□作品オフィシャルサイト 「青天の霹靂」
□監督・脚本 劇団ひとり
□キャスト 大泉 洋、柴咲コウ、劇団ひとり、笹野高史、風間杜夫
■鑑賞日 5月25日(日)
■劇場 109CINEMAS川崎
■cyazの満足度 ★★★☆(5★満点、☆は0.5)
<感想>
タイムスリップものとしては、さほど大きな感動も無く、
むしろ、キャストの大泉 洋と劇団ひとりが食い合うような立ち位置にあり、
逆に劇団ひとりでないキャスティングが良かったような気もしたのだが・・・。
ただ、この親にしてこの子あり・・・そのまた逆も真なり(笑)
原作は未読。 以前彼の書いた小説で映画化された『陰日向に咲く』は
なかなか面白い作品だった。 今回は自らの小説で監督デビュー。
39歳の売れないマジシャンの晴夫(大泉 洋)は、母に捨てられ、父とは絶縁状態。
ある日、父の訃報を聞いて絶望した晴夫は、気がつくと40年前の浅草にタイム
スリップしていた。 そこで若き日の父・正太郎(劇団ひとり)と母・悦子(柴咲コウ)と
出会う。 今では当たり前のスプーン曲げも、40年前といえば、まだユリ・ゲラー・
ブームの前。 一躍人気マジシャンになった晴夫は、なんと父とコンビを組むことに。
やがて母の妊娠が発覚し、10カ月後に生まれてくるはずの自分を待つ晴夫は、
自身の出生の秘密と向き合うこととなる。
自分の誕生や生い立ちをリアルに見られれば、そして両親がどんな風に出会い、
どんな恋愛をして、自分が産まれたのだろうって、ふとこの映画を観ながら考えていた。
今、認知症の両親にそのあたりの記憶が果たして残っているのだろうか。
どんな人生を送っても、たとえ父・母がそばに居なくても、ある程度成長して大人に
なれば、時間が解決し、許せることも出てくるだろう。
ただ、自分が愛されてなかったという現実を突きつけられ無い限り、
現在の自分を受入れ、過去を否定することもなくなるだろう。
そんな人生も、ひとつの人生には違いない。
冒頭に書いたが、オヤジ役は劇団ひとりが演じない方が良かったかも。
そしたらもう少し泣けたかも(笑)
デンディングに流れるミスチルの「放たれる」はいい具合だったけど~
ミスチルの「放たれる」がはよ聞きたいという理由だけで
見に行ったわけで。(^_^;)
歌よかったな~うた。(おい)
堂本兄弟で劇団ひとりと大泉洋がでてたときに
ミスチルの主題歌ができあがるまで
かわりに使っていたという「365日」をふたりで
歌ってました。
大泉洋が歌うのもええわ~・・・(めっちゃ余談でした)
とことんやなオヤジという意味では
劇団ひとりの演技はアリ。
でも、戻ってきてからのラストシーンが
イマイチだったな~・・・あれ必要かな。
>歌ぁよかったな~うた。(おい)
こらぁ~(笑)
>大泉洋が歌うのもええわ~・・・(めっちゃ余談でした)
ふたたび・・・、コラァ~(笑)
>でも、戻ってきてからのラストシーンが
イマイチだったな~・・・あれ必要かな。
ま、作り手(自分)が必要だと思ったんでしょ、きっと(笑)
原作者+芸人の悲しい性かな(チャンチャンっと)
ちょっと素人臭い場面でしたね。
年老いた父親も ちょっと浮いてるし...。
すっごい期待はしていなかったんですが、せめて 母が観て面白いと思えるくらいの
出来であって欲しかったなって、ちょっと残念。
>ラストシーン、途中から若い頃の姿に変わるけど、
ちょっと素人臭い場面でしたね。
年老いた父親も ちょっと浮いてるし...。
この辺は作者であっても、映像として創り出す監督が
素人ですから(笑)
>せめて 母が観て面白いと思えるくらいの出来であって欲しかったなって、ちょっと残念。
なるほど。
回顧物はやはり涙したいですしね^^