COCCOLITH EARTH WATCH REPORT

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映画カウントダウンZEROを見て

2011-09-15 15:42:29 | Weblog

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 はしがき
 1.核兵器の存在意義の変化
 2.映画が制作された経緯
 3.場面と証言の一部の紹介
 あとがき
 追記:映画館での上映予定
 追記2:朝日新聞夕刊に「核に別れを」の連載記事

はしがき
 標記の映画を見てきた。原作名は”COUNTDOWN TO ZERO”で、核兵器の廃絶の必要性を強く訴えかけた注目作である。従来の反原爆映画の多くは、破壊力の甚大さと深刻な放射線被ばくの実態を映像や証言で示し、人道的立場から核兵器の廃絶を訴えるものであった。しかるにこの映画は、元国家元首、政治家、軍関係者、学者など様々な分野の人物から取材した夥しい数の証言をもとに、管理ミス、情報の誤認、テロ攻撃での使用などにより爆発が起こり、人類の生存そのものが脅かされる可能性に警鐘を鳴らす。そして、人類が核兵器で滅ぼされる前に、核兵器をZEROにすべきだと強く訴えかける。あの『不都合な真実』が人々の環境問題に関する意識に大きなうねりを引き起こしたように、制作者たちはこの映画が人々の間に、核兵器に関して大きな意識改革をもたらすことを期待している。一度や二度見ただけで全貌を把握するのは困難であるが、映画館で購入したパンフレットを参考に、核兵器の存在意義の歴史的変化、映画制作までの経緯を述べてから、場面や証言の一部を紹介し、あとがきで考察を加えたい。

1.核兵器の存在意義の変化
 第二次大戦終結後まもなく始まった冷戦時代は、米ソ両超大国の核戦力の均衡で平和が保たれた。この間に英、仏、中国、南ア、インド、パキスタン、更には公然の秘密としてイスラエルが核兵器保有国に仲間入りし、21世紀に入ってからは北朝鮮が核兵器保有を宣言、イランも核兵器開発の疑惑が持たれている。
 1986年にアイスランドのレイキャビクで開かれた米ソサミットで、冷戦時代は終結を迎えた。この映画によると、レーガンアメリカ大統領とゴルバチョフ旧ソ連共産党書記長は核兵器廃絶にも前向きであったが、実現するには至らなかった。核保有国が増えた分、問題は複雑化していた。その後は北朝鮮の核保有や、核分裂性物質の入手を目論むテロリストたちの出現によって、状況は一層複雑になった。盗難された精製ウランやプルトニウムがテロリストたちに流れ、核兵器が製造される怖れが現実のものとなりかねない状況にある。オウム真理教団も核兵器に食指を伸ばしていた。
 若しテロリストが核兵器を手にしたら、必ず使うと考えられている。彼らは国家単位では行動しないから、冷戦時代で想定されていた報復攻撃は抑止力にならない。加えて、旧ソ連の核を引き継いだロシアにおけるずさんな管理が憂慮されるうえ、一見完璧そうに見える米軍でも様々な事故が起きていた。戦略情報の誤認、管理ミス、テロ攻撃などで核爆発が起きる可能性は想定内にある。

2.映画が制作された経緯

 この映画の制作は、2007年にマット・ブラウンがローレンス・ベンダーに、核拡散の脅威に関するドキュメンタリー映画制作の可能性を相談したことから始まった。ベンダーはあの『不都合な真実』のプロデューサーを務めた人物である。ブラウンは、2000年に創設されたワールド・セキュリティ・インスティテュート(グローバルな問題の調査、報道に当たる独立系シンク・タンク)会長のブルース・ブレアとこの種のドキュメンタリー映画製作の構想を練ってきていた。ベンダーはブラウンの考えに賛同し、二人は詳細な提案書を作成してパーティシパント・メディア社に持ち込んだ。パーティシパント・メディア社は社会的価値のある多くの作品の制作を手がけており、その代表例がアル・ゴアとベンダーが組んだ『不都合な真実』である。制作チームが協力して作品を作り上げるために、エネルギッシュな若い脚本家・監督のルーシー・ウォーカーが監督に起用された。ベンダーは制作、ブラウンとブレアは他の二人と制作総指揮を担当した。ウォーカーはこのテーマに即座に関心を持ち、それまでの調査結果を検討し、長期にわたる国際的専門家、学者、政治家たちとのインタビューに取り掛かり、84名の映像入りインタビューと、100人の映像なしのインタビューを入手した。

3.場面と証言の一部の紹介
ミサイル発射ボタンを巡って

ジミー・カーター元アメリカ大統領「もしソ連がミサイルを発射したら、ICBMなら発射されてからアメリカ到達まで26分、考える時間はそれだけでした」。
ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連共産党書記長・元ソ連大統領「我々はいつでも反撃態勢にありました。ミサイル攻撃を察知すれば、取るべき対策を決めます。ただ考える時間はほんの数分間でした」。
アイラ・ヘルファンド社会的責任を果たすための医師の会役員「1995年1月25日、アメリカはオーロラ観測ロケットをノルウェーから発射、ロシア政府に伝えましたが、情報が行き渡りませんでした。そのロケットが探知されると、核弾頭と思われました。ノルウェー沖の米原子力潜水艦が発射したものだと。・・・・担当官がエリツィン大統領に発射ボタンを差出し,『我が国は攻撃されています』というと、エリツィンは5分間で決断を下しました」(この時エリツィンは何かの間違いだろうとボタンを押さなかった)。
核兵器管理が厳重な筈のアメリカでも様々な事故があった
スコット・セーガン(スタンフォード大政治学者)「1961年、ノースカロライナ州ゴールズボロ上空でB52爆撃機が空中分解し、二つの核弾頭が落下した。一方のパラシュートは正常に機能したため、爆弾は軽いダメージを受けただけで無事だった。だが、もう一方のパラシュートは開かなかった。その爆弾が地上に落ちた時.6つある安全装置のうち5つが故障した。核爆発を防いだのは、たった一つのスイッチだった」。

1990年代初め、ロシア海軍基地で起きた事件
マシュー・バンハーバート大学準教授「海軍の職員が親戚の者に、その基地のどこに高濃縮ウランが保管されているかを話したんだ。その親戚は警備フェンスに開いていた穴から入り込み、だれの目にも物置小屋としか見えない建物に行き、鉄の棒を使って南京錠を壊した。警報も鳴らなかったし、彼が見つかることもなかった。この事件を担当したロシア軍の検察官は、『ジャガイモですら、もっとしっかり保管されている』と言った」。

盗まれた核分裂性物質の行方
ローレンス・スコット・シーツ(作家)「グルジアはロシアの南側国境に沿って位置しているため、天然の交通路になっている。アゼルバイジャン、イラク、イラン、トルクメニスタン、アフガニスタン等々へ運ばれる。高濃縮ウランなどが、ここを密かに通って行くんだ」。
グルジア共和国核物質捜査主任「捜査を開始したとき、我々はグルジアがあらゆる密輸業者にとって天国であることを知った。2003年6月、一人の密輸業者が逮捕された。彼が所持していたのは高濃縮ウラン180gで、密輸先はイスタンブールだった。2006年8月1日には、1kg近くのイエローケーキ(精製ウラン鉱)を密輸しようとした者がいた」。
バレリー・プレーム・ウイルソン元CIA秘密工作員「アルカイダは何としても核兵器を入手しようとしています。90年代初め、彼らはスーダンで高濃縮ウランを買おうとしましたが、詐欺に遭いました。9.11の直前、オサマ・ビン・ラディンと彼の副官のザワヒリが、パキスタンの原子物理学者二人と会い、核兵器について話し合ったことを私たちは把握しています」。
R・スコット・ケンプ(プリンストン大学物理学者)「今は2010年、高濃度ウランはどの国でも入手でき、手に入れば簡素な核爆弾が作れます。テロリストですら爆弾を作ることができる」。

パキスタンからの機密情報漏えい
ジョー・シリンシオーネ(ブラウンシェアーズ財団会長)「A. Q. カーンは、イランや北朝鮮、リビアに接触。技術だけでなく、パキスタンの核爆弾設計書もおまけとして渡しました。24時間技術サポートを約束し、『困ったら無料ダイアルへ』とフルサービス体制でした」。
(註:パルヴェーズ・ムシャラフ元パキスタン大統領は、カーンについて質問しない条件でインタビューに応じたという。)

核兵器廃絶へ向けた提言
F. W. デクラーク元南アフリカ大統領「南アフリカでは政策を180度転換しました。私が大統領になった時、南アフリカは6発の核兵器を保有、規模で言うと広島で使用された爆弾とほぼ同じです。私は核開発を取り止め、我が国は再び核非保有国になりました」。
トマス・ダゴスティーヌ(国家核安全保障庁)「核の安全を守る鍵は、核物質にあります。簡単なことですが、核分裂性物質の高濃縮ウランやプルトニウムがなかったら、核兵器は作れません」。
リチャード・ザイジック牧師「昔は敵が使わないよう核兵器を持ちました。しかし現在の世界では、保有していれば誰でも使う恐れがあります。核兵器があってもいいことはない。価値はないね。全部破壊すべきだ。私たちは考えを変えなければならない。考えを変えなければ、生き残ることはできない」。
ジョン・F・ケネディ大統領(当時)「我々は糸でぶら下がった核の下にいる。核兵器に滅ぼされる前に滅ぼすべきだ」。

あとがき
 その非人道性ゆえに核兵器廃絶を唱えても、それによって大勢の命が救われたと確信している多くのアメリカ人をなかなか納得させにくい。この映画のように、核兵器の存在そのものが自分達の生存を脅かすと訴えた方が、より説得力がありそうである。関わりのある集団や国の数が少なければ、合意形成の可能性が高かろう。

 2009年12月、世界の政治や軍事、経済、市民活動などの有識者およそ100人が、パリで核兵器の廃絶を目指すグローバル・ゼロ運動を創設し、「アメリカとロシアの大規模な戦略兵器削減を先行させる、核兵器の段階的で検証可能な廃絶への道筋」発表した。この宣言には、旧ソ連のミハイル・ゴルバチョフ元大統領やスウェーデンのカール・ビルト外相、ジミー・カーター元米大統領、バングラデシュのノーベル平和賞受賞者ムハマド・ユヌス氏らが署名した。アメリカとロシアが核のない世界に責任を持つという合同発表(2009年4月11日)、オバマ大統領が「世界が新たな方向に踏み出す時期が来た」と語った国連総会での演説(同年9月23日)、翌日の国連セキュリティ・サミットでの全会一致の核兵器廃絶の採決はいずれも、グローバル・ゼロの構想に沿ったものである。また、過去40年間、アメリカの外交と防衛に携わったジョージ・シュルツ元国務官,ビル・ペリー元国防長官、ヘンリー・キシンジャー元国務長官、サム・ナン元上院議員によって核、生物、化学兵器による世界的脅威の低減を目指すNuclear Threat Initiative (NTI)も立ち上げられている。影響力のある要人たちからのメッセージは、核廃絶への追い風になっている。

 パンフレットにあったウォーカー監督の話によれば、レイキャビク・サミットでレーガンアメリカ大統領が「すべての核兵器をなくしても私は構わない」と言ったのに対し、ゴルバチョフは、「私たちはそれができる。すべてをなくすことができる」と応じ、同席したアメリカのシュルツ国務長官が「やりましょう」と叫んだという。最近機密解除された公式メモの中で、レーガンは会話の続きとして10年後に彼とゴルバチョフがそれぞれの国から最後の核ミサイルを持ってアイスランドで落ち合い、全世界のためにパーティーを開いて、最後のミサイルを破壊すると語ったそうである。この映画がイスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮、そして或いはイランのような国々で、どのように受け止められるかについては楽観的にはなれない。しかし、核抑止力に固執している権力者層と庶民レベルでは、受け止め方が違う可能性がある。

 核兵器廃絶を唱える動きは、このブログで紹介した仙台平和七夕のように、方々から寄せられた夥しい数の折り鶴で吹流しを飾って願いを託する素朴なものから、様々な国内・国際市民団体、広島市を要とした都市間の連携により、2020年までに核兵器廃絶を目指す世界平和市長会議、上記のグローバル・ゼロやNTIなど多様である。それらが連携、補完しあって、一刻も早く核兵器廃絶が達成されることを願っている。
 なお、平和市長会議については、当ブログのノーベル平和賞受賞者世界サミット 公開討論会で発信されたメッセージの「3.平和市長会議への期待」に、秋葉前広島市長による分かりやすい説明がある。

追記:映画館での上映予定
この映画は国内で大々的に宣伝・上映されていないようである。新宿武蔵野館で、朝10時20分から90分の一回のみ、TOHOシネマズ日劇で20時25からのみなどで、いずれも9月上旬までのようである。その後他の地区での上映が予定されているので、こちらのサイトを参考にされたい。

追記2:朝日新聞夕刊に「核に別れを」の連載記事
 朝日新聞夕刊第一面下段のニッポン人・脈・記に、吉田文彦論説委員の担当で「核に別れを」と題した連載記事掲載されている。9月2日の第一回目は『プラハは一日にしてならず』の副題で、オバマ演説の草稿を練ったゲーリー・セイモアに関する記述であった。その後も核兵器廃絶に向けて国際舞台で奔走している識者たちに関する記事が掲載され、8回目の15日には、この映画の制作総指揮に加わったブルース・ブレアについて書かれている。16日(金)で第9回目になった。

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