特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

失然得然

2015-08-29 11:27:18 | 特殊清掃 消臭消毒
もうじき9月。暦は秋。
このところ曇雨が続き、つい先日までの酷暑がウソのように過ごしやすくなっている。
過去形にするには早いような気もするが、今年の夏も暑かった!!
晴天の日などは当り前のように35℃を超えてくる。
その下での肉体労働なわけだから、もう、身体の芯が燃えているような感じ。
自分の身体がエンジン付の機械みたいになる。
とにもかくにも、熱中症には気をつけなければならない。
単独作業の場合は特に。
ただ、作業を始めると休憩するのが面倒臭くなる。
装備の脱着がいちいち面倒なのだ。
とは言っても、自覚症状がでてからでは遅い。

熱中症だったのかどうか・・・7月のある日のことだった。
あまりの暑さに食欲は減退。
そうは言っても、食べないとバテる。
咽通りのいいモノを食べようと、夕飯に盛そばを食べた。
ところが、直後から腹に満腹感とは明らかに違った不快感を覚えはじめた。
そして、それは夜が更けるとともにひどくなり、そのうち吐き気をともなうように。
結局、その日は、夜通し“吐いてはうなされ”“うなされては吐いて”を繰り返し、ろくに眠ることができずヘロヘロになってしまった。
ただ、朝がくれば、約束の仕事に行かなければならない。
私は、その日もフラフラの状態で現場に出て、何度も座り込みながら小刻みに作業を進めた。

幸い、それ以上の大事にはならず、2~3日後には復調したが、あらためて痛感した・・・
・・・健康の大切さ、ありがたさを。
しかし、日常の自分は、健康を当り前のモノのように思ってしまう。
・・・ていうか、普段はまったく意識しないで生活している。
感謝の念をもって大事に!大切に!しなければならないはずなのに。



現地調査の依頼が入った。
依頼者は中年の男性。
時間厳守主義の私は、例によって約束の時間より早く現場に到着。
依頼者が現れるまで待機しているつもりだった。
が、既に、現場マンションのエントランス前には依頼者らしき男性の姿。
男性も、自分の目の前を徐行する私の車を注視し、私と視線を合わせてきた。
私は、軽く会釈をしながらそのまま通り過ぎ、ケータイと車の時計に間違いがないか確認。
遅参ではないことに安堵しつつ急いで近くの駐車場に車を入れ、男性のもとに駆けていった。

私は、ありきたりの挨拶を交わして後、事の経緯と現場の状況を質問。
男性は、何かに怯えたかのように、その表情を固くしながら私の質問に応えてくれた。
亡くなったのは男性の弟で、マンションは故人の所有。
独身だった故人は、入居以来ずっとそこで一人暮らし。
発見は、死後約三週間。
それなりに腐敗が進み、警察の霊安室で確認した遺体は無残な状態だった。

故人宅の玄関前に異臭の漏洩はなし。
男性は開錠の後、後ろに立つ私に道を譲った。
先を入れ替わった私は、誰に言うわけでもなく「失礼しま~す」とつぶやきながら玄関ドアを少し開け、頭だけを中に入れた。
すると、例の異臭が私の鼻を直撃。
油断していた私は、弾けるように上半身をのけ反らせた。
そして、外に異臭を漏らしてはならないため、すばやくドアを閉め、慌てて依頼者のほうへ振り返った。
そして、室内がかなりヒドい状態になっていることと、一緒に入るかどうかの判断は男性に任せる旨を伝えた。

「両親に状況を話さなくてはなりませんし、持ち帰りたいモノもあるので・・・頑張って一緒に入ります」
男性は、故人の死を悼んでか、死痕に恐怖してか、固かった表情を更に強ばらせてそう言った。
そして、どこにでも売っているようなマスクを着け、目で私に“準備OK”の合図を送った。
それを受けた私は、薄いマスクしか持たない男性に申し訳ないような気持ちを抱きながら専用マスクを装着。
再びドアノブを引いて、室内に身体を滑り込ませた。

汚染痕は、寝室を入ってすぐのところにあった。
私にとってはミドル級だったが、男性にとってはスーパーへヴィー級だと思われた。
マスクを浮かせて確認すると、やはり異臭は高濃度。
が、それに反して、ウジ・ハエの発生は「まったく」と言っていいほどなかった。
寒い時季でもなかったうえ、発見がかなり遅れていたにもかかわらず。
私は、そのことを不思議に思ったが、その答を探すのは時間と頭の無駄。
とにもかくにも、虫がいないことは私にとって幸いなことなので、それはそれで単純に受け止めることにして、汚染痕の傍にしゃがみ込んだ。

私は、汚染痕とその周辺を見渡して、死因が自殺であることを推察。
もちろん、断定はできないけど、直感的にそう思った。
しかし、故人の死因を探ることは、仕事上、必要なことではない。
男性から告げられれば受け止めるけど、自分から訊ねることはしなかった。

検分を終えた私は、遺体汚染部の特殊清掃について、作業内容・所用時間・費用等を男性に説明。
話を聞いた男性は、私の説明に納得してくれたようで、その場で私に特掃を依頼。
私は、そのまま作業に入ることにし、早速、仕度にとりかかった。
一方の男性は、汚染箇所を避けながら部屋の各所を写真に撮り、その後、持ち帰るモノのチェックを始めた。

作業中、男性は、時折、私に近寄ってきてはその作業を見守った。
私は、背後から感じる視線と小さく聞こえる独り言に男性の悲哀を感じながら、そして、故人に同志的な同情心を抱きながら、無言で作業の手を進めた。
本来なら、場の空気が煮詰まらないよう、テキトーな社交辞令を交わすところなのだが、男性と故人の会話に割って入るような不躾さを覚えたので、私は、とにかく黙っていた。

一通りの作業を終えると、フローリングに若干のシミが残留したものの、ほぼきれいになった。
時間に限りがあったため限界はあったが、異臭濃度もだいぶ低下した。
しかし、男性は、寝室には入りたくない様子。
それでも、遺品チェックはしたいよう。
悲哀感なのか、恐怖感なのか、嫌悪感なのか・・・何がそうさせるのか男性自身にもわからないようだったが、結局、私が男性に代わって寝室の遺品チェックをすることに。
男性は、申し訳なさそうに寝室のドア前に立って私の作業を見ながら、自分に言い訳をするように故人のことを話し始めた。

故人は40代半ば。
大学を卒業以来、一つの会社に勤めていた。
が、一年ほど前、自分を可愛がってくれ、また育ててくれた上司が会社を追い出されるかたちで退職。
それを理不尽に思った故人は、会社や上役を強く批判。
結果、故人も会社にいづらくなり、上司の後を追うように退職となった。
しかし、故人には、業界においてキャリアも実績もあった。
家族には、先のことを深刻に捉えているような素振りはみせず、「何とかなる」「しばらくはゆっくりするつもり」等と楽天的なことばかり話していた。
しかし、現実はそう甘くなかったのか・・・
仕事を選んでいたせいなのか、それとも、仕事そのものがなかったのか、数ヶ月が過ぎても定職に就いた様子はなく、そのうち、故人は親兄弟と距離をあけるように。
心配の電話が言い争いに発展することも多くなり、時間経過とともに自然と家族と故人の関係は薄くなっていった。

男性は、故人が亡くなっていた場所に用意してきた花を手向けて手を合わせ、
「もっと早くに気づいてやれてれば・・・」
と、悔やみきれない様子で目を潤ませた。
そして、そこには、死の現場から、いつもの何かを得、また新しい何かを得ようとすることも務めであるような気が、また、それがいなくなった故人に対する礼儀のような気がする私がいた。



健康も、時間も、水も、空気も、食べ物も、仕事も、金も、友人も、家族も、命も、その他諸々も・・・
人は、「あって当り前」「いて当り前」ではないものを当り前だと思ってしまいやすい。
しかし、それらは、自分に回りに当然に存在しているのではない。
喪失と表裏一体で、摂理によって与えられているもので、自分の力だけで獲得しているものではない。
獲得に貢献している自分の力なんて、無に近い微々たるもの。
だから、どんなに失いたくなくても機によって失ってしまう。
そして、そのときに、その大切さ・貴重さを痛感させられる。
だから、何事もない普段から感謝して大切にしなければならない。
感謝からは喜びが、喜びからは幸せがうまれるのだから。

もちろん、失ってこそ大切なものが得られることもある。
でも、同じものなら、失わずに得たいもの。
そのためには、“気づき”が必要。
気づくためには、“きっかけ”が必要。
こんな滅多に更新しないブログでも、少しはその“きっかけ”になれているかも?
・・・そう思うと、酷暑と加齢にやられっぱなしのこのポンコツ親父も何とか頑張れるのである。


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