遅ればせながら、TOMIXのキハ40系更新車を手に入れました。
模型では以前マイクロエースから製品化されていましたが、前面の印象把握がやや(やや?)難アリであったため、今回のTOMIX製品はまさに待望、そして決定版と呼ぶに相応しいものではないでしょうか。
1両や2両で完結するので小型レイアウトにも向き、合わせて実車の運用範囲の広さ、そしてカラーバリエーションの豊富さから塗り替えの種車としての購入も多いようで、店頭からは軒並み姿を消しているようです。
うちではキハ40を1両、キハ47を2両導入しました。
カラーバリエーションの展開は今後もされると思いますので、とりあえずはこの3両体制で。
未更新車については従来通り、サボ受けや窓枠のモールドがくっきりしているKATO製品から製作していく予定です。
一通りパーツ取り付けを終えて、次はいつものようにエンジンカバーを黒塗りしようと思ったら…
グリスが付着していました。
おそらく製造工程での出来事だと思いますが、車体に付着する可能性も十分にあるので、こうしたところは組み立て時にしっかりとチェックしてほしいものです。
それはともかく、以前(3年前)に塗り替えた未更新車(KATO製品)との並びを。
ロングセラーのKATO製品はモールドがゴツく、実車の鈍重さが良く表れていると言えます。一方、最新技術の結晶であるTOMIX製品はすっきり繊細に仕上げた印象を受け、屋根のRはこちらがより忠実であるように思います。
同じ車両でも後々から優れた製品が出てくるのは模型の宿命でもありますが、どちらの製品にも良いところがあり、今後はそうしたメーカーごとの長所を生かした模型製作をしていきたいものです。
こちらも以前製作した豊岡色更新車(KATO製品改造)との比較。
窓枠はボディ側にパテ盛り整形で表現したものですが、製品では窓ガラス側に再現されており、上下の幅も若干狭くなっています。この辺りは解釈の分かれるところですね。
新規に製作された床下機器は流石TOMIXの気動車シリーズと言うべきか、自作の技量ではどうしても限界があり、従来の製品ならば「部品共用の為~」と省略されていた部分を的確に再現してくれたのは非常に嬉しいところです。それは同時に今後展開されるカラーバリエーションへの確かな布石とも読み取ることが出来るでしょう。
キハ47は顔の変化を付けたかったので、0番台はスカートをキハ58系用のものに換装、タイフォンも大型シャッターの初期型である16番としてみました。
近年の実車は豊岡→鳥取→山口→下関と転属を重ねており、豊岡色のまま鳥取に転属して間もない2006年12月に偶然その姿を捉えております。
06/12/16 山陰本線泊~青谷
現在でこそ屋根上にクーラーが取り付けられていますが、この当時は床置きで、屋根上は水タンクのみのすっきりとした外観でした。更新工事の際にどういった経緯で未更新時代のまま床置きで存置されたのかは分かりませんが、数多く施工された同車への更新工事ですから、おそらく試験的要素もあったのではないか…と勝手に推測しております。この辺りは詳細な資料が欲しいところです。
余談ながら、この写真を撮った当時は高校1年生。有名撮影地と言えども(だからこそ?)駅からの徒歩アクセスはそれなりに時間を要したことを覚えています。また同日はジョイフルトレインの「ほのぼのSUN-IN」が走り、かつての山陰を知る生き証人がまだ細々と生きながらえていた時代でもありました。
側面の行先表示器は印刷で表現されていますが、実車は側面から少々出っ張っているので富士川車輌工業のステッカーを上から貼り付け。行先は山陰線でも山口線でも使えるように「益田」としました。見る機会の多さから言えば芸備線も捨てがたいところで、残るキハ40の1両は「三次」にでも設定しようと思います。(^^;
ともあれ、現在の山陰・中国地方のローカル線を再現する上で、キハ120形と合わせて欠かすことの出来ない同車が製品化されたことで、製作意欲を刺激されたのも事実。
相変わらず製品化の「穴」となっているこの車両や、
いったん完成したものの、塗装の出来が気に入らずに解体してしまったこの車両や、
急行廃止と共に潔く去ったこの車両などを、そろそろ作っていきたいものです…。
それにしても、広島色の黄色はレイアウト上で映えますね。
今回の導入を契機に西日本の気動車を増強し、地域色が台頭して趣味的にはとてもおもしろかった、でも自分はお金がなくてあまり通うことはできなかった、90年代後半~ゼロ年代などを再現出来ればと考えています。
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