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【霊告月記】第七十七回  帝国社時代

2022年04月01日 10時00分00秒 | 76~80

【霊告月記】第七十七回  帝国社時代

   石岡瑛子

解説:霊告月記第七十五回の「自分史」は、「学校を卒業してから五年間勤めた会社を辞め、私は文芸誌『群像』の評論の新人賞に応募しようとしていた」という書き出しで始まる。この「五年間勤めた会社」は帝国社という広告代理店だったが、この帝国社時代に書いた広告コピーに関する論文を今回は掲載する。この論文は会社の広報誌に掲載されてクライアントへ発送され会社の内外で好評を得たものである。タイトルは原題通りである。

いまや、生活思想を把握する作業こそなさねばならぬ全てだ

今にして思うと、やはりオイル・ショック 
は決定的な転回点であった。73年10月、中東 
戦争のアラブ側戦略の14買として打ち出され 
た石油価格引きヒげは、エネルギー危機とし 
て先進資本主義諸国の経済を直撃した。アラ 
ブ世界はその政治的結東によって、世界経済 
におけるエネルギー資源の比重を高め、一夜 
にして富める第三世界の台頭を世界に印象づ 
けたのである。それは逆に考えれば、先進資 
本主義国の生産力の価値が世界市場において 
相対的低下をきたした事を意味するのである 
から、これが経済発展を阻害する要因となる 
のは当然であった。かくしてここに世界経済 
の構造そのものからくる漫性的な不況の時代 
が到来する。 
さて、このような前置を述べた後ここでい 
ささか理論的に考察してみたいのは、このよ 
うな不況の長期化が予測される時代にあって、  
その内部で生活する生活者は、どのように生 
活意識の変貌を遂げたのだろうか、そしてさ 
らにその変化した生活意識を広告表現はどの 
ようにキャッチュしてきたのだろうか、という 
問題である。 
いいかえれば時代そのものが要求している 
生活思想とは何か。けれどもこのように問題I  
が立てられるということ自体、その結論はす 
でに出ているとも言える。生活が問題である 
のならば結論は充実した生活を打ち立てるこ 
と、すなわち正確にいうならば物質的にはシ  
ンプルライフ、精神的には美的生活・知的生 
活の実現と追求以外にはないからである。そ 
して事実このような論理を前提とした広告作 
品はすでにすぐれた作品として提出されてお 
り、これからもますます多く出されていくだ 
ろう。 
シンプルライフの思想はけっして一衣料品 
メーカーの作り出したものではない。むしろ 
時代の思想をメーカーがはっきりとつかみと 
り、率先して提唱したことによる広告表現フ 
成功例とみるべきだろう。 
知性と感性の向上を志向する生活の前提I 
してのシンプルライフの発想は、すでにす‘  
れた芸術家や哲学者がくりかえし考えてい」 
事でもあったoたとえばゲーテは、 「きらび  
やかな部屋やしゃれた家具とかいったものI  
思想ももたず、また、もとうともしない人 
ちのためのものだよ。」 と語った。これな 
私には、しゃれた家具をそろえること以外 
はさしあたって何の目標も持っていない現 
のニューファミリーにたいする痛烈な皮摘 
きこえてしょうがない。もっとも、シンフ 
であることは結論ではなく単に出発点に葺 
ないのだから、質素であればそれで良二二! 
うものでもない。古代ギリシアの哲学者」  
クロスは、哲学研究に熱中するあまり、  
ーズを小壷に入れて送ってくれたまえ、1  
いと思えば豪遊する事もできようからニ 
のべたほど、物質的には必要最小限のもI  
常に満足した人であったが、そのエピクロ  
スですら、 「質素にも限度がある。その限 
度を無視する人は、過度のぜいたくのため
に誤つ
人と同じような目にあう」 と語った。 
一種の流行語にまでなった『美的生活』 
『知的生活』は現代広告表現の発想を決定的 
に支配している。これは、音楽や美術などの 
感覚的なものの評価において時代を一歩先ん 
じた石岡瑛子のようなアートディレクターに 
よって切り開かれた新しい表現世界であって 
コピー自体はこれらの時代をリードできする 
才能に触発されてでてきたというのが実状であ 
る。 ミネルバァのふくろうはたそがれに飛び 
たつ。 すなわちここでも言葉は一歩遅れてや 
ってきた訳である。次にいくつか典型的な作 
品を考察してみよう。 

◇角川文庫◇ 
文学少女は、もうマイナスの 
シンボルになってしまった。〉 
書物偏重をたしなめるアピールが書物の広 
告になりうることを示した画期的作品。はじ 
Iめて見た時、私がアッと驚いた作品である。 
すでに動揺をはじめていた明治以来の書物崇 
拝の風潮に一撃を加え、と同時に音楽やファ 
「ッションのようなすでに欧米文化と同列に並 
二ぶまでになった文化との正当な位置づけを通 
して読書行為をとらえなおそうという試みで 
あり、そのみごとな成功例である。 

 ◇S ONYのカセット◇ 
体験した悲しみだけがブルースになる。〉  
音楽の本性そのものに一歩踏みこんで評価 
いを与える事をコピーとして打ち出す事によっ 
二て、メーカーの音楽理解の本格性をアピール  
し、商品のイメージを高めつつ生活の中へ送 
り込もうとしている。 

◇パルコ◇
 〈諸君、女性のためにもっと美しくなろう。〉 
 女性から、男性よもっとファッショナブル 
 いであれと呼びかけるアピールである。文明人 
埋予蛮人に呼びかけるがごとき挑戦的な響き 
 が、結果的にパルコ文化の啓蒙的役割を人々 I 
 しに意識させる事に成功している。 
 これらはほんの一例に過ぎない。ここで大 
 事な点は、これらの作品が美的・知的生活へ  
の具体的メッセージを提出しているというだ  
けにとどまらず、ィラスト・写真・レイアウ 
 ト等のデザイン面においても、時代の雰囲気 
をリードするだけのファッションとして仕上 
 っているという点である。広告はいまゃーっ  
のファッションでもなlナれlボならない。すな
 わち広告を視ること自体がー個のビューティ
フルライフでありクォリティライフであるこ
を とを、多くの人が望んでいる段階が来ている  
 のである0かくしていまや生活思想を把握す 
る作業こそ、なさねばならぬ全てであって、  
このような努カを前提としてはじめて商品も 
時代の中から浮上することができる。人々の 
生活過程へ、生活を変えるための具体的な意 
識のスローガンを送り込むこと、それがコピ  
ーライターの創造であり仕事である。 
ひるがえって、生活思想が広告表現に持ち 
込まれるに至った背景としての時代精神その 
ものへ、一歩考察を進めてみよう。私はそれ 
を「倫理的再生」という言葉で説明しようと 
思う。 
すでにボブ・ディランは〈今の敗者は、つ 
ぎの勝者だ、そうだ時代は変わりつつある。〉  
と歌っていた。この歌が、大統領選挙たけな 
わの頃、カーターの選挙事務所に流されたと 
いうニュースを聞いた時、私は痛めるアメリ 
力の深い倫理的再生の漢意を感じたもので
あった。 
1 国民の深いところから出た欲求としての倫 
三理的再生の決意、そういうものを認めないと 
すれば、かつては多くの日本人が歓呼して迎  
えた田中首相が、ーライターの書いた論文に  
よってたちまちのうちに権力の座からたたき  
落されるというような事は説明がつかない筈 
・一である。 
A 76年の暮れの頃であった。国電の中で文芸 
春秋のワイドの中吊りポスターを見た事があ 
る。左半分が立花隆の 「新田中角栄研究」、右  
半分が村上龍の「限りなく透明に近いブルー」  
の広告であった。 
 ディランの予言は成就した。すなわち、田  
中角栄が権力の項点にのぼりつめた頃、立花 
 隆は中近東近辺の古代遺跡を旅して古代の知  
性に思いをめぐらす無名の哲学青年に過ぎな 
かったし、村上龍にいたってはその時、麻薬 
容疑で手錠をかけられ連行される犯罪者であ 
った。それがいまや二人とも、このように知 
的世界の栄光に包まれて君臨する光景に立ち 
会って、私はあたかも神の摂理のごとく進行 
する時代の確固とした足どりにまさしく驚嘆 
した。 
 けれども、生活思想に到達する事によって 
広告表現が影響力を行使できる時代というの 
は、もうそれほど長くはないだろう。時代が 
新たなる胎動を始める時、ひとはすみやかに 
問題意識を持つ精神として目ざめる。そのと 
き日常生活を充実させるという課題が、もは 
や意識の第一義の関心事ではなりえなくなる 
のは明白である。いまの時代は、激烈な荒々 
しい問題提起の季節に統いて生活の充実へと 
向った慰安の季節であって、来たるべき季節 
が何と名づけられるかはまだ誰も知らない。  
ただ言いうることは、新しい季節の内容はそ 
れに先行する季節の評価を含んだものになる 
だろうということだけである。季節の裂け目 
の奥深く潜伏し、新たなる季節の創出に備え 
。これがいまの我々の真の課題である。 
H. K 

★早くコロナが収束し、サルサを踊りたい! 切に願う!!!

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【霊告月記】第七十六回  連句:風にゆられて

2022年03月01日 10時00分00秒 | 76~80

【霊告月記】第七十六回   連句:風にゆられて

    

座・連句 若い世代による新しい連句の会 1994年3月20日  

前口上
今日巻く連句は九席全部が脇起しの半歌仙です。古人の名句を発句に立てて連句を作ることを「脇起し」と言います。私は「古池や」の句を発句に選びました。古池を俳譜の伝統に見立て、そこへ連句初心者が大勢初めて参加する、その光景は春に蛙が新しい生命を得て「古池」太小 にいっuいに飛びこむ光景と重なって見えたのです。この句に 私は次の脇句を付けました。 
 古池や蛙飛こむ水のおと 
  風にゆられて紫実英三つ四つ 
さてここから本日の 【座・連 句】の参加者による付けが始まります。さていかなる名句が付きますことやら。  

半歌仙  風にゆられて                        捌 川端秀夫 


古池や蛙飛こむ水のおと      翁
 風にゆられて紫雲英三つ四つ   秀夫
自画像に朱色さしたりかげろひて  佐保
 ホンキイトンクのピアノ響かせ  達夫
線路道麦わら帽子遠い夢      悦
 沈み残しの月追ふ金魚                   奈美

 

番頭は開店準備蔵の街       無頼庵
 緊張しきり雨のフライト               佐
後ろ髪一本引かれハ ミングす     奈
 カラス鳴け泣けスミ色のハート    ん
ころころと織田信長の首転び    寿子
 岩の苔むす奥多摩渓谷      悦
湖に映れる月を割りすすむ     寿
 新米捧ぐ波布の出る寺      達
猿酒にストロー入れてすする猿   蓼艸
 誇るパ ワーは乳幼児なみ    秀
儀丈兵かつかつと行く花の城    寿
 あちらこちらに葱坊主立つ   ん

★何を隠そう、わたしはさなちゃんの大ファンなのです・・・

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