞窟の中に封印されたままである。」
(右ブログ参照) ☛  ●●● 西郷隆盛の霊告 ●●●

▽「来たるべきアジア主義」を2014年5月にブログ公開した。序文の最後の部分を心を込めて読んでみる。
「私は今ここに、この国の考える力を支えてきた現代思想=アジア主義の復活を高らかに告げる書物を、電子ネットワーク環境のただ中に開示する。アジアに住まうすべての心ある生活者のあつい支持を希う次第である」

(序文全文は右ブログ参照)☛ 『来たるべきアジア主義』 序文

 

▽子安宣邦氏の『日本人は中国をどう語って来たか』青土社2012は今年の7月に中国語に翻訳出版されて台湾のみならず中国本土でも関心を集め話題になった。その本の帯には「北一輝」の文字がとひときわ大きく描かれている。その理由は、思うに、著者による気迫に満ちた冒頭の北一輝論が、『支那革命外史』で北は何を伝えようとしたかを述べていたこと。そして北が真の革命家であり同志の宋教仁が孫文の革命路線とは違う革命家であったことを示して、中国の人々の驚きを引き出したからだろう。子安氏の書は今後の中国の行く末に煩悶している中国の若い世代に何らかの啓示を与えうるのではないかと思っている。

▽辛亥革命が起こったとき宋教仁は黒龍会の内田良平に「北はいつ来るか」という内容の電報を送った。しかし北が中国に行って具体的に何かできるわけではない。できることは辛亥革命を真の革命たらしめようとする宋教仁の真の友として北が身近にいることだっただろう。

▽本日の報告のまとめとして子安宣邦氏の著書より引用する。
≪・・・北はいう、「支那が排満の民族的革命を求めたるは・・・真の近代的組織有機的統一の国家を建設せんが為めの」・・・それは間違いなく国家民族主義革命である。そこでは近代国家の自立的建設への変革的要求と民族的自立の要求とは一つである。・・・辛亥革命とは中国ナショナリズムの最初の表現である。そして北はこの中国の国家民族主義革命運動に連帯する光栄を日本が持つというのである。それはアジアの最初の国家民族主義革命である明治維新を日本が遂行したからであり、このアジアの革命という思想遺産の正統な継承者こそ中国革命であるからである。北は中国革命の正統な遂行者である宋教仁と革命を共にした。・・・少なくとも北は宋に寄り添った。・・・『支那革命外史』にわれわれが読むべきなのは、北によって告げられた宋の遺言である。
(子安宣邦『日本人は中国をどう語ってきたか』青土社2012年42~43頁

最初に聴いてもらったシューベルトのセレナーデは、恋人に来てほしいという願いの歌だが、宋教仁が北を呼び求める歌としても聴くことが出来る。宋教仁が黒龍会の内田良平に送った電文もこの歌の思いと同じと私は考える。最後にもう一度この歌を聴いて本日の報告の終わりとさせて頂きます。

▽発表者の補足
宋教仁の電報文の紹介が本日の報告のクライマックスのような気がするので正確な文面を確認しました。その電文の正確な文面は、「北君何時立ツカ、返待ツ」(宋教仁発内田良平宛 明治四四年十月十九日)でした。したがって結論は「北君何時立ツカ、返待ツ」=「 わがこころ さわげり  まてる われに いでこよ きみ  いでこよ」が、私の心霊学的な解釈となります。マルタ・エゲルト(ハンガリー出身の女優・歌手)がこの曲を歌うのを霊告の二重唱として聴いて頂きたい。それが私の希望です。

※今回のブログ記事の作成にあたり社会批評研究会の村尾望氏の報告文を全面的に参照・活用させて頂きました。このブログ記事はその報告文の翻案です。村尾氏のご助力に感謝申し上げます。川端

】 霊告 【   『支那革命外史』に読むべきなのは北によって告げられた宋の遺言である。    子安 宣邦


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▲ 今回の記事にはコメントも付いていますのでご参照下さい。コメント追加も歓迎 ▼


【霊告月記】第五十八回 純粋北一輝 ~わがこころさわげり~

2020年09月01日 10時00分00秒 | 霊告月記56~60

【霊告月記】第五十八回 純粋北一輝 ~わがこころさわげり~

                                     

   大天使の如き風貌を持つ「北一輝」    パウル・クレーの描いた「新しい天使」

お知らせ:評論「純粋北一輝」を公開しました。
 初出:宇波彰現代哲学研究所(8月28日)
 転載:ちきゅう座(8月31日)

「純粋北一輝」は全十章の作品です。前編は第一章~第五章、後編は第六章~第十章の二編から成る。興味を惹かれた方はリンクを貼っておきますので、そちらにお移り頂いてご覧ください。著者

◇宇波彰現代哲学研究所◇
純粋北一輝(前編)☛ http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-358.html
純粋北一輝(後編)☛ http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-359.html

◆ちきゅう座◆
純粋北一輝(前編)☛ http://chikyuza.net/archives/105457
純粋北一輝(後編)☛ http://chikyuza.net/archives/105468

※関連記事☛
 【霊告日記】第一回 北一輝の霊告「大海ニ波立ツ如シ」

△▼管理人よりのお知らせ▼△ 2020年10月4日(日)の追記 
  《試論「純粋北一輝」への川畑泰氏からの質問に回答する》
  上記回答文書が10月1日付けでちきゅう座に掲載されました
  北一輝の天皇論と対外政策の二点に絞って詳細解説。

  ※こちらで参照可☛ http://chikyuza.net/archives/106075


】 霊告 【 
わがこころ さわげり  まてる われに いでこよ きみ 
でこよ


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【霊告月記】第五十七回  紫式部のDNA

2020年08月01日 10時00分00秒 | 霊告月記56~60

【霊告月記】第五十七回    紫式部のDNA

来月の第三土曜日にある研究会で研究報告を行う。タイトルは「紫式部のDNA」にするつもりだが最終決定はまだだ。報告の準備にいまとても忙しい。コロナ禍のパンデミック二波が来るかもしれない状況なので研究会が無事ひらかれるかどうかも定かではない。しかし準備だけは万端ととのえておきたい。研究会の報告で引用する予定の三つの著作を紹介しておく。下の三冊だ。

1 宮嶋繁明『橋川文三 野戦攻城の思想』
2 子安宣邦『日本人は中国をいかに語ってきたか』
3 野口あや子『くびすじの欠片』

    1    2    3  : ☚クリックすると拡大

              ★        ★        ★

1 宮嶋繁明『橋川文三  野戦攻城の思想』は弦書房より今月下旬に刊行される。宮嶋繁明は学生時代に橋川文三に師事した。この書は橋川文三研究家としての宮嶋繁明の決定的な到達点を示すものと言えよう。弦書房のホームページにはこの書の紹介が次のように述べられている。簡にして要を突いた紹介文である。必読を請う

「戦後日本の最大の思想的課題は、日本を敗戦にまで突き進ませた「ナショナリズム(昭和超国家主義)」の解明だと言われました。橋川文三(1922〜1983)はそのテーマに正面から取り組み、自身の戦争体験をふまえてその課題の本質を初めて示したことで知られています。独学者として野戦攻城を続けるごとく思索の旅を続け、極めてオリジナリティの高い精神史を紡ぎ出したその足跡を克明にたどる力作評伝です。さらに橋川を知ることは丸山眞男、柳田国男、吉本隆明、鶴見俊輔、三島由紀夫、竹内好らの精神を考えることでもあります。」

ちなみに昨年11月に私は近代の超克をテーマに研究発表を行ったがその冒頭で橋川文三を論じたことがある。来月の報告はその続編にあたる。
  ※参考☛ 宇波彰現代哲学研究所HP
      
2 子安宣邦『日本人は中国をいかに語ってきたか』

    中国語に翻訳された子安氏の書 ☛ 

子安宣邦の『日本人は中国をどう語ってきたか』は青土社から2012年の11月に刊行された。この書が中国語に翻訳され子安宣邦作品集の5冊目の本として昨月に中国で出版されたのである。子安氏のこの書を目下私は再読しつつあるのであるが、子安氏が論じた対象の原典にも当たり自分なりの原典理解を持った上で、子安氏の論点を批評してみたいと思っている。したがって次月の私の研究会での報告は子安氏の『日本人は中国をどう語ってきたか』という著作の研究が中心となる見込みである。

3 野口あや子歌集『くびすじの欠片』

今回の報告の準備として俵万智の『恋する伊勢物語』を読み始めている。俵万智は現代語訳の『伊勢物語』を著している。古典の現代語訳はめずらしいことではないが、俵万智訳の伊勢物語のオリジナリティは作品中の和歌をすべて現代語の五七五七七の短歌に翻訳していることだ。これは国文学者には逆立ちしてもできない芸当であって、俵万智によって歌物語としての『伊勢物語』が21世紀の現代に初めて蘇ったのだと言っても過言ではない。

時代の最先端を走る歌人野口あや子の存在を知ったのは下の動画によってである。さすが短詩形文学で鍛えられているだけあって最初に野口のあいさつに魅せられた。あいさつのために選び取られた言葉の簡潔さ新鮮さはどうだ。素晴らしいの一語である。俵万智に関しては挨拶やホスト短歌の寸評に見られるごとく既に巨匠の風格を漂わせている。俵万智の発するすべての言葉が歌になっている。
野口あや子や俵万智を私は紫式部のDNAを受け継いだ人として研究会で報告しようと思っている。その内実はもっか鋭意準備中であるがあと一か月半かけて中身を深めていき立派な報告をしたいと願っている。以上  

                        ★        ★        ★  
   
】 野口あや子の霊告 【 
 セロファンの鞄にピストルだけ入れて美しき夜の旅に出ましょう

※【 ホスト百人一首#4後編】はこちら ☛ 甘酸っぱい短歌王子誕生!

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【霊告月記】第五十六回  FacebooKにグッドバイ

2020年07月01日 10時00分00秒 | 霊告月記56~60

【霊告月記】第五十六回   FacebooKにグッドバイ

マークザッカーバーグ  2017 ハーバード大学 卒業式演説

 対話篇「FacebooKにグッドバイ」
   この対話篇の登場人物は2名です

   自我=ダンボールの自我
   超自我=ダンボールの超自我

自我:ぼくはいま何を考えているのだろう。さだかならぬ直観が訪れた気がしているのだが。おや、どこからか声がする。誰ですかあなたは? 姿は見えないけれど・・・
超自我:君の超自我です。君の心の中にいて必要な時にだけ君の話し相手をつとめる。姿が見えないのは無理もない。私に姿かたちはない。心から心に語り掛ける存在なのです。
自我:そうでしたか。ではかたちの見えない超自我さんにお聞きします。私はいま何を思っているのでしょう?
超自我:何をって・・・、それはあなたご自身がよく分かっていらっしゃることじゃありませんか。フェイスブックが消滅するだろうと思っているのです。違いますか。
自我:ぎくっ! よくわかりましたね。どうしてそれを? あなたはもしかしてシャーロック・ホームズさんですか。
                   軽井沢追分のシャーロック・ホームズ像

超自我:いえ。私は探偵のホームズではなく、あなたの超自我に過ぎません。ちなみにシャーロック・ホームズは作家コナン・ドイルの超自我です。ですから超自我と聞いてホームズの名を思い出したあなたの直観はまんざら完全に外れとまでは言えません。いずれにせよあなたの超自我である私が自我の考えていることくらいわからなくてどうしますか。わからなかったら超自我ではなく蝶自我になってしまいます。蝶なみの知性に陥るということです。ははは。
自我:蝶自我ですか。こりゃおもしろい。わはは。
        私のことを笑わないで下さい>アゲハ蝶より           

超自我:笑っている場合じゃないでしょう。話し合いたい事柄があるんじゃないんですか。そのような気分がありありと感じられたので私は参上したのですよ。相談あるならはやくお願いしますよ。私は私で忙しいんですから。
自我:お忙しいところご足労頂きましてありがとうございます、超自我さま。それではさっそく相談です。たしかに私はFacebooKがいずれ完全に消滅するのではないかと思っています。その直観が正しいものかどうか教えて頂きたいのです。といいますのも、FacebooKが消滅するのその光景が私にはありありと見えているのですが、なぜFacebooKが消滅しないといけないのか、
その理由も消滅に至るプロセスもいっこうに判然としないのです。
超自我:FacebooKがいずれ完全に消滅する・・・。ふむ、おもしろいご意見ですね。オドロキ・モモノキ・サンショノキですが、その直観はズバリ正解です。地上で恐竜が我が物顔でのさばっていたのに絶滅した時代がありました。ちょうどそれと同じように、FacebooKも絶滅します。必ずそうなります。FacebooK完全消滅のカウントダウンはすでに始まっていますよ。ご存じなかった?
自我:存じ上げません。私はFacebooKに関してつい先日のことですが休止宣言を出しました。その後、数日たたぬ間に、まてよ私がFacebooKを離れる気持ちになったのは、これは何かの前触れかもしれない。そうだ。炭鉱の中のカナリアのように、私と同じように感じ考え、これからFacebooKにグッドバイするひとが次から次へと出てくるに違いない。そのように急に感じられはじめたのです。そして最終的にはFacebooKは完全消滅するであろう。これが論理的な帰結として到来する未来の現実となるであろう。まさにそう直観したのです。
超自我:なるほど。そのように思考した結果、きみはFacebooKにグッドバイしたのですね。
自我:いい、そうではありません。そうではなく、
FacebooKにグッドバイした後から、すなわち事後的に推論によってそのような結論にたどり着いたのです。私のFacebooK 休止宣言をよく読んでみて下さい。この文面にはここで述べたような主張はなんら含まれていないはずです。しかしその予感は含まれていたかもしれない。いま自分の文章を読み返してみてそう感じはしますけれども。
超自我:なるほど。たしかにこの文章は、FacebooKの消滅を予感した炭鉱のカナリアの歌として読むことができるようですね。きみの予言はいずれ成就するでしょう。FacebooKがなぜ消滅するのか。それは必然の理由によるのか、それとも偶然が折り重なったいわば理由なき消滅によるのか。恐竜の絶滅のようにですね。その分析は未来の歴史家に任せましょう。どちらにせよあなたの予言は完全に実現するでしょう。その期限は最大に見積もって13年以内でしょう。
自我:われわれの意見は一致しましたね、超自我さん。このたびは対話の機会をもって頂いてありがとうございました。今後とも宜しくご指導ご鞭撻下さい。            対話篇:完


   ~~~資料「Faceboookにグッドバイ」~~~~~~~~
FacebooKへの投稿:2020年6月17日 20:08
川端秀夫:☆この気持ちシェアします☆
 ☛ フェイスブックの利用は、当分のあいだ<休止>します。
特に深い理由はありません。気持ちの変化です。もともとフェイスブックのIDを取得したのは子安宣邦先生の市民講座に通うようになり、先生がフェイスブックにコメントを投稿される習慣があるのを知って、その文章を読みたかったからです。ですので今後も子安先生の投稿は引き続き読ませて頂きますし、ブログ更新のお知らせだけは月一回更新させて頂きます。それ以外のフェイスブックの利用は、読み書き含めて、すべて当分のあいだ休止させていただくことと決めましたのでご報告申し上げます。今後はブログの画面でお会い致しましょう。友人の皆さま、長い間お付き合い頂きまして、ほんとうにありがとうございました。感謝申し上げます。
   ~~~~~~~~~~~

◆マーク・ザッカーバーグの天敵スコット・ギャロウェイが吠えた日
 
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