Kanedaiのブログ

ぼくの きょうみのあること おもったこと

軍事費など必要なし

2023年01月24日 | Weblog
岸田よ
支持されていない分際での
あなたの暴挙を認めない
何が税金で軍事費増だ?
武力を放棄し、戦争はやらないと誓ったのに
なぜ平然と破る?
金のない国民に平和を捨て、税を負担させる?
お前ら自民党のやることは
滅茶苦茶だよ
コロナのせいでも
ウクライナ侵攻のせいでもない
ただ現政権の愚策の尻拭いにいつも
国民が巻き込まれているだけなんだよ
日本の没落の本質は
日本の狂った政治を
狂った国民が支持しつづけている
ただそれだけたんだよ

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思うこと

2023年01月20日 | Weblog
トレーニングの時や
仕事の時や
まだ 頑張れるのに
余力を残して終わってしまったとき
もう一人の自分はしっかりと気づいていて
何か悔いが残ったりするのである
無理しない・・とか言い訳を
自分に言い聞かせたりするのだが
もう一人の自分が 
それで本当に納得がいくのか?と
聞いてきたりするのである
つまるところ
一日一日を頑張った
納得がいった
そうやって生きる日が多いと
なんかスッキリするのである
生き方は ひとそれぞれ自由だが
僕は 剣道で汗びっしょりで終わった時のような
臭いけど 痛いけど 道場は寒いけど
納得できた瞬間があると
一度きりの人生の中
ある一日で 一つ喜びが増えた気分になるのである 

さて 
先ほど ニュースを見ていたら
グーグルの親会社アルファベットが
12000人の人員削減計画だそうだ
youtubeの収益化が最近厳しくなっている話をよく聞くが
結局水商売だったんだな
と 改めてうなづいた
子供がなりたい職業とかいうけれど
結局 youtube自体の運営が危うくなれば
取り分は会社側を優先するのだろう
youtuber労働組合でもあれば
本気で動画投稿を仕事にしている人は安心だろうが
12000人の解雇を平然と行うような会社であれば
そもそもyoutuberの収入を守ることなど
全く考えていないのだろうな
アメリカの仕事の感覚、労使の関係って
そんなものなのだろう

悪い文化をグローバル化や
アメリカの作ったプラットホームによって
安易に取り入れてしまうのだから
従属国日本は本当に愚かだよな

あーあ
以前は 孫さんが巨額の資産消滅
今回はイーロンマスクが20兆円以上もの資産が減り
次はベゾスかな・・
何か滅茶苦茶だな
莫大な富を得たものは
そういう運命にあるのかな
結局 まじめに コツコツ
納得のいくように
キリギリスではなく
アリのように生きる
マラソンの時のように
苦しくても近道を探さず
歯を食いしばって一歩ずつ進む
ぼく個人の考えであるが
一度きりの人生
そうやって
生きることが大切なんだな

剣道の道場で
神前に礼をする時に
そうやってまじめに生きろ 
と神に見つめられているような感覚が
常にあるのである
そんなことを思いながら
昨日 小手を打たれてとても痛かったな
と振り返る今宵である

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徒然なるままに

2023年01月06日 | Weblog
昨年の大晦日には
野麦峠へスキーへ行った
夜は 紅白と
ゆく年くる年を見て
近所の神社まで2年参りをした
夜の神社の雰囲気は
子供の頃を思い出す
羽村の稲荷神社
大人が酒に酔い賑わっている雰囲気
・・懐かしい
さて 今日は1月6日
今年になって既に6日が経過した
色々思うことがあった
○右ふくらはぎの肉離れはなかなか治らない
年をとると傷みやすく治りづらい 実感する
昨年は運動はほとんどランニングだけだったが
今年はジムなどにも通って体を整えながら
マラソンに挑もうと思う
○スキーについてだが
技術でカバーできる部分もあるから老体でも続けられそうだな
そう思うのである
○娘は間も無く受験 家族の協力が必要 
でも大騒ぎでテレビを見ている毎日 
昭和の空気で現代を生きる一家庭を自覚
○年末年始に撮っているカメラは
富士フイルムのカメラで最近のお気に入り
○聖高原スキー場の帰りに寄った
ホテルの日帰り入浴は誰もお客さんがいなくて
家族風呂のようで随分くつろげた
○今履いているズボンは約30年前
高校生の頃に買ったパタゴニアのズボン 
長く使えるって 嬉しいし誇らしい
○昨年末に長男が自身で前髪を切って
本当に面白い髪型になっている
本人のこだわりがあり
床屋で修正する気は全くないようだ
○ブラックでも文句 ホワイトでも文句
職場環境というのは灰色の世界が適切なのか
○明日は三九郎(どんど焼き)
この行事を経験して
もう何年目になるのだろう
コロナでやれない時もあったが
毎年行われる
この風習については 正直どうでも良い と思ったりもする
僕は学生時代
高校・大学では片道2時間の通学時間を列車に揺られ
学業や部活などはやったが
毎日毎日の大体同じことの繰り返しで
大人になったらまっぴら御免だ そう強く思っていた
そんな同じことの繰り返しが
例年の行事においても 重なるような気がするのである
子供にとっては新鮮だろうから 一緒に取り組むが
正直 僕にとっては
新しいこと やったことの無いこと
そういう事に目が向く自分がいる
僕の先祖は木から降りた
僕は木にい続ける猿ではない
だから 伝統行事の繰り返しはもういい 
一度きりの人生で
見たことのないものを見たいし
経験したことのないことを経験したい
そう思ったりもする
年を取ると恒例行事について
妙に落ち着くこともあるけれど
恒例行事に はまり込むことは
老いて身体が硬くなるのと同時に
頭が硬くなるのを促してしまうような・・
そんな思いになるのである
同じことを繰り返し述べているような文章だが
簡単にいうと
継承、保守は僕自身全くそぐわない
どうせ死ぬんだし 
もっと自由にさせてくれ
ただそれだけである
○追伸、妻は元旦も2日も仕事だった・・・ご苦労様です

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