④ 退去命令の問題点
Ⅰ
退去命令については,「命令の効力が生じた日から起算して2週間,被害者と共に生活の本拠としている住居から退去すること」と定められている(10条2号)。
退去命令の有効期間を2週間とした理由は,
「『住居からの退去』の保護命令は,配偶者をその生活の本拠としている住居から一定期間退去させて被害者を保護するものですが、長期間にわたる退去を内容とする命令が発せられると、配偶者の居住の自由や財産権の行使等に関して不当な損害を及ぼすおそれがあることから、配偶者に退去を命じる期間は、2週間としました。」
とされており、あるいは
「保護命令は、保護命令を受ける者の基本的人権を侵害しないのでしょうか。」との設問に対し、
①保護命令は、配偶者からの暴力の被害者が更なる配偶者からの暴力によりその生命又は身体に重大な危害を受けるおそれが大きい場合に発せられるものであること、
②保護命令は、一定の期間を限定して発せられるものであること、
③住居からの退去について
も,期間がきわめて短期間であり、かつ,保護命令を一受ける者の所有権等の実体的な権利に変動を及ぼすものではないこと、
④相手方の権利保護のために手続保障に関する規定が設けられていること、
を理由に,基本的人権を侵害しないとの見解が示されている。
また、立法過程における議論では、
「そもそも、暴力を受けている被害者の方がなぜ逃げなくてはならないのか、加害者を住居から出すことによって、被害者が逃げないでも通常の生活を送れるような選択肢もあってもよいのではないか」「退去命令は実体上の権利に影響を及ぼすものではないので、被害者の生命・身体の安全を守るため、一定期間に限って暫定的に加害者を住居から退去させることは、憲法に抵触しない」
との意見が出されたものの、退去命令が長期間に及んだ場合には財産権や住居の自由等、加害者の権利の制約に係る憲法上の問題点が生じる懸念があること、加害者が退去命令発令によりかえって逆上し被害者の安全確保ができなくなることを考慮し、加害者の権利の制約と被害者の生命・身体の安全についてぎりぎりの調整を図った結果、最終的に期間を2週間に限定することで退去命令を明記することになった、とされている。
そして、退去命令の期間が2週間になったことから、退去命令は,加害者を退去させることにより、被害者が、逃げも隠れもせずこれまでの住居で通常の生活を送れるためのものから、加害者と同居していた住居を去るための準備をする期間へと、実質的意味合いが変わってきたとされている。
以上のような立法担当者による説明、立法過程における議論からは、退去命令における2週間という期間は、退去命令による権利侵害を考慮した上で、ぎりぎりの線で定められた期間であることが窺われる。
Ⅱ
ところが、この2週間という期間に対し、立法当初から短すぎるとの主張がなされている。一例を示すと,「『退去命令』に至っては2週間という短さである。2週間あれば,被害者が荷物をまとめて逃げることができるだろうという発想のようだ。これでは本末転倒であろう。……2週間の退去命令期限後に加害者からの暴力の危険を避けようとするならば、やはり被害者のほうが、退去命令の2週間以内に逃げなければならないことになる。」
というものである。前記新聞記事にも同様の見解が示されており、このような意見を踏まえ、現在進められている改正作業においては、退去命令期間を2か月とし、裁判所はその期間を短縮することはできないが(これは現行法においても同様である。)、新たに退去命令の取消制度を設ける(現行法においても、17条に保護命令の取消制度は設けられているが、これは接近禁止命令〔10条1号〕についてのみである。
現行の退去命令については、期間が2週間に限定されていたため取消制度の対象外とされている。)とのことである。
Ⅲ
ア
現在、退去命令の発令の可否について実際に審理する者の率直な意見として述べるのであれば、現行の2週間の退去命令を発令するに際しても、相当の戸惑いを感じ、それゆえ、一定の暴力の存在が認められれば、接近禁止命令については比較的容易に発令できるものの、退去命令については,より程度の高い暴力の存在と、退去命令の必要性を慎重に勘案した上で発令の可否を決定しているのが実情である。
それは、退去命令が出された後の退去期間中の相手方の居住場所について、何らの手当てもされていないからである。近くに実家,知り合いの家など身を寄せる場所があればよいが、全ての相手方がそうできるわけではない。宿泊施設に滞在するにしても,2週間という期間を全てそれでまかなうとすれば,相当の出費を余儀なくされる(一日数千円の宿泊費とみても,2週間の合計では5万円を超えることになる。)。
実際のところ,これまでの審理に携わった筆者の経験からすると、相手方の多くは、近くに頼れる身内等もなく(家庭内暴力を引き起こす当事者は,人間関係形成に問題がある者が多数であろうから、その点は当然の帰結ともいえる。)、低収入という状況にある。
このような状態で退去命令を発令した場合、犯罪(窃盗など)等の二次被害も懸念される。実際、先ごろ筆者が出席した司法研修所での研究会での意見交換では、70歳を超える相手方に対して退去命令を発令する際、福祉機関を通じて相手方の行き先(福祉施設)を予め確保した上で発令したとの事例や、退去命令発令後に相手方が自殺するに至ったとの事例(ただし、この事例については、相手方に性格上の問題があったとのことである。)が紹介されている。
イ
本法律の立法作業において憲法上の問題点が検討されたことについては前記のとおりであるが、そこで指摘されているのは、居住の自由(憲法22粂1項),財産権(同法29粂)との関係である。
従来の議論において、これらはいずれも経済的自由に属する権利とされ、公共の福祉を理由とする制限が行われやすい権利とされていたが、近時の学説においては,居住の自由については精神的自由の側面も有しており、この点を重視するならば、その制限についてはより慎重な検討をするべきとの主張がなされている。
しかし,退去命令の合憲性,とりわけ今回の改正作業で検討されている2か月間の退去命令についての合憲性を検討するのであれば,むしろ憲法25条1項(生存権)との関係を検討するべきではないか。
同条は,「すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定している。憲法25条の性質を巡っては、これまで,プログラム規定説、抽象的権利説、具体的権利説といった説が主張されているところ、判例は、当初、憲法25条1項の法的性質について、「国家に対して具体的,現実的にかかる権利を有するものではない」(最判昭23.9.29刑集2巻10号1235頁)と判示して、その具体的権利性を否定し,その後も同様の裁判例が続いたが、いわゆる朝日訴訟の最高裁判決(最判昭42.5.24民集21巻5号1043頁・判タ206号204頁)において、憲法25条1項の解釈について、上記判例を引用した上で、
「ただ,現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し,法律によって与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には,違法な行為として司法審査の対象となることをまぬがれない。」
として、同条は,一定の条件の下でではあるが,裁判規範としての効力を有する旨判示した。さらに、その後のいわゆる堀木訴訟においても,前記昭和23年9月29日判決を引用した上で、「憲法25条の規定の趣旨にこたえて現実的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるを得ないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない。」と判示した(最大判昭57.7.7民集36巻7号1235頁・判夕477号54頁)。
このような一連の最高裁判例によれば、憲法25条1項は、原則として裁判親範性を有しないが、立法が著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるを得ないような場合には、例外的に裁判規範性を有し、違憲と判断される可能性があることになる。
本法律における、あるいは今後改正が予定されているとされる退去命令は、この例外に該当する可能性はないであろうか。
(続く)